【母の臨終】あの朝②

病院に到着すると、手術室前の家族待合に案内された。

父、兄、母方の親類のおばさんがいたと思う。
母はこれから緊急手術を受けるという。
詳しいことは聞けなかった。
父や叔母が集まって大人の話を始めたので、私と兄は蚊帳の外だった。

エレベーターが開き、母を乗せたベッドが運ばれてきた。
(間に合った)
そう思ったのもつかの間、あっという間に手術室に入っていった。
母の顔はほとんど見えなかった。声もかけられなかった。

私はもちろん、手術が終わるまでここで待つのだと思った。
寒い日だったので、靴下を2枚履いていてよかったなと思った。

しかし父は、私と叔母に自宅へ帰るよう命じた。
ひとり待つ祖母を案じてのこと、そして、
こういう場に残るのは男、家を守るのが女。
そういう、父の昔ながらの考えからであった。

少し納得がいかなかったが、たしかに待っていたからどうなるという問題でもないと思った。
でもそれは私の理性や、作り上げたものわかりの良さなのであって
(ずっとここにいたい、母のそばにいたい、離れたくない)
そうわめきたいほどの自分が確かにいたことを、今の私なら見つけてあげられたのに。

帰宅し、私は犬を散歩に連れて行った。
祖母へは、叔母が状態を説明してくれたようだった。
夕食は叔母が作ってくれるという。冷蔵庫を開けながら、鍋の支度を始めていた。

テーブルの上の皿には、イモの素揚げが3つほど残っていた。
お弁当の残りだった。

それを見た瞬間、ハッと思い出した。

私はその日の朝、母とケンカしたっきりだった。
ふてくされたまま“行ってきます”も言わなかった。


理由は本当にくだらないこと。
遅刻ギリギリで急いでいた私は、お弁当ができていないことにイライラしていた。
さんざん急かした。偉そうな口もきいた。
お弁当を受け取り、礼も言わず、のうのうと車で駅まで送ってもらった。
車中、口をきかず、顔も見ず、不機嫌を丸出しにして。
あげく勢いよくドアを閉め、振り返りもせず学校へ向かった。

なぜ忘れていられたのだろう。

普段は、母と気まずくなることがあると、一日気に病むような人間だった。
なぜかその日に限って、母にひどい態度をとったことをすっかり忘れていた。

おいしくお弁当を食べたし、
(帰ったら怒られるかな。なんて謝ろう)
などと考えることも一切なかった。


家に帰れば母がいる。
怒られても、傷つけても、ちゃんと謝れば大丈夫。

当たり前にそう思っていたから、忘れていられた。
「謝れない」なんてこと、想像もしていなかった。

だってまさか
母とあれっきりになるだなんて、想像もしていなかったから。

イモの素揚げは、最近お弁当に登場し始めた私のお気に入りのおかずだった。
お弁当の残りは、たいがい母が朝食か昼食に食べるのだが、
私の好きなおかずの日は、夕食までとっておいてくれることがしばしばあった。

(おかあさん、とっといてくれたんかな。
アキのこと、もう怒ってないかな)

都合が良い考えだと、我ながら思う。
でも、母が私のためにイモを残しておいてくれたのだと思いたかった。

鍋が出来上がるまでのあいだ、私はこっそりとイモをつまみ食いした。
ひとりじめした。

(もしかして、これが最後のお母さんの味になったりして)

半分本気、半分冗談、そんな気持ちでイモを食べた。
だから、その味はちゃんと覚えている。

ちなみに母が作った最後の夕食、つまりその前日の夕食は、
オムライスとたまごスープだった。

もしかすると母の最後の味になるのかもしれない、と
もし元気になって帰ってきたら話のネタにもなるし、と
絶対に忘れないでおこうと、イモを食べながら頭に刻みこんだ。
だから今でも覚えている。

あのイモ、ひとつくらい、兄に残しておいてあげればよかったな。


鍋を食べながら、ここ最近の母のことを思い出していた。
母はそのころ怖いくらいに、身の回りを整理整頓していた。

100円均一でこまごまと買い物をしては、エアコンカバーやフック掛けを作り、掃除にいそしんでいた。
もともと裁縫やものづくりをまったくしない人ではなかったが、
私たちが高校に入ってからはせいぜい裾上げをするくらいで、
なにかを作るなんてことはなかった。

母が便利グッズづくりにハマっていたおかげで、
キッチンまわりやサイドボードまわりはやけにすっきり片付いていた。

そんな偶然、あるのだろうか。
まさか、自分が死ぬなどと思っていたはずがない。
でも不思議なくらい、母は身の回りをきれいにしてから、この世を去った。

余談だが、母亡きあと。
母の旧知の友人から、
「倒れる数日前、急に電話がかかってきた」という話を何件も聞いた。
皆が不思議がっていた。
なんの用事もなく、難十年ぶりに突然電話がかかってきて、なんということもない話をして、数日後に訃報が届いたと。

人間とは本当に不思議なものだ。
この世は、説明がつかないことばかりでできている。


母とケンカ別れをした後悔を書きつづりながらも、私は涙が出ない。
心が苦しいことはかろうじてわかるようになったけど、
涙にはならない。無表情でこれを書いている。
アレキシサイミアとはまだまだ長い付き合いになりそうだなぁ。


次回は、どうやって母が病院に運ばれたのか、
いったい誰が救急車を呼び、家の鍵を開けたのか。
私がずっと気になっていたことを書こうと思います。


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