借金300万円抱えて起業した僕が世界45ヶ国を飛び回ることが出来るようになった話

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「安定なんかこの世にはないのかもしれない」



僕は2008年度入社組で、安定の代名詞とも言えるような大手企業に入社した。
「安定した企業に入って、安定した生活をしなさい」
そう、公務員だった両親から教わっていたのでその通りに生きてきて、両親のいいつけ通りに就職活動をして内定をもらった。
これでオレも安定の人生ゲットだぜ!
そう思った僕の心は半年後には砕かれることになった。

リーマンショックが起きた


記憶にある人も多いかもしれないが2008年にサブプライムローンの崩壊をきっかけにリーマン・ブラザーズが破綻した金融ショックはリーマンショックと言われ、その影響は日本にも波及した。
企業の株価は大暴落し、2007年には16569円あった株価が2008年10月末には8576円となった。ほぼ半額になった。
このことで、僕の働いていた会社は新卒の僕らも対象にしたボーナスカットを実施した。新卒なので3%というボーナスカットではあったが管理職は       50%カット、役員は80%カットという緊急事態だ。
更に、管理職と役員は月給のカットもしばらく継続された。
翌年には内定切りなどで日本中の大手企業が新卒の採用を控えるほどになり、前年2兆円の利益があった僕の会社は2000億円の赤字に一瞬で転落した。
この時、僕の中で安定は安定ではなくなった

株の勉強を始め投資に関心を持つ


安定の大企業の社員でも明日は安定ではなくなるかもしれないという不安から僕は株の勉強を始めるようになった。きっかけは母親がなんとなく当時の証券会社の営業マンに勧められてよくわからず買っていたブラジル債の配当を見た時だ。
その配当金額だけで、僕の会社からもらっている給料の金額を超えていた
「母さん!これなんで配当こんなにもらってるの?」
「え?しらなーい」
なんだと。。。知らないだけの適当さで給料分稼がれたらたまらん!     オレもやる!!オレもやるから!!!
これが、僕が投資を勉強した最初のきっかけだった。


特大の詐欺に遭い、貯金が50万円に減る


株だけでなく投資というものに興味を持った僕は株以外にも手を出していた。株は正直この頃は全然勝てていなくて、自分で取引するのもよくわからないから最終的に親と同じレアル債を購入して配当をもらっていた。
この何もしていなくても配当が入る、というシステムが良すぎたのか僕は投資に興味を持って勉強をするようになった。
そんなある時、知人の紹介で知り合った人にある投資に誘われた。
「今なら毎月○%のリターンがもらえる投資があってオススメだよ」
投資信託の配当に旨味を感じてた僕は対して勉強もしてないし、知識も備わってないいわばにわか投資家だ。運用先のリスクも実態も内容も精査せず配当という言葉に釣られて安易に貯金をすべて投資してしまった。
それが詐欺だった。(後に新聞でも大きく取り上げられました)
僕は一度も配当をもらうことなく、自転車操業状態(ポンジースキームともいいます)の最後に投資をしたことで完全に破綻した状態となり、お金は戻ってこなかった。
投資はしっかり知識を付けて勉強しないといけないよね。逃げた側からしたら僕は鴨がネギを背負って歩いていたように見えたはず。            こいつはチョロいぞと。
当時結婚した直後の25歳、子供も生まれたばかりのタイミングで      貯金がいきなりなくなるという緊急事態発生!!              家族も養わないといけないのに窮地突入!
安定を進もうとする僕の人生はどこへやら!(笑)
投資に興味を持ったらいきなりドン底へ落ちることになった。        でもこの時余計に人生は何があるかわからないなと強く思ったんだ。

日経225オプション取引と出会う


全財産50万円となった僕は復活を強く願ったけれど、何をしていいかわからない。貯金をすべて失っていた僕は投資も怖くなっていた。
そんな時、日経225オプション取引で買っている知人に会って今回の事の顛末を話して相談したら
「じゃあ、これ(日経225)勉強してみる?教えるから」
と言われて藁にもすがる思いと、もうこれでやるしかない!         という両方の極限の精神状態の中で復活をかけて取り組むことを決めた。

投資ド素人の僕が取引で勝てた!


知人の教えは今振り返るとまあまあ適当で、2日間カフェで教わっただけだったんだけど、まさかのその教えで僕は勝つことが出来た。
1ヶ月で8万円の勝ちだった。
株でもうまく成績も出ず、取引もめんどくさいと思っていた僕も勝つことが出来た。

やはり、結果を出している人から教わることが大事なのだと素直に思った。


僕は次の月もその次の月も勝った。なんと三連勝だ。            人間は簡単に天狗になる。僕もまさにそれ。もう敵なしだと思っていた。   このまま資金を増やして、詐欺の分も一瞬で取り返してやるぜ!!
しかし、伸びた鼻は折られるのだ。僕は翌月初めて負けた。         ポッキリと折られた。
でも、不思議と嫌ではなかった。自分の慢心のせいで負けたことを知っていたので直すことが出来れば次は勝てると思うことが出来た。

