「社長のひとこと」

亡くなられた落語界の鬼才、立川談志師匠の言葉に「修業とは矛盾に耐えること・・・」というのがあります。

談志師のお弟子さんで現代を代表する古典落語の名手、立川談春師匠が、
師弟の過酷な日常を抱腹絶倒の『赤めだか』というエッセイにまとめています。
この本を読んで、弟子である談春さんの側から「修業とは・・・」という言葉を噛みしめてみて「そうか、あれは俺の修業時代だったんだ・・・」という思いに至りました。
私が社会に出たのはバブル絶頂期でした。人より遅く大学を出て、目指していた職種には就けず、選んだのは、というか縁があったのは画商の仕事でした。
この小さな画商の社長は、正に個性の塊りのような御仁でした。下町育ちで、落語の中の登場人物にも通ずる江戸っ子気質のひとでした。
従って、叱るときの啖呵と声の大きさは相当のモノでした。採用面接のときから、どういう訳か気に入って頂けたのが運の尽き。採用通知をもらって直ぐに卒業試験が終わったら、アルバイトに来ないかというお誘いを受け、年明けから雑用をさせてもらいました。
私が卒業旅行で海外へ行くつもりだ、というコトを4時間弱に及んだ異例の面接の際に話したので、配慮してもらえたようでした。
バイトの最後の日に経理の方がバイト代の入った封筒を持って来てくれたので、あとから見える社長にも、お礼を述べ帰ろうとしていると、
「幹部会議をやるから、さわりだけ聴いて帰れよ」ということで部屋の隅っこで、聴かせてもらいました。
会社宛に旅先からお礼の絵葉書を出し、帰国した翌日から、出社せよとの
指示を受けていたので3月末には、ひと足早く社会人の末席に就きましたが、そこから私の「怒られ役」がスタートしました。4月から同期の人たちと一緒に、数日間のオリエンテーションを受け、直ぐにOJTという具合でした。
現場重視、実力重視、性別、学歴関係なし。
新人が集められても、新人だけでなく先輩が一緒でも、とにかくよく叱られました。自分自身のことだけではなく他人のことでも怒鳴られる。怯むことなく社長の眼をみて「ハイ」とお小言をきくのが私の仕事の大きな役割になりました。
なのに、だからなのか、それなりに目をかけてもらい、社長の名代でパーティーや弔問へ出向いたり、という経験もさせてもらいました。
ときには人間国宝の木版画の彫師の先生のお話を拝聴したり、ドイツから来日した現代アートの画家さんの創作活動に同行したり、得難い時間が得られました。
ある時、社長のお供で出張した折、新幹線の中で不意に訊ねられました。
「おまえなぁ、お前が仕事から上がって寮に帰ったら、電話で明日の朝、
どこそこへ直行してくれ、って出張命令が来たとする」
「はい?」
「受話器を置いて、お前は一番になにをする?」
社長が求めていることが、先方の資料作りだとか計画づくりでないことは
予想がつきますが、さて、まず一番にすること、とは何か?
しばし考えている私に社長が言いました・・・
「まず、靴を磨くんだ・・・」
「(靴を磨く?)・・・・」ピンと来ていない様子の私に社長が続けます。
「お前が、翌朝、部屋を出るときに最後にすることは、玄関のカギをかけることだ。その前に靴を履く・・・仕事は終わりから、ひとつ、ひとつ遡って、受話器を置いた、いまの自分のところまで戻って来るんだ・・・」
これは、社長から戴いた一番の贈物です。社会人として最初に心に響いた
教訓でした。
叱るときの横暴さは、現代では明らかに「アウト」です。ですが、若い
自分には得難い人間修行の時間でした。
「まず靴を磨け・・・」
のちに転職し、結婚し、ふたりの子の父となり、職場での責任も増してゆく中で、きちんと靴を磨くことから遡及する生き方をして来られたか、いささか心もとない気もしますが、私の心に残る遺産となっている言葉です。
因みに今まで、部下や同僚、友人にこの「お前は一番に何をするか?」の
問いに正解をしたひとは誰もいません。

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