日本の医師が招く大いなる惨劇

次話: 一番最初の病院は、川室記念病院だった。

 始めにこの物語は、女性の自立や社会進出によって古来より夫が外で働き金銭なりの収入を得て女性が、家内の事を切り盛りして伴侶となる男性の出世や社会的地位の向上による家族間の生活レベルの向上といった忌まわしき古き慣習の上に築かれてきた文化から西洋化の流れに乗り女性の社会進出による女性本位のインフラの整備に伴い発現している家庭での不和や少子化及び高齢化による社会経済の停滞など様々な問題が表面化してきている。

 古き良き時代と呼ぶべき時代も対象を失い世俗にまみれインターネット環境の普及と低年齢化により目に見えず水面下で進行し続けている様々なサイバー犯罪や相手の顔が見えない状況での交流が、拡大し続けている。

 「汝の隣人を愛せよ。」という隣近所との交流も薄くなり隣の住人は何する人ぞとばかりに信頼関係も希薄となりつつある。
 カワイイと思うのは、自分と縁のあるものばかりとなり「家に帰りたくないという」帰宅恐怖症なるものも発現するようになった昨今の環境の現れ方により「バリアフリー」と言葉だけ先走りするこの現代の世の中で、福沢諭吉の発現した「天は人の上に人をつくらず。」と士農工商と時代を坂上ったほうが良い世の中なのかもしれず、人の世はまさに「夢幻のごとく」千差万別に十人十色と同じ目標に向かって足並みを揃えることを良しとせず日本人特有の相手の考えを尊重して相槌打つも本音と建て前使いわけよしもわるしも法律によると、法律に身を任せるは当たり前と知らぬがほっとけと触らず紙に文句書き世の中変えよと発信するも、史実も真実も知らずにカラ返事で事件が起きて初めて知るよ自分の身近に危険ある。
 医師と製薬会社との関係は、べったりと癒着しているのだろうか?また病院と行政機関との関係性や病院で雇われている医師の資質や能力と姿勢についても甚だ疑問でしかない。
 私自身も姉が結婚した相手の人間性と性格と経済的事情や嗜好性と彼の社会的信用や人間関係によって不幸な結果をもたらせられたのである。
 姉の結婚した相手は、元自衛官である。
 しかし、結婚した経緯についていささか?いやかなり問題があった。
当時の私は、中学二年生で一年後に受験を控えている状況でありとても繊細な状況であったのだが、三つ上の姉が問題を起こしてくれたのである。
 姉が当時通っていた高校は、定時制高校でバドミントン部に所属していて勉強と部活とアルバイトなどの忙しい学校生活を送っているのだろうと弟の目には見えていたのだが、姉の高校は評判の良くない学校になってしまっており高校の設置の名目では、経済的に恵まれていない家庭環境に置かれていながらも勉強をしたいと考えている若者や労働者に対して学ぶ場を提供するという高尚な観点で設置されている学校であったのだが、いつからか勉強をするのが好きではないが高校卒業の学歴が、欲しいと考えつつも遊びたいという不遜な輩が、通うようになり髪の毛の色を変えることが個性だと訴えるような少し勘違いをしてしまった人間も存在してしまう学校となり校則も最低限のものとなり在ってないような状況の学校になってしまっていた。
 少なくとも高校生であるという認識と異性に対しての尊重や軽はずみな行動を抑える必要と法律の順守を教えてあげる努力をしていてほしかった。
 個人の自由を尊重するという考え方から自己責任というとらえ方に社会状況が傾くようになり情報の氾濫や対人関係のもつれや拗れが、軋轢を生みだすことも承知していなければならないのであるが、そんなことは家庭の親が教えなければ教わる場所が、学校においては先生と呼ばれる人種になてしまうのだが、学校といいう場所が人種のるつぼと化してしまっている現在の環境において純粋でまっすぐな人格を形成して、まっとうな生き方ができるように社会全体が舵を切らなければならない時期に差し掛かっているのである。
 学校という場所が、出会いの場であるのだが、その中でゆがんだ考えの持ち主が生まれてしまうのは、どの段階で修正すれば適切な人格形成が行えるのであろうか?小学校と中学校では、家庭の経済格差によって明らかな情報格差が生まれて、裕福な家庭で子供にお金をかけることができて高等教育の場をあてがわれて社会的優位な立場に立つことができるようになったのであるが、日本人が本来持ち合わせていた美徳というものが、軽視されるようになり金権主導の経済の運用状況となり大切な生命を守るという高尚な立場にあるべき人間が、自分の能力が優れているという傲慢さを与えてしまい高き壁であるべきはずの場所が、「ベルリンの壁」となり意思の疎通を遮断することになりより良き医療を必要とする人間のためにならない、よりよく生きるための世界が、絶望と苦悩に満ちたものへと変えられてしまっている。
 痛みを抑える薬を良しとしても痛みと病気との関係性を見逃しているのにも関わらず平気な顔やとぼけた顔で嘯いている医師のなんと多いことだろう。
 ※ ストレスという言葉が、医師の怠慢を増長させている。
 解らないのであればわかる医者を探すしかないのであるが、お金がなくて明日の食べるものに苦労している人間に薬を与えたところで、何の解決にもならず日々の糧を得る手段を与えることが先決なのであるが、知識の欠如や社会資源の活用方法を知らぬ無知な医者の頭の中に蛆が沸いているとしか思えないような発言をする医者もかなりの数いるようである。
 世界中に発信されているインターネットの世界で、病院の院長の言葉に部下が論文を発表すること学会で認められて評判を上げることによって病院の名声が上がると明記されている1ページを見つけて嘘偽りなくその様なことを発信できているというのであれば見分の狭さと管理者としての自覚と配慮の無さを断罪しなければならない!!
 さらにその病院の区分が国立病院という構造上の鈍さや安心感からきていると認識して間違いなさそうでもあり、過去に患者を軽く見て死亡事案を引き起こした病院という反省が全く生かされておらずそこに住む人間として許すわけには行かないのである。
 国立病院の中には、普通の病院と違い特殊な病院が存在しているらしく身体的に健康なのであるが、犯罪を犯してしまっているものの状況が刑務所ではないものの病気からくるものだと司法判断がなされ精神保健福祉法上の「野放しにできない」という表現で適切なのかもしれないが、要注意人物としてマークする必要や危険性があるという認識で、観察処分にされてしまうこともあるようなのだが、その真意が掴みづらいモノなのである。
 保健所で働く職員という立場の人間は、人の生き死に対して鈍感で、有事の際にもまともに機能しないようである。
 公務員という立場にいて健康を保つための情報を提供するべき場所で働く人間が、日本テレビの24時間テレビの話題に触れたときに「お涙頂戴番組」だと吐き捨てたのである。
 保健所と私との接点は、ほぼゼロと言っていいだろう。

しかし、一度精神科病院とかかわりを持つと生涯に渡って精神病患者や精神障がい者、警察や保健所からも危険人物や要注意人物として追跡されそうである。
 免許証の更新時期に、入院していて免許の更新ができなかった場合に免許の更新や車の運転が安全にできるかどうかを、確認するために診断書の提出の書類が送られてくるのだが、その書類を
  

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一番最初の病院は、川室記念病院だった。

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