日本社会の底辺に落ちてから
◆
その頃の夢といえば、「勝組になる」と言うただそれだけ。
勝組と言っても、スーツで出勤するごく普通のサラリーマンだ。
決して起業家や、投資家ではない。
その頃はユーチューブもなかったし、ネットメディアも盛んではなかったから、10代のガキがそんな起業家や投資家などと言う人種を知るわけもない。
皮肉にもサラリーマンを辞めて初めて、普通にサラリーマンが世の勝組だと感じさせられていたのだ。
その時の勝組の印象といえば研究者だろうか。
そう、会社で薬品なんかを扱う化学者とか、科捜研とか。
そんなのが雲の上の勝組。
社会を何も知らないままここを目指そうと、その頃の私は考え始めていた。
馬鹿だと思う。
低学歴、情弱、喧嘩と女位しか考えてこなかった男の思考はこの程度なのかもしれない。
それでもその時の私は、今のこの状況を抜け出すため、立派な会社で研究者をするようなそんなサラリーマンに憧れた。
だがただの高卒がいきなり研究者になどなれるはずもない。
そんな時にたまたま見つけたのが薬品を扱う倉庫の仕事だった。
よくわからなかったが、少しでも化学に近づくならそれもいいかと私はそこで働くことになる。
だがそこはただの倉庫だ。
薬品も結局の所なんの関係もなく、気付けば毎日ただプリンターのインクをピッキングしてダンボールに詰めるだけの毎日だった。
何をしているのかと思ったが、地味でルーティンな仕事も意外に嫌いではなかった。
その当時にしては給料も日給一万と、繁忙期には残業も死ぬほどあって月に30万近く稼げる事からすっかりそこに居座っていた。
自腹で数万の出費をして、フォークリフトの免許を取ってからは、新たな事業展開が決まり派遣社員にも関わらず現場責任者を任されていた。
2年も立つ頃には正社員試験を受けないかとの話も出た。
某大手〇〇通運の本隊社員だ。
もしなっていれば今頃マンションでも買っていただろう。
だが私はその話を蹴っていた。
何故ならその職場で出会ったある一人の先輩に職業訓練の学校なら化学も学べるんじゃないかとの話を聞いていたからだ。
私はまたも、全ての安定を捨てて、身銭を切ってその職業訓練に通うことにした。
この時22歳だったと思う。
◆
職業訓練校は、ハローワークが行う就職支援の為の技術習得を行う学校だ。
入学試験は簡単で、期間や科目によっては無料で行くことができる。
しかも失業保険を貰いながらなので、その学校に毎日通いながら月に15万程度が支給される。
私は入学費10数万を払い、一年間化学に関する技術習得を行った。
そこでは今まで会ったことのないような高学歴、頭の良い人が多くいて、自分との世界の違いをまざまざ見せつけられた。
だが私は毎月勝手に振り込まれるお金で、毎日酒を飲んだり、友達と遊んだりを繰り返していた。
その間にも彼女はバイトをしていた。
一向に良くならない生活の中、それでも若い二人は楽しかった。
一年の疑似学校生活が終わったものの、結局学歴は変わらない。
あくまで職業訓練は職歴だ。
私が化学系の会社に入社することは極めて困難だった。
この頃から私は日雇いに身を染めるしかなくなっていた。
思えば既にどれだけの職種を渡り歩いただろうか。
飲食の接客から、ホテルマン、温泉、スキー場、倉庫作業に、バーテンダーに警備員。
ティッシュ配りに図書館受付、コンビニに測量、携帯販売、アパレル、ホストにデリバリーホストもやった。
他にも何かしらやった気がするがもう覚えていない。
彼女と共に日銭を稼ぐ日々。
苦しい生活費。
見えない将来。
喧嘩も増え、次第にお互い浮気を普通にするようになっていた。
挙げ句の果てにはお互いの新しい相手を家に呼び合い乱交状態だ。
諦めと絶望。
ごまかしの日々。
食べる物すら買うのが大変で、女性の家に上がり込んで身体を対価にご飯を貰っていた。
トイレットペーパーの紙が買えなくて、よく駅から盗んだ。
もう分かっていた、自分の人生が詰んでいると言う事は。
練炭自殺をしようとトイレを内張りし、火をつけた。
睡眠薬が無く、途中で目の痛みに耐えられなくなり、涙と鼻水と煙に咳込みながら必死に内張りをはがして脱出した。
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