シンガポールの証券会社にアポなしで訪問



日経225オプション取引との最初の出会いから3年が経ち、僕はまだ取引を続けていた。勝ったり負けたりを繰り返していたけれど、確実にスキルが上達していてトータル収支は勝っていた。
そんな時に問題が起きた。
2013年5月に世間がアベノミクスだとか騒いでいる最中に、またも相場下落が市場を襲った。アベノミクスショックというやつだ(世間は何でもショックにしたがる笑)。
ここで勝ったり負けたりを繰り返す僕は初の相場ショックに負けるのだが、この時にそれ以上の問題が起きた。
個人投資家達の損失を受けて証券会社での運用金額制限などの問題が起きたのだ。今後の展望や将来的な未来の中で、もしも運用金額を増やすことになったとしても今の証券会社ルールの中だと出来ない可能性が出てきたわけで。
国内の証券会社は電話をしたけど軒並み無理の回答。じゃあ海外行くしかないよねってことで日経225の取扱いがあって、日本人スタッフがいると書かれた証券会社をアポなしで訪問することにした(当時英語はまったく話せなかった)。
ここで、海外証券会社の口座を開設出来れば元通りの取引が出来るかも (当然海外証券会社が今回の相場ショックで規制しているかなんて知らないので、行くだけでも既に賭けだったし、日本人スタッフがいる保証もなかった)。
そして、まだ当時はサラリーマンとして働いていたばかりだったことと、将来やってみたいことが少し見えていたことで転職をしたばかりの僕は(安定はどこへやら笑)、転職1年目の分際で先輩を置き去りに早々に夏休み休暇を出すという暴挙を社内で起こしてシンガポールへ飛んだ(笑)
もちろん、旅費は支給されたばかりの夏のボーナスをあてこんだ(僕には貯金はない)。


シンガポールは家族旅行ではるか昔に来たばかりで記憶もほとんどない僕にとって、もはや初めてといっても過言ではなかった。
整理された街並み、素晴らしい景観、アジアで日本に次ぐ上下水道完備の国で、アジアでは香港と双璧を成す金融立国だ。
とりあえず目的の証券会社に行きたいけど、場所がイマイチよくわからないし、なんかお腹も減ってきた。
ひとまず、腹ごしらえをすることにした。

シンガポールといえば、チキンライスとラクサだろうってことで、屋台村みたいなところで食べた。350円くらいで財布に優しい。うまかった。      なんだこの食べ物は!!
凄い感動したところで、証券会社を探してやっとこさ辿り着いた。      多分ここで間違いないはずだ。
証券会社の入っているビルは通常ビルの1階に総合受付とかがあったりする。例に漏れずこのビルも総合受付があり、JRの自動改札機のゲートみたいなやつまであった。


しかし、僕は当然アポイントなんか取っていない。どうしようかなって思っていたら、受付はお昼休憩なのか誰もいかった。
それどころか、偶然にもゲートが修理中で開きっぱなしになっていた!
これは行くしかないよね?いいんだよね?入っちゃうよー?
僕はそのまま、証券会社のフロアに上がっていった。            決して不法侵入ではない。​不可抗力ってやつだ。
証券会社に入ると受付がある。当然ここには受付嬢がいる。         僕は下手くそで話すことも出来ないから
「ジャパニーズプリーズ」しか言えなかったが必死に日本人を出してくれと伝えた(英語を勉強してこなかったことをこの時死ぬほど後悔した)。
そしたら2分後くらいに
「どうかしましたか?」
という声と共に、1人の日本人が出てきてくれた。

シンガポールで出会った1人の日本人ファンドマネージャーとの出会いから押しかけ弟子入りする


その人はその証券会社の日本人向け営業本部兼リスクマネジメント部門の 統括責任者だった。偉い人だ。
僕は、日経225をやっていること、日本の相場ショックで取引金額制限からシンガポールに飛び込みでやってきたことをその人に話した。
そしたらその人は笑って言ってくれた。
「君、面白いね。それじゃあ僕と一緒にやろうか。ウチで口座開いてあげるよ。」
「え?マジですか!ありがとうございます!!!!」
こうして、僕はその人が担当者となり海外での証券会社の窓口を開けることが出来た。思ったら行動してみるものだ。ラッキーである。
そして、その人に今までの取引のやり方やこんな時に失敗して負けたことなどを話したところ。僕の圧倒的知識不足、世界の経済を知らなすぎること。投資をする上で大切なリスクマネジメントが出来ていないこと。取引のタイミングとなるチャンスの掴み方を本場の証券会社のリスクチームと一緒に学ばせてもらえることになった。


英語がわからない僕は彼におんぶにだっこだったが彼が色々とポイントを教えてくれたし、取引の時に必要な考え方を何回も教えてくれた。
僕は4日程度で日本に帰ってしまったけど、そこから約2年に渡り、彼の元で弟子のように教わることで僕の取引は完全に確立された。
当然である。日本の証券会社はお客さんに損失があっても責任を取らなくていいが、海外の証券会社はお客さんが損失を出すと、担当者が会社から責任を取らされるのだ。最初から背負っているものが違う。
彼は15年以上、シンガポールで金融商品取引に携わるプロだった。
とはいえ僕のこの時の運用金額なんて100万円程度のものだった(2年も取り組んで50万円しか増えていないので、別にセンスも才能もあるわけではない)が、それ以上に大切なことやきっかけを貰うことが出来た。         2013年8月のことである。

ついに独立!!しかしお金がないから300万円を銀行と消費者金融から借り入れることに


取引を学び4ヶ月くらいで僕は運用に変化を感じた。明らかに今までと段違いの成長速度である。当然だ、今度はプロから学んでいる。
僕は昼はサラリーマン、夜は約2年以上これまで投資勉強に明け暮れていたが、その時にふと思った。
「これは、誰かも知りたい技術なのではないのか?」
詐欺に遭い、ドン底を経験した僕が知人に教わったことがきっかけで運用で勝てるようになり、シンガポールで今度はプロからその技術や考え方を教わっていくようになっている。勝つためには勝っている人から正しく学ぶことが大事なのは痛いほどわかった。

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