ホームページ公開による「自分探し」

ADSLサービスが開始され、インターネットの世界が大きく変わり始めた2000年。趣味の延長で、自身のホームページ『Chit-chat!』を立ち上げました。

最初は、120%自己満足のような、今にして思えば「何、書いてるねん!」とツッコミたくなるような拙いものでしたが、自分自身の思いや行動を外部に発信しようと考えることで、少なくとも思考の方向性が「外向き」になったことは間違いありません。

ホームページの運用は2007年頃で終わりましたが、今回はその「自己紹介ページ」の足跡をたどりつつ、昨日のnoteを少し補足しておきたいと思います。

立ち上げたホームページのトップに、なぜこれを開設するに至ったのか、Turning pointとなった心の動きを記しています。

♡このホームページは、私が今、前向きに取り組んでいる”3つ”のことを中心に、いろいろなことを皆さんと語り合えたらいいなあ・・・と思って作り始め、2000年3月29日にオープンしました。

♡”3つ”のこととは、「育てる」「 鍛える」「 交わる」。これらは3年ほど前、やがて40歳を迎える自分のことを思い、ふと考えついた、今後の自分に課した「人生の宿題」のようなものです。

♡どうしてそんなことを考えたのか・・・。たぶんはっきりとした理由なんてなかったと思います。ただ、「このままではいけない」、「もっと大きな自分にならなくちゃ」と、自分を駆り立てる何かに突き動かされるように、気がついたときにはそれに取りかかっていました。

♡その頃、「フォーティーズ・クライシス」(40歳の危機)という言葉を、よく耳にしました。もしかしたら、そんなことを考えたのは、フォーティーズ・・・の不安から逃れるために私自身の心が発した、潜在的な自己防衛本能だったのかもしれません。

ホームページを公開して1年あまりが経過した、2001年2月末。ネットを通じて地元・滋賀県彦根市にコミュニティエフエムを開局しようという話が飛び込んできました。

なんか面白そうじゃん!

そんな軽いノリで、数人のメンバーとともに準備に関わるようになり、仕事(私学教員)の合間を見つけて参加、しだいに没頭していきました。1年半が経過し、ついに株式会社を設立。放送免許を取得して、9月29日(日)に正式開局しました。

取締役局長という、なんとも面映ゆい肩書きで仕事が始まりましたが、実態は決して順調なものではなく、まだまだ試行錯誤、どうなるか不安いっぱいの新たな挑戦でした。

また、経営ということに携わってこなかった未熟さゆえ、2年あまりが経過した2004年4月末、私はエフエムから身を引きました。勤めていた私立高校を辞め、飛び込んだ世界。退職金の一部を設立資金としてつぎ込み、ただ「やりたい」という半ば勢いだけで突き進んでいたことが、続かなかった原因のひとつでした。

放送業界への認識が甘く、無理が生じたことも少なくありませんでした。24時間365日勤務のような厳しい環境でありながら、収入が伴わず、人間関係も複雑で、他人より少しでも前に出て自分を認めてもらわなければ仕事がこない業界に、今まで経験したことのない恐怖や不信感を覚えました。

とはいえ、その世界にあってそれは至極当然のことであり、自身で受け入れないと生きていけません。より深く、人を見てつきあいながら「人間の信用とは何か」、大げさに言えば「生きるとはどういうことか」ということまで考え続けました。

家族があり、子どもがいて、介護が必要な父がいる中で、自分だけがこんなことをしていていいのか。やりたかったことはこんなことではなかったはずだ・・・。そんなことばかりを考える毎日でした。

なんとか生活の糧を得なければと焦るものの、道が定まりません。組織に属して働くことへの抵抗感が拭えず、最終的に選んだ仕事が、好きだったパソコン関連の業務を個人で起業することでした。

(このあたりが、前回のnoteで書いたことです。)

個人事業のオンサイトサポートが軌道に乗り、次なる人生設計を考えていたところに、悩ましい話が舞い込んできました。滋賀県内でもうひとつ、コミュニティエフエム局を立ち上げてくれないかという依頼です。

また同じ世界に戻るのか・・・。そんな不安が頭をよぎり、躊躇しました。でも、それ以上に中途半端でやり残したことを、もう一度原点からやり直したいという思いの方が勝り、再びラジオの世界に足を踏み入れました。

2004年の夏頃から少しずつ動き始め、母体となる会社にFM事業部を立ち上げたのが2005年4月。順調に準備が進み、同年8月1日に開局。事業部長として運営全般に関わり、営業はもちろん、番組のディレクターやDJも担当しました。

同じ轍は踏むまいと、少しずつネットワークを広げ、事業は順調でした。地域にも溶け込み始めたと思っていた頃、またまた転機が訪れます。自分の番組に出演してもらったことがきっかけで、ある私立中高の先生と知り合いになり、もう一度、教壇に立ってみないかと誘われたのです。

2006年4月、その誘いが現実になり、ラジオ局から学校へと転身。ほんとうによくわからない人生だと、自分のことながらあきれてしまいました。

2007年、2度目の教員生活2年目を迎えました。収入の面を考えると、以前の学校→ラジオ局→パソコン業務請負→ラジオ局→今の学校・・・とだんだん悪くなっていきましたが、お金に代えられないものがあるのも確かです。

今年は何か形に残ることをしたいと思っています。それをこのホームページを通じて、皆さんにもお伝えしていきます。

ここまで書いて、ホームページの自己紹介は終わっています。

2007年の春は、中高一貫コース高1のクラス担任になった時でした。47歳で久しぶりのクラス担任。まるで新任のようなワクワク・ドキドキ感があったことを鮮明に覚えています。

その後、学年が高2に上がると同時に学年主任になり、翌年度は3年に進み最終学年を締めくくるのかと思えば、中高一貫コースの再構築のため中学部へ異動。教務主任として中学全体を眺める立場になりました。と同時に改革プロジェクトが立ち上がり、そのリーダ役を引き受けました。

そして、入試広報部長を経て、校長へ・・・

一度、外の世界で大きく羽ばたきすぎた僕にとっては、狭い学校教育の世界に我慢できなくて、思考や行動がどうしても外向きになっていましたが、それは間違っていなかったと思います。

世の中は世界規模でダイナミックに動いています。インターネットの世界に至っては、距離や時間に関係なく双方向のコミュニケーションが可能で、恐ろしいスピードであらゆる仕組みが変わってきています。

今年、還暦を迎える我が人生・・・

滋賀から沖縄、そして東京へ

いくつか大きな山や谷はありましたが、チャンスの神様を捕まえるきっかけが「ホームページ公開」だったことを改めて思い返した、日曜の朝でした。

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