デロイト税理士→ライブドア幹部→キックボクシングジム経営〜人生は想像をはるかに超えて面白い〜

● 税理士になるまで

税理士になるまでのストーリーは正直それほど面白くはない。と思う。家から学校まで徒歩1時間・同級生9人という田舎の小学校で育ち都会に憧れ東京の専門学校に行く。商業高校で簿記を習っていたのでその延長線上で「税理士」を選択。デロイトに就職して24歳で税理士登録。資格取得までは大変だったし恋愛も色々あったけどその後の人生が劇的なので割愛する。

● 時代の寵児との出会い

世界BIG4の1つデロイトトーマツで約7年勤務した後上場直前のlivedoor (当時のオン・ザ・エッヂ)に転職。デロイトでは代表電話に出たこともなくクライアントに渡す資料は全て上司チェック済みという恵まれた税理士先生人生から一転。"どうせお前なんか1人で何もできないんだろ?"と面接で痛いところを見事に突いてきた上司宮内さんの下、後にクラフトビールの工場を日本に作ってしまう山田さんが同僚という環境の中livedoorという野に放たれる。
マザーズ上場当時はまだジーンズ姿の堀江さんをニュースで見る感じの距離感だったけど上場後の私の仕事は連結開示やIRがメインになって社長と一緒に投資家を巡ったり決算説明会に出るようになった。初めて聞くIT用語・なぜか大体英語3文字に略される専門用語・議事録すら調べないとまともに書けない。そして上場後しばらくすると毎月子会社が数社増えてくスピード感。その上毎週連結決算・予算実績差異分析に進捗チェック。デロイト時代は代表電話にすら出たことのない私がいきなり株主対応。株価が下がると "ねーちゃん歩道橋とホームには気をつけろよ" と言われてビビる。が。慣れというのは恐ろしい。最初はいちいち驚いていた環境も続くと慣れるから不思議だ。がしかし。慣れたからといって楽になるわけではなく慣れるスピードを追い越すように会社が成長していくわけで。デロイト時代の3倍くらいのスピードと密度で毎日が過ぎてった。
毎日何かしら問題が起こって刺激的で忙しくて。何かを作り出す情熱に溢れてて。常識にとらわれない。"できない"を疑う。とにかくやってみる。スピード大事。朝出社すると寝袋にくるまって床で寝ている社員が何人かいて。飲みに行くとみんな熱くて。ものすごい量の経験とエネルギーと達成感と涙とで気がつけば入社して6年。休みの日も仕事して。寝ても冷めても仕事の事が頭にあって。毎日走り続けてて。走り続ける毎日がずっと続くと思っていた。

