【母の臨終】プロローグ

「オカンな、もうあかんのやて」

病院へ向かう車中、運転席の父が言った。
ぽつりと、ではなくはっきりと、きっと自分にも言い聞かすように、そう言った。
「へえ」「ふーん…」
私の返事はそんなものだった。
泣くでもなく、驚くでもなく。
17歳の反抗期?ちがう。
ただ現実味がなかったのだ。

だって、昔くも膜下出血で倒れた時は、1ヶ月と少しで帰ってきたから。
今回も当たり前にそうだと思っていた。
脳出血で突然倒れて1週間。快方に向かっているのだと信じきって、容体も聞かなかった。
(1ヶ月で退院やろうから…兄ちゃんの卒業式に出れるか出れんかやなぁ…)と、勝手にぼんやりと考えていた。

今思えば「信じがたい現実」から無意識に逃げていたのだと思う。

病院に着くまでのあいだ、「母が死んだらどうしよう」と考えてみた。

(ごはん、誰が作るんやろ)
(朝、駅まで送ってもらわれへんなぁ…だる…)
(ていうか朝起こしてもらわれへんな)

私は、
「母がいなくなると悲しい」ではなく
「母がいなくなると困る、不便」と考えていることに気づいた。
そんな自分にゾッとした。

病院に着くと、すぐに医師の説明が始まった。
母は倒れた当日と、再出血を起こした日と計2度の手術を受けた。
その後、母の頭に詰まった血を溶かす薬を入れているが、効果がないらしい。
残念だがもう打つ手はないのだと。
そのような内容だった。…気がする。

説明が終わり、集中治療室に入る許可を得た。
簡易のビニールエプロン、帽子を身に付け、手を入念に洗い、消毒。

案内された先には、人工呼吸器をつけて横たわる母がいた。

(ああ、ほんまに死ぬんや…)

直感的にわかった。
もしかしたらそれは、親子だからかもしれない。
母の手に触れた瞬間、涙がぼろぼろあふれて止まらなくなった。

後にも先にも、“理屈なく涙が出る”経験はこれっきりだ。
泣くなと言われて育った。父の教え。
泣かずに我慢が得意だった。
いつも、泣きそうになるたび頭のなかでごちゃごちゃいろんなことを考え、紛らわせた。
涙も隠した。

このときだけ。
本当にこのときだけ、涙が勝手にあふれたのだ。

遅れて、兄が入ってきた。
泣いている私を見て、驚いたのだろう。母に語りかけた。

「なぁ。アキ泣いてるやん。どうすんねん、アキ泣いてるやん!」

怒っているようにも聞こえた。

片方ずつ母の手を握りながら、今にも母親を失いそうな兄妹が泣いている。
集中治療室の看護師さんも、泣いていた。

母はすぐに、24時間面会できる個室へと移ることになった。
「最期の時間」が始まった。




暗い話になりますが、自分の心の整理も兼ねて母の死を書こうと決めました。
そのとき考えたこと、17歳で母親を亡くすということ、その後の生活・人生について、少しずつまとめていきます。
母の死後まもなく、同居していた祖母(母にとって義母にあたる)の介護が始まり、間もなく他界。
兄は母の葬儀の1週間後に受験した国公立大に見事合格し、新生活へ。
私は受験生。
父は常にピリピリとしていました。

プロフィールにもありますが、私は「アレキシサイミア」という性格傾向を持っています。
考え方にも少し癖があります。
そして心の辛さが身体に出やすい傾向にありますが、
母の死後、壮絶な暮らしのなかでも私はあっけらかんとしていました。
母の死をきちんと受け止めていなかったから。

23歳のある晩、

「もう母に会えないんだ」

ということに突然ちゃんと気がつくまで、母はどこかに出かけているだけとでも思っていたようです。

そして、そこから私は壊れた。

だけど今は元気です。
母を最期にみてくれた病院で働いています。




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