ダイアログインタビュー ~市井の人~ 井上禄也さん1

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~井上禄也さんダイアログインタビュー~
インタビュー日時:2016年11月11日 12時00分~16時00分
インタビュー場所:南相馬市立図書館内 喫茶「Beans」
天気:晴天


 井上禄也さんは、南相馬で120年以上営業している「松永牛乳株式会社(以下「松永牛乳」と記す)という乳業会社の社長さんだ。アイスづくりを得意としている会社で、この地域のソウルフードともいえる「アイスまんじゅう」というアイスを始めとして、自社ブランド商品や大手メーカーの商品のOEM生産などを行っている。東日本大震災以後の早い時期に事業を再開し、この地域に明るい話題と希望をもたらす存在にもなった。そんな松永牛乳は、南相馬市民からすると大変思い入れの強い会社の一つである。
 東日本大震災と、その直後の福島第一原発の事故は、松永牛乳の事業に大打撃を与えている。特に原発事故の影響は、風評被害という形で、今も打撃を与え続けてる。そんな中で松永牛乳はいかにして事業を継続し、新機軸を打ち出し続けてきたのか。そこに井上さんはどんな想いを込めてきたのか。私としては興味が尽きない。訊きたい話がたくさんあった。是非とも井上さんには、その想いのたけを語ってもらいたいなと思いつつ、インタビューをスタートさせた。

◎「想い」を共有する事

――今日は何を語ってもらっても構いません(笑)。「話したい事が話すべき事」ですからね。

井上禄也さん(以下井上) 「話したい事」って、ホントに色々あるんですよ。震災があったじゃないですか。震災後だいたい2年間くらい酷い状態があって、その後社長になっちゃったわけなんですよ。

――震災2年後に社長に就任したんですね。じゃあ今は社長に就任して3年ですか。

井上 そうです。震災後1年目は本当に酷い状態で、その次の年は別の理由で酷くて、3年目はまたまた別の理由で酷くて。それで「どうするんだ」という事になるわけですよ。やはり会社なんで、銀行や元請け会社に経営状態を心配されるわけですね。その時に「じゃあ社長になるか」みたいな感じになって。こっちからすると「社長になれと言われちゃった」みたいな感じですよ。

――厳しい時期に社長になったんですね。

井上 最悪の時期だったと思います(笑)。こんな時期に社長なんかなるもんじゃないなと。まぁなっちゃったからにはやんなきゃならないわけですけど、何をどうやったら良いか分からないんですよ。社長として従業員に何を話したら良いか…。最初は従業員には「安定と効率」という話しかしなかったですね。

――「安定と効率」ですか。

井上 生産の安定と効率化ですね。この2つの事だけ言ったんです。「これ以外は考えなくて良いから、この2つだけガッチリやろう」って。震災後、メーカーさんも「本気で立て直すなら仕事をあげよう」という事で仕事をくれるようになるんですね。そんな中で、やっぱり安定と効率を両立しながら生産をこなしていかないと、仕事は成り立たないわけですよ。そこで「安定と効率」という事を方針として社員に話したら、その年はみんな一所懸命やってくれたんです。トラブルが起こっても、「何でトラブルが起こったのか」という事を毎日毎日突き詰めて話し合って、どうやったら安定した生産が出来るのか、人員の配置や時間の組み方なんかを考えていきました。そういうような事をしていたら、なかなかいい感じになったわけですね。その時は「安定と効率」としか言ってないわけですけど、その年はまずまず上手くいったんですね。その時思ったのが、「もっと経営者が経営理念みたいなものをしっかり打ち出せれば、もっと良くなるんじゃないかな」という事なんです。それで同友会(「中小企業家同友会」の事。地域の会社経営者が集まり、経営に関する様々な事を学びながら、互いに交流し合うという活動を行っている)の開催している「経営指針を作る会」に参加して勉強して、経営理念を立てたんです。それを会社の忘年会で発表して。ちなみにうちの忘年会はハードなんですよ(笑)。

――忘年会がハード(笑)?

