省エネ大賞 節電技術開発物語 1.1.2 がまん

前話: 省エネ大賞 節電技術開発物語 1.1.1 ろうそくと食事

 我が家では白熱電球から蛍光灯による照明に変化していったのも昭和30年代中頃でした。父親が蛍光灯照明ではその明るさが白熱電球の何倍も遠くに届く、と言いながら、わざと遠くの庭先まで出て新聞の記事を読んでいたのを思い出します。

 私の家には第2次世界大戦前に父親の兄が購入した電熱ヒーター暖房機がありました。蔵の中に眠ったままでしたが、私たち兄弟や近所の友達で冒険と称して薄暗い土蔵の蔵に入って何やらめずらしいと思うものを物色していた時に見つけたものでした。しかし、祖父母や父母は停電や電気代のことを考えて使用していなかったようです。

 大量の電気を消費する料理用の電熱コンロも使用頻度は低いものでした。照明が蛍光灯に変化したのはエネルギー効率が良く同じ電力消費量でも明るさが大きいことが大きな要因だったと思います。これは大切な電気はがまんして大切に使う考えの表れで、家族全員がそのことを了解していました。電気やエネルギーに限らず、不足気味の方がありがたさが理解でき、不便さも体験でき、その不便さを克服する工夫、発明、発見が可能となるのではないでしょうか。

 私たちには二人の子供がいます。娘は昭和47年(1972年)生まれ、息子は昭和49年(1974年)生まれで、いわゆる第二次ベビーブーマーと呼ばれる世代です。私たち第一ベビーブーマー年代の子供は一般的には生まれた時からテレビや自動車など物質的には大変恵まれて育ってきたはずです。ですから、我慢、苦労や工夫という概念は親の世代よりは希薄なのは仕方ないでしょう。

 私たち夫婦は金銭的にそんなに恵まれている方ではありませんでした(今でもそうです)が、教育の重要性、必要性は理解しているつもりです。従って子供が大学教育を望めばその実現に協力しましたが、金銭的には自立の道を選択させました。大学の学費と生活の場としてのアパート代は親として支出しましたが、食費や娯楽費などは自費でまかなうようにさせました。奨学金を支給してもらいそれを自分で返却するのも広い意味での社会勉強の一つです。金銭感覚と金銭常識は大学を卒業するまでに自分でしっかりと身に着けなければ後で困るの本人たち自身です。

大学教育は親のために受けるのではありません。大学教育に必要な費用は本人が自分自身の将来のために選んだコースに投資するお金です。親として子供の教育に協力できる投資金額にはおのずと限度があります。この限度は家庭により異なるでしょうが限度額以上の協力は甘やかしに通じます。そして親子双方によい結果をもたらしません。

 必要以上に与える、甘やかすことは決してよい結果を生みません。学校に行っても勉強もしないのに家に帰れば食べて寝る場所が確保されている過保護状態が今日の日本人学生の勉学意欲を後退、消滅させている原因の一つでしょう。それが就職時の雇用者と就職希望者のミスマッチの原因でしょう。

話がエネルギー問題からは飛躍しましたが、過剰供給、過保護からは次世代を育てるような考え、力は育ちません。厳しくするより甘やかす方がずっと楽ですが、心を鬼にして我慢する、厳しくすることが大切です。


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