日本社会の底辺に落ちてから
これだけ辛いのに、こんなに意味がない人生なのに、身体だけは生にしがみついていた。
情けなくて、悔しくて、悲しくて、ただ泣くしかなかった。
その頃から、彼女との終わりも確実に近づいていた。
◆
いくつか山のように登録していた派遣会社。
その中でも一際他よりも敷居の高い派遣会社から、仕事を紹介する広告が入っているのに気づいた私は、ダメ元で化学系の仕事へ応募していた。
何社か面接を受け、そのうちの一つがフォークリフトを持っていて、若い人を欲しがっていると言うことから奇跡的に私が選ばれることになった。
一部上場企業の子会社、そこの化学分析系の部署だった。
恐ろしい事に周りに高卒等はいない。
いるとしてもベビーブームに生まれた世代で、いくらでも大手に就職出来た年代の人達ぐらいだ。
国立大学が当たり前。
東大、早稲田、慶応とさすがの私でも知っているような大学を出ている人間が普通にいる会社だった。
そこで初めて私は、大学卒より上の、院卒、ドクターがあると言うことを知った。
夢のようだった。
まさかゴミの掃き溜めの中で、所得税すら払っていないような人間たちの中で生きてしまった自分が。
勝組だと思って来た人間と共に働ける日が来る等。
私はあくまで派遣だったが、それでも時給は破格の1500円。派遣のくせに年に一度数万のボーナスも貰えた。
考えられなかった。
今までやっていた派遣は何だったのかと。
ここまで簡単に金を払ってくれる世界があるのかと。
この転職によって、私の家計はあっと言う間に好転し始めていた。
だが同時に彼女との仲は、悪転の一途を辿った。
◆
彼女との仲を終わらせようとしていたのは私だけではなかった。
随分前から続くマンネリのせいもあるし、若さもある。
合わせて彼女と私の両親の仲は最悪だった。
彼女とは学生時代からの付き合いもあり、色々と破天荒で自由にやっていた私が原因で、彼女の印象は私の家族からは最悪だ。
それに輪をかけ、私の家の宗教思考は彼女にも合わなかった。
特に私の家族が、彼女の家族を貶したことが何よりの原因だろう。
経済が安定してきたと同時に、私は8年と言う不遇の時を共に歩んでくれた人を手放した。
◆
気付けばもう32歳の私は、資本主義の底辺に落ちてから10年以上の時が経った。
あの時の、私の意味のわからない勝組になりたいという思い。
それは既に実現している。
私はそのまま正社員となった。
時にスーツを来て、時に接待をし、ボーナスを貰い、高学歴と話を合わせて。
あの頃二人合わせて手に入れた年収は一人で手に入るようになった。
気付けば夜の世界から引き上げてあげたいと思っていた中卒の女性を嫁にし、その人との間に生まれた子供ももう4歳だ。
ここまで書いていてすっかり昔を思い出し、泣きそうになった。
そうして思う。
世の中には随分としなくていい苦労があった。
よく、お前は苦労が足りないと吐き捨てる人間がいる。
絶望を知らない、挫折を知らない。
だから弱いと。
勘違いも甚だしい。
記憶を整理して分かったのだが、苦労する人間というのは、それだけ好き勝手な事をした人間にしか訪れない。
逆に苦労をしない人間というのは、それだけ自分の欲望を抑えてきた人間だ。
仕方なく社会のレールに乗る為に勉強も頑張っただろう。
世の中にはしなくていい苦労が多くある。
苦労なんてしなくても幸せになれる。
寧ろ苦労すればするだけ幸せは遠ざかると言うことを伝えたい。
日本社会の歪な層を様々味わった私は、今や安定的なサラリーを得て、パソコンを弄るのも初めての所からデザインで副業をしたり、サイトやブログ、ホームページを作るまでになった。
これから先、私が副業を本業に出来るかは分からない。
本業を失って、また底辺に逆戻りするかもしれない。
この世に本当の安定等ないのだから。
それでも自分で這い上がった力と、傷つけた数多くの人達と、助けられた多くの人達を私は忘れない。
次の私の夢はなんだろうか。
面白く生きたい。
人は一人じゃ生きていけないから、どうか愛のあふれる世界になってほしいと心から願う。
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