井上 そう、勉強会も兼ねてますからハードなんです。二時から忘年会が終わるまでみっちり(笑)。そんな中で、うちの理念はこういう理念だよという事も言うようにしたんですね。うちの理念って、「乳業事業を通じて、仲間とお客様と地域に栄養を届ける会社で在り続けよう」みたいな感じなんです。僕も一言一句間違いなく覚えてるわけじゃ無いんですけど(笑)。「仲間」ってのは従業員だったり、取引業者さんや協力会社さんだったり、仕事を依頼してくれる元請けさんだったりといった「うちの会社に関係する人」の事なんですけど、そういう人たちがハッピーにならないといけない。当然お客さんもハッピーにならなきゃならない。そして最終的に地域がハッピーにならなきゃならない。うちは牛乳屋なんで、「栄養」を…仲間とお客さんと地域に、ハッピーになるための、色んな意味での「栄養」を届けられる会社であり続けなきゃならない。そんなものを「理念」として掲げたんです。

――なるほど。

井上 震災の時、僕は「うちの会社潰れるかも」と思ったわけです。チェルノブイリの時にも、牛乳がなんじゃらかんじゃらと言われていたじゃないですか。だから震災の時も「牛乳大丈夫?」みたいな事があちこちで実際に言われてて。工場を再開する前に僕は避難してたんですけど、その頃は思ってたんですよ。「うちの会社潰れるかもなぁ」と。チェルノブイリ原発事故当時の情報なんかもそれなりに出回ってましたし。

――今回の原発事故直後から言われ始めましたよね。「牧草食わせて大丈夫なのか? 」とか「外に出しておいた牧草を食わせたら牛乳からセシウムが出た」とか。

井上 あの頃は震災のせいで「うちの会社はほぼほぼ潰れるな」と思ってたんですね。それからしばらくして、経営理念を作ろうと思ったわけですけど、経営理念って長いスパンでの会社の方向性を表すというものじゃないですか。だから経営理念を作る時、あんまり「震災を乗り越えて」みたいな文言は入れたくないなと思ったんです。

――経営理念に「震災」的な事柄を文言として盛り込みたくなかったって事ですね。

井上 そういう「お涙頂戴」的なフレーズは入れたくないなと(笑)。でもその一方で、震災を超えてきてる事は紛れもない事実なんで、僕の頭に「震災」ってもんがこびりついてるんですよね。それをそのまま理念にしちゃうとおかしいけど、震災で「潰れる」と思った会社を「続ける」事に意味があるなと思ったんです。「続ける」というキーワードが重要な要素じゃないかと。だから「栄養を届ける会社になりましょう」じゃなく「栄養を届ける会社で在り続けましょう」という風に、あえて「続ける」という要素を盛り込んでます。震災を乗り越えてきた会社としては、この「継続」という意志を明確に示してやっていく事が大事だと思うんです。社員の前で経営指針の話をする時、こういうような話を毎年毎年、手を変え品を変えしてるんですけどね(笑)。

――ハハハ! そうですか(笑)。

井上 普通、経営理念って言うと、大きく紙に書いたものを壁に貼り付けて、朝礼みたいな場でみんなで唱和したりしますけど、そういうやり方には意味が無いと思うんです。単語の一言一句を覚える事にはあまり意味が無くて、その理念が何を言わんとしているのか、その意味合いは何か、そこにはどんなイデオロギーが入っているかが大事なんですよね。文言を作った本人の僕だって暗唱はしてないくらいなわけで(笑)、言葉として覚える事はあまり大事じゃないと思うんです。

――使っている単語そのものを丸暗記するんじゃなく、そこに入れ込んである「想い」をどれだけ共有しているかが重要なんだって事ですね。

井上 そうそう。だから一応みんなに提示はするけど、覚えろとは言いませんし、みんなで唱和したりもしません。ほら、うちらの世代って、みんなで声をそろえて唱和したりするのって恥ずかしかったりするじゃないですか(笑)。

