ただひとつ、命に弱さがあるとすれば・・・

どちらかと言えば「石橋を叩いて渡る」ような性格だった僕に、「火中の栗を拾う」ような”強さ”を与えてくれた出来事がある。

母の入院。
そして、あっけない別れ・・・

それは、僕が教師としての歩みで味わった、最初のシビれる体験でもあった。

大学を出て、念願の教師として勤め出して半年あまりが経った10月末・・・。ようやく学校での仕事が自分のモノになってきた頃だった。

突然、母が倒れた。

我が家は兼業農家で、ちょうど稲の刈り取りが一段落した時期だった。だから、たぶんその過労だろうと家族の誰もが思っていた。

普段からめったに病気などしない、元気な母だったから、すぐに良くなるだろうと、家族の誰もが深く気にも留めなかった。

ところが少しも良くならず、どんどん悪化していくのがわかった。

一度、大きな病院でキチンと診てもらった方がいいんじゃない。そんな声に背中を押されるかのように、検査してもらうと結果が出た。

血小板減少性紫斑病
急性骨髄性白血病

それまで、テレビドラマで聞いていたような病名が、リアルに目の前に現れた。

いったい、この現実にどう対処すればいいのか・・・

誰もわからないから、とにかく医者に委ねるしかない。幸い、母はその事実を淡々と受け止めているようで(いま思えば、決してそうではなかったはずだが)、みんなで乗り越えていこうということになった。

家族の中で、母というのは常に居て当然の存在だったので、別にその意味など深く考えていなかったが、いざその存在が家の中から居なくなると、ふだん気に留めていなかったことが大きく浮かび上がってくる。

食事の支度を始め、洗濯や掃除など、これまでは我関せずに済ませてきたことが(当然目につかないところで、それを母がやっていた)、次から次へと襲いかかってくる。

そんな生活も半年が過ぎ、発病してから、ちょうど半年経った日・・・

母は他界した。

享年、47歳。

葬儀に、当時担任をしていたクラスの生徒の代表が、遠方にもかかわらず参列してくれた。

その手には、ふんわりと・・・今にもこぼれそうな千羽鶴が。

4月に入学して、まだそんなに日も経っていないのに、担任の知らないところで鶴を折っていてくれたなんて。

「ごめんなさい、私たちの願いが通じなくて・・・」

そう言いながら、生徒から千羽鶴を渡された時、それまでこらえていた涙が止めどなく、一気にあふれてきた。

振り返ると、たくさんの人がいる前で男が泣くなんて恥ずかしいことだったかもしれない。でも、その時ほど生徒の純粋さ、一緒に過ごす人に対する気持ちの深さを感じたことはなかった。

先生(担任)っていいもんだ、先生をやっていてよかった・・・

葬儀という場で、感覚が必要以上に増幅されたのかもしれないが、先生という仕事の素晴らしさを感じさせられた出来事だった。

と同時に、こちらも生徒に対して一生懸命ぶつかっていかないと申し訳ないということを改めて感じ、深く心に刻んだ。

先生になって2度目の新学期が始まったばかり。

三十数年前の、まだ初々しい頃のことである。

当時のこと・・・

今となっては、すでに過去のものとして余裕をもって語れるが、これも「母のおかげ」かもしれないと思う時がある。

自分がここまで強くなれたのも、死という別れを通して母が僕に教えてくれた最大の教育であったという気がする。親離れというにはあまりにも突然で、辛いことだったが、それだからこそ親の思いを心に刻むことができたし、親への依存心をいい形で払拭することができた。

もし、今も母が生きていたとしたら、僕自身、もっと甘い人間になっていただろうと思う。

そういう意味では、母がこういう形で去って行ったことが、実はとても幸せなことだったのかもしれない。

母が逝った瞬間は、その場の空気が固まったかのように、時間が止まり、頭の中が空白になった。しばらくして、街行く人たちや周囲の風景が、いつもと何も変わっていないのに気づく。

自分の身の回りでは、こんなにも大きな出来事が起こっているのに、周囲は何も変わっちゃいない・・・

世の中ってこんなもんなんだ。

人間の存在って
生きるって

どういうことなんだろう。

母の存在、自分や家族の存在なんて、世の中全体から見れば、本当にちっぽけな、取るに足らないものなんだ。

そんな思いに打ちひしがれ、なんだか気の抜けたような、それでいて「これでいいんだ」と思えるような、不思議な気分。

人の命は儚い
だからこそ尊い

命を前にすると、どんな悩みや苦しみも小さなものに思えてしまう。
苦楽をすべてを包み込み、強く逞しく輝き続ける命。

ただひとつ、命に弱さがあるとすれば

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それがいつ途絶えるかを誰にも教えないことだろう。

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