僕の人生の分岐点ー高校時代の不登校からの脱却ー②

僕の家は一言でいうと「教育家族」でした。親は小学校の頃から僕を塾に入れたりと、教育に対する投資を惜しみませんでした。しかしその理由は「いい大学に入ってほしい」とかというよりは「このままだと何もできない子に育ってしまう。せめて勉強はできていてほしい。」という親の願いからでした。
前の記事で書いた通り、僕はコミュニケーションがうまくなく、また運動もあまり得意な子ではありませんでした。それを見て親はせめて最低限の勉強はできるようにとありとあらゆる手を尽くしてくれました。今となっては感謝の気持ちしかありません。

さて、僕が高校時代に診断されたアスペルガー症候群とは、一種の自閉症やコミュニケーション障害の一種です。僕は医者ではないので詳しいことはわかりませんが、いわゆる「ズレている」ということです。同じ日本語を喋っているにもかかわらず相手が何を言おうとしているか分からない、著しく行動がマイペースである、などが主な症状であると思います。
僕の場合はこれに加えもう一つ人と対立しやすい原因がありました。それは僕の家が転勤族だったことです。父親の仕事の関係で僕は転校を3回余儀なくされています。僕は小学二年生のころに富山から名古屋、小学五年生の頃に名古屋から富山、そして中学三年生のころに富山から関西(兵庫)に移っています。この3回という数字、もっと多くの転校を経験している人もおられますでしょうが、ただでさえ僕はアスペルガー症候群を抱えていたのでこの3回の転校は非常に僕にとってきつかったと思います。
ただの国内の移動でしょと思われるかもしれませんが、この3つの地域の人の感じや文化などはかなり違っていると思います。これはあくまで僕の一意見なので、ご批判などはどうかご遠慮いただきたいですが、富山の人々はやや閉鎖的、良く言えばムラ意識が強い一方名古屋は富山に比べまだそんなに閉鎖的ではないですが依然としてムラ意識はあったと思います。そして関西はこの3つのなかでは一番特徴的で、割と人々が陽気、開放的、笑いのまち、である一方かなり言い方が強く、いい言い方をすれば人情味があるような気がします。
ましてや僕はアスペルガー症候群を疑われていたので上記の人間性の違いにかなり敏感に反応していたのではないかと思います。そして僕はこの一番特色のある関西で多感な高校生時代を送ることになります。僕がアスペルガー症候群だったことに加え、多感な時期に過度な環境の変化を経験したことが一つの不登校の原因ではないかとの見方もできますよね。
次の記事では具体的に高校生時代に起こったことを話していこうかと思います。

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