「職人工場長のひとこと」

鉄鋼関連の製造業で営業職に就いていた頃のことです。

当時の本社工場の工場長は、いわゆる叩上げの職人工場長でした。
クチは悪いし顔も怖い。けれど腕はピカイチで、何かユーザーとの間で持ち上がった課題を解決すべく相談したときのアドバイスやアイディアは抜群でした。

怒られたり、皮肉を云われても気にせず、扉を叩くと稽古土俵に上がり、胸を貸してくれる、頼もしい先輩でした。
この方が本社工場の長となり、本社でつくられている製品が、主な顧客への販売商品だったわたしとしは、とてもありがたかったのですが、一方で、職人が抜けてしまった、もとの工場の方に一抹の不安を覚えていました。
予感は的中し、半年ほど経つと工場長の抜けた工場で不良クレームが続きました。工場長と同行した出張の帰り道、営業車のハンドルを握りながら、原因の定かでない不良について説明すると、黙って腕組みをして聴いていた彼が職人の目つきで言いました。
「毎日おなじ品質のモノをつくるためにはな、毎日おなじことしていちゃぁダメなんだよ・・・」
思わず唸らされる深いことばでした。
日常生活も一緒です。常に感情的にならず、おなじ精神状態でいること、凪いだ海のように、小春日和の陽射しのように、他人に安らぎを与えるというのは普通の人間には、なかなか出来ことではありません。
今も工場長の言葉を人生訓として胸にしまっています。
あれから10年が過ぎ、日本人なら誰でも聞いたことがあるであろう大企業が株式の半数以上を買収し、私たちの会社は完全子会社となりました。世間の信頼性は高まりましたが、一方で現場のチカラは落ちてゆきました。

コンプライアンス重視、株主重視の経営は世の潮流ではありますが、中小企業の強みであった現場の職人気質は消えました。
時どき、元工場長に工場に顔を出して、アドバイスして下さいと伝えても「絶対にイヤだね・・・」と取りつく島もありません。すぐ近くのマンションに奥様と暮らしているというのに。
そんなある日、奥様に買物にゆきたいと頼まれ、自家用車で自宅から少し離れたスーパーに買い出しへ向かった元工場長、工場に隣接する交差点で信号待ちをしていました。

すると、急にハッとたように、後方を確認、クルマをバックさせ路肩へ停車すると「ちょっと待っててな・・・」と言い残し、工場のフェンスへ近づきます。
絶妙のタイミングで工場から出てきたヴェテラン社員さんを見つけ
「おい!〇〇っ、機械の余直ロールの締めがあまくて変な音がしてるぞ!」
慌てて工場に戻るヴェテランさん・・・暫くすると機械が停止し、再始動すると異音はなくなったそうです。
しきりに頭を垂れる後輩を後に、満足げにクルマに戻る職人の神々しい後姿は任侠映画の健さんのそれに負けません。
「聞きましたよ、異音の件・・・だから工場に顔出して下さいよ、事務棟には顔出さなくたっていいんですから・・・」
「イヤだ・・・」と言ったきりの頑固ジジイです。

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