言葉を使う大切さ(アスペの随想)

前話: 僕が不登校になった訳。(1)

 僕は、日ごろから「言葉を使う大切さ」を身に染みて感じている。ここでのその意味は、一つが齟齬を解くため、一つが確認をするため、一つが意思疎通をするためだ。詳細については、下記へ。

1.齟齬を解くため
 必ずしも僕の気質のせいではないけれど、僕は、しょっちゅう人との関係において行き違いを生じさせてしまうと感じている。
 なんなら、一時期は「人間関係に頭を使うこと」をずるがしこいと考えて、齟齬を解くことなどを放棄していた時があった。でも、実際行き違いがなくなった方が、相手にとってはうれしい。僕のルールブックに×が書かれていることが、相手にとってあるいは結果としても×になるかといえば、そうとも限らない。それをカウンセラーに教わってからは、人間関係を円滑にすべく積極的に言葉を使うようになった。
 あたりまえのことではあるけれども、言葉を使うことは大切なことだと、最近痛感している。
2.確認をするため
 「行き違い」と同様にして、僕は普段、勘違いをすることもかなり多い。その傾向が裏目に出て、他人から見ると不自然な言動に走ってしまうこともしょっちゅうある。その中で、言葉を使った確認をすることが僕を生きやすくしてくれた。
 「~だった?」「~じゃなかった?」という相手への確認をすることで、相手の心の窓との橋渡しができる。ゆえに、独断による勘違いが減る。
 特に、僕は仲のいい人との「つながり」を確認する目的でそれを行うことがもっとも多い。「あのときの僕の言葉、嫌じゃなかった?」「僕のこと、嫌いじゃないよね?」といった確認だ。
 僕は、対人不安で、定期的に相手との「つながり」が壊れていないか、相手を知らずのうちに不快にさせていないか心配になる。そのような際、一人で抱えてモヤモヤしているよりも、相手に直接聞いてみたほうが早いこともある。
3.意思疎通をするため
 1.と2.で取り上げた「行き違い」や「勘違い」を未然に防ぐ方法が、言葉による意思疎通をすることだ。具体的には、「なんか僕のしたことで意味不明なことがあったら、いつでも聞いて。」「君は僕の大事な人だよ。」といった内容だ。
 これは、リハビリなど相手との機敏なやり取りを要する職業の現場などでも同じことではないかと思う。「言葉を使う」ことは、当たり前のようで、少なくとも僕はできていなかった。
 伝わっているようで、伝わっていない大切な気持ちがあふれているように、こんな当たり前のことを記事にするのもあるいは一興と思い、何となく書いてみた。

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