41で結婚し、高齢出産した話

会社員から寺に嫁いだわたし。頑張って自然妊娠し、初めての産婦人科に行った。

41才(1月生まれ)の春に結婚し、秋に自然妊娠した。結婚してから、半年間、毎月来る生理に、落ち込む。9月30日から生理になり、十月は、旦那と北陸にドライブしたり、凄く楽しんだ。次の生理が10月20日過ぎても来ない(周期が20~24日)。もしかして。薬局で妊娠検査薬を購入。どこにあるかわからなくて、店員に聞いた。一本のみ、二本入りがある。二本入りを買った。ふと、40過ぎたわたしが、妊娠検査薬を買うって…ヤバい妊娠でおろすように見えるかも?となぜか気になった。数ヶ月前に、基礎体温計を買ったときもなぜか人目が気になった。この人この年齢で?すでに被害妄想気味なアラフォー(40過ぎてるけど)。
自宅に帰って妊娠検査薬に尿をかける。すぐ赤色の線が出た。うわーい。なぜか写真をぱしゃり。いや、まだ、内診していない。まだ不確かだ。
旦那と義母には「妊娠したかも」と報告。一週間後、近くの産婦人科に行った。
ここは、出産したらフランス料理が食べられるらしい、妊娠中はヨガだの妊婦の集いがあるらしい。
ウキウキ。しかし、内診は初めて、ドキドキ。
診察台に乗る。またが拡がり、医師が内診。「筋腫があるよ」「複数も」「40過ぎての妊娠は六割だめだから」絶望的なことばかり。「今は大丈夫ですか?」と聞いたら、「今はね」。紹介状を持たされ「じゃあね」と追い出された。医師のあまりの言葉に絶句、看護師が「お疲れ様でした」と平坦に言った。
総合病院に数日後行った。「あー、複数筋腫があるね。大きいよ」「経過観察だね」…二週間に一度通うようになった。
年が明けて、羊水検査をすることにした。丁度血液検査で赤ちゃんの遺伝子検査が出来ると発表された。しかし、限られた病院だけであり、費用も20万だった。ちなみに、従来のせんしによる羊水検査をするつもり(費用は6、7万だったはず)だ。病院によっては羊水検査を実施しないところもある。医師に「羊水検査をしたいです」と恐る恐る申し出た。「じゃあ、次回、やりましょう」と決まった。検査から結果まで三週間。ドキドキ。
羊水検査をした後のことを考えていた。もし陽性ならば…異常があったら…。旦那とも話した。旦那が「かあさんもだめなら次に行けば良いっていうし」…あまりの無神経さにわたしは内心むかついた。わたしが、身籠っているのに、簡単に「次に行こう」だなんて。わたしの中にいるのに。
検査結果は異常なし。「男の子ですよ」とも。「え?」…遺伝子検査だから、性別も分かる…当たり前だった。
自宅に帰り、旦那や義理の親に報告した。異常なし、男の子…「跡取りだわ」と喜ぶ義親にわたしは違和感を。
子宮の筋腫は一定の大きさでいくつかある。赤ちゃんの成長につれ子宮が大きくなると、筋腫が痛みだすことがある、らしい。尋常じゃない痛さ、らしい。そのため、わたしは絶えず、何かに怯えることに。
さらに、血液検査や空腹時血糖値けんさにより、わたしは妊娠糖尿病と判明した。
産婦人科と糖腎内科に通うため、さらに、通院が増えた。1日四回血糖値を測るという苦行も。
二月から血糖値計測開始。なお、室内が低いと機械が働かない。真冬の室内で何度か計測不能に陥り、検査用のチップをいくつも無駄にした。ちなみに、妊娠中は服薬出来ないため、食事療法により、血糖値を維持した。
妊娠して出産、簡単じゃなかった。
わたしは幸い筋腫が痛むこともなく、胎内で我が子も順調に育ち、帝王切開で38週目に3088グラムで生んだ。そして、筋腫を摘出してもらった。帝王切開ついでの開腹手術をしたのだ。
出産がゴールと思っていたわたしは、新たに新生児育児というスタートを切っていた。深夜に泣き出す我が子を抱いてミルクをあげても泣き止まない、あわててナースセンターにいったら、看護師に「赤ちゃんは泣くものだから」とつれなく言われたのがスタートだった。我が子は生まれてからずっと明るい部屋にいたため、わたしの病室の暗さがいやだったらしい。部屋の明かりをつけたまま、我が子がすやすや寝たのをみて、朝までつけたままにした。個室だったが、廊下に漏れる明かりを見つけて、何度か、看護師が見に来た。「この子が明るくないと寝ないので」と説明した。
我が子がもうすぐ五歳になる。最近、義理の親が、あれこれ無理難題を言ってくるので、やり返す強い嫁になったわたし。まだまだ、頑張るつもりだ。

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