――ちょっとね(笑)。

井上 そう。「ちょっとね……」で片づけられてしまうと、せっかく作った経営理念そのものが軽視される事につながると思うんです。「朝礼の時だけとりあえず言っときゃ良いべ」だとか「声をそろえて唱和するなんてこっ恥ずかしい」みたいな感じで、文言だけ唱和しても中身が無くなってしまう。唱和や暗記じゃなく、内容をちゃんと分かってもらって、僕の持ってる理想をみんなに説明して、みんなで共有出来れば良いかなと……。

――「関わってる人全員にハッピーを届け続けましょう」と。

井上 逆に言ったら、うちの会社に関わってない人にハッピーを届けられない。全世界をハッピーにしようだなんて思うのは、それは思い上がり過ぎだし。我々は「乳業事業を通じてハッピーを届け続けましょう」としてるわけだけど、僕の出来る範囲って乳業事業だけなんですよ。だとしたら、例えば「魚は好きだけどアイスは嫌い」みたいな人にはハッピーは届けられない(笑)。

――まぁそうですね。アイスが嫌いな人がアイスを食べてもハッピーにはなりませんね。

井上 そうそう。そういう意味で言ったら、一種の諦めみたいな感じもあって。僕は乳業事業をやっていて、それに関わってくれている人はハッピーにしたいと思ってる。でもそれ以外の人は、それ以外の方法でハッピーになれば良い、仕事で言うなら、色んな職業があって、それぞれの職種の人がその職業を通じてハッピーを届ければ良いと思うんです。それしか出来ないって事なんだと思うんですね。

――自分の力の及ぶ範囲って、自分で把握しておく必要がありますしね。

井上 「何でもやる」というより「あまり広げ過ぎない」というスタンスですね。その辺りは職種による特性もありますし。うちみたいに、恐竜みたいに馬鹿でかい工場を持っちゃったら、そこで出来る事以上の事は出来ないわけです。少人数でベンチャーのような形で事業を起こしてる人だったら、元の事業に関わる新しい事業をどんどん起こしていくというアプローチもあると思うんです。実際にこの街にも何人かそういうスタイルの人もいますよね。だけど僕の会社はそうじゃなくて、図体が大きくて、工場を移転するだけでも巨額の費用が掛かり、なかなかそれもままならない。だからここに根付いていくしか無いという事なんですね。

■ 震災後の混乱期に何があったのか、詳しくは聞かなかった。何と言っても、あの放射能汚染パニックの中で操業を再開した食品メーカーだ。数限りない困難があった事だろう。
そんな中にあって、会社として不安を払拭し、従業員をきちんとまとめ、先行きを見通せるようにするには、まずは従業員と理念を共有する事だったのだ。井上さん自身も「潰れるかも知れない」と思うほどの状況にあって、まずは松永牛乳に関わる人みんなが目指すべき道標としての旗印を掲げたのである。そしてそれは成功を収める。その旗印目指して関係者が一丸となり、最も混乱した時期を乗り越えたのである。この「旗印を掲げる」という事は容易な事では無い。責任の所在を明確にし、ある意味退路を断つ事でもあるからだ。人が集まれば様々な意見も出る。その中には当然食い違う意見もある。そこをまとめるには難解な理念を掲げては駄目だ。井上さんが掲げたものは、まずは「安定と効率」、そして「関わる人たちに栄養を届け続けよう」というものだ。単純明快である。この分かり易さが、震災直後の混乱期には必要だったのだろう。紆余曲折はあったであろうが、松永牛乳は今でももちろん、南相馬を代表する会社として元気に存続している。周囲にハッピーを届け続けながら。
そして井上さんは、松永牛乳を通じて届け続けられるハッピーが限定的だという事も分かっている。大事なのはあくまで「乳業事業を通じて」というところであって、範囲をあまり広げ過ぎず、自分たちの担える範囲の事を行うとしている。この部分は、この後の話の中でも出てくる部分なのだった。


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ダイアログインタビュー ~市井の人~ 井上禄也さん2

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