●ライブドア事件

2006年1月。走り続ける毎日が突然止まった。六本木ヒルズに強制捜査。翌朝まで続いた捜査には私とシステム担当者の2人が最後まで立ち会った。捜査は徹夜で行われた。次々と運び出される書類・誰にも連絡を取れない環境・全く現実味のない状況の中心に自分がいる。翌朝シャワーを浴びに帰宅したところ今度は家の前に数人の特捜部員。私の家が家宅捜索。通帳・パスポート・携帯・古いPCなどがどんどん押収されていくのをベッドの上に座ってボーと眺める。事件の渦中にいる現実感はまったくなかった。でも翌朝野口さんが亡くなったことを知って目の前が真っ暗になる。"たんたんドキンちゃんに似てるね"と笑っていた顔を思い出して何時間も泣いた。強制捜査が入ってからライブドアを辞めるまで色々あったけど野口さんが亡くなったことがこの事件で一番辛かったこと。
強制捜査・家宅捜索の後は毎日事情聴取で霞ヶ関の東京地検特捜部通い。自宅の住所がネットで晒され殺人予告が届き家に帰れなくなり偽名でホテルを転々。ド田舎の実家には記者が押しかけ両親が肩身の狭い思いをしテレビでモザイクがかかった娘を見る。今まで経験したことがない悪意に囲まれ報道がどれほど嘘まみれか知り上司が次々と逮捕起訴され次は・・・と覚悟する日々。クレーム対応に追われる営業。離れていく顧客。自分は悪くないのに謝り続ける社員。家族のためにと辞めて行く者。ビジネスチャンスと寄ってくる奴。手を差し伸べてくれた人。一緒にがんばりましょうと励ましてくれたクライアント。
剥き出しの本音が渦巻く中で得た極端な経験。被疑者としての東京地検特捜部通いが落ち着いた頃社長の裁判に証人として出廷。強制捜査前と後では180度違う日々。コンプライアンスとガバナンスを繰り返すおじさんたちに"こんな事件が起きたのはお前のせいだ"と責められ悔しい思いをする毎日。その中で自分がすべきこと。事件とサービスを切り分けること。ライブドアの精神を残すためにできること。ライブドア社員のサービスを生み出す力を活かすために当時モバイル事業部のトップだった出澤さんを事業会社のトップに推して分社化を進めた。それがライブドアでの最後の仕事。分社化が落ち着いた頃に退職を決意。大好きな会社・大好きな仕事仲間と別れた。出澤さんと元ライブドアメンバーはその後 今なら誰でも使っているLINE サービスを作ったんだからどれだけすごいメンバーが集まっていたかは言うまでもない。
私たちのオシゴトは"額に汗して働く"肉体労働ではなかったけれど今までの世の中にない新しいサービスを作るために寝る間も惜しんで働いたし、誰かを陥れようとか法を犯そうとかお金さえ儲かればいいとか思ったことはない。ただみんな必死で一生懸命で誰よりも考えてすごいスピードで動いて突き進んできただけで。ライブドアはそんなやる気と能力のある人たちが磁石に吸い込まれるように集まっていた集団で。”なんでできないの?”って常に社長に詰められる素敵な職場でした。

● 会社で働くということを辞める

ライブドアを辞めた後はユナイテッドに転職。7年ほど経った頃合併を機に退職。なんというかもう会社勤めはやりつくした感があってまた他の会社に転職するという選択肢はキレイサッパリ消えてた。じゃぁ何するかって。順当に行ったら税理士業開業なんだけど。その時はその選択肢なかった。なぜなら”チャンピオン”という存在に出会ってしまったから。というわけで話はユナイテッドを辞めるちょっと前に戻ります。

● チャンピオンとの出会い

税理士やIT企業の財務をやっていてボクシングのチャンピオンに出会えるなんて奇跡だと思う。
きっかけはユナイテッドで働いてた時に当時の社長に勧められて始めたキックボクシング。子供の頃から読書と勉強ばかりで体を動かすことがなかった私が30歳半ばでいきなりハマった。それまで運動してなかった分ハマりだしたら止まらない。体も変わるしとにかく楽しい。ハイペースでトレーニングするようになった頃、通っていたキックボクシングジムにトレーナーとして現れたのが元ボクシング日本ミドル級チャンピオンの鈴木悟選手。
ライブドア事件のあった2006年の暮れ。身も心もボロボロになって帰省した実家で父親と観たK-1ダイナマイト。その時魔裟斗選手と戦っていたのが目の前にいる鈴木悟選手。やばい。大晦日に試合してた人だ。テレビで観てた人だ。オーラが違う。さすがチャンピオン。そんなスゴい人に私ごときが教えを乞うなどもってのほか。なわけだけど。ライブドア事件で心臓に毛が生えていた私はその後チャンピオンに教えを乞うことになりました。

● チャンピオンの指導

鈴木悟選手の指導はとても理論的でわかりやすく丁寧でした。それまでただ闇雲に動いていた私は鈴木選手に習ってから”考える”ようになりました。トレーニング以外の時間も”こう動けばもっといいんじゃないか”とホームで傘を振るオジさんさながら信号待ちや鏡の前でフォームを確認。もう夢中です。格闘技観戦もするようになって私の格闘技熱は上がる一方。当時シュートボクシングで活躍していた鈴木悟選手の試合は全て観戦。小柳ゆきさんの”愛情”で入場してリングイン。カメラに向かって悟キッス。あのリングで戦っている人に私が教わっているというなんとも不思議な感覚。2010年にはシュートボクシング日本スーパーウェルター級でチャンピオンになって史上初のプロ格闘技二冠王に。その後もアンディー・サワーやボーウィーとの激戦を繰り広げていました。(現在はプロレスリングBBW王者も獲得し史上初の異種格闘技三冠王を達成)トレーニングは土台・基礎を積み重ねて積み重ねて。それを壊してまた最初から積み重ねて。また壊して。その繰り返し。そうやって徐々に土台を固めていく。地道な繰り返し。

● そしてキックボクシングジムオープン

鈴木悟選手の指導を受けて何年か経ちユナイテッドを辞めると決めた時。私は勝手にキックボクシングジム設立を企んでいました。もう会社勤めでやることはない。新しいことに挑戦したい。脱サラしてラーメン屋を始めるオジさんさながら勢いだけで話を持ちかけました。石橋を叩かず渡る。とにかくやってみる。ライブドアで ”なんでできないの?”と毎日詰められた成果です。できない理由を並び立てる前にやる。思い立ったら吉日。即行動。鈴木悟選手にジムの代表となっていただくオファーを快諾いただき2012年12月25日 TAKE IT EASY株式会社設立。2013年1月25日西麻布にprivate lesson studio TAKE IT EASYをオープン。
1年持たないと思ってた。と。後から友達に言われたけれども会社設立からもうすぐ7年。ここまでやってこれたのは私の勢いが1%で鈴木悟選手のチャンピオンとしての経験・能力が99%。でも勢いがなければ始まらなかったから勢い大事(自画自賛)

● ただ夢中

サラリーをもらうというのは素晴らしい。少数ではできないことが必ずあるから会社という組織も素晴らしい。ただそこで何をするか。"あいつより俺の方ががんばってるのにあいつのが給料高い”と愚痴って過ごすのか。そんな後ろ向きでつまらないのは嫌だ。私はライブドアという刺激的な会社にいたから退屈には耐えられない。ワクワクする方に進みたい。経験してないことをやってみたい。そっちの方がキツイけど絶対楽しい。収入激減したけど。最初は毎月減ってく通帳残高見て青くなって白くなって透明くらいまでなったけど。今はなんとかなってるし。7年経ってもただただ夢中だし。
税理士目指して東京出てきた18歳の頃。こんな未来が待ってるとは思わなかった。まさかデロイト辞めてライブドア行って強制捜査・家宅捜索・証人尋問・上場廃止を経験して。そしてそれから税務と全く関係ないキックボクシングのトレーナーになるとは。ということは。これからも想像を絶する・期待を超える・キツくて楽しい道が待ってる。ワクワクする。

● リズムファイティングにかける想い

私は30代半ばまで全く運動をしていなかった。ライブドア時代は深夜まで働いてその後残業しているスタッフを無理やり誘って飲みに行って少しだけ眠って朝誰よりも早く出勤する。その繰り返し。給料は深夜帰宅のタクシー代とマッサージ代と飲み代に消え体はボロボロ。でもそれが楽しいんだからしょうがない。まさにワーカホリック。ライブドア事件がそんな私の生活にストップをかけてくれたのかもしれない。30代半ばで出会ったキックボクシング・ヨガ・乗馬。それらを通じて私は初めて自分の体と向き合った。自分の体を作り始めた。機能低下しまくっていた私の体は徐々に回復し今では人生で一番ハリのある体になっている。年を重ねるごとに若返る肉体。だから今仕事だけで生きている人に少しでも早く自分の体と向き合う機会を与えたい。そして怪我なく安全にトレーニングを続けて欲しい。運動経験がなかった私だからこそ強くそう思う。人は悲しい未来を想像しない。自分だけはいつまでも健康に年を取れると思っている。でも違う。今動かなければこの先もっと動けなくなる。
リズムに合わせてゆっくり大きく丁寧に動くことで体の機能を回復し日常生活を楽にすることを目的として作られたリズムファイティングが世界に浸透し一人でも多くの人が健康な生活を送れる未来を夢見て今もワクワクしながら生きてます。







著者のTanzawa Tanさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。