paperboy&co.創業記 VOL.2: バイアウト後の東京進出

前話: paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで
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会社、個人それぞれの銀行口座に数億円が振り込まれた。
僕らはGMOインターネットグループにジョインした。


25歳の春だった。


個人、法人共に立場が激変した。まずペパボ。

それまで有限会社だったのを株式会社化した。福岡のままでも良いよ、と熊谷さんには言われてたけど、元々東京への移転を健太郎(くわがた)と話していたので、本社を渋谷セルリアンタワーに移転した。東京は福岡と違ってとても刺激的だった。良い意味で変人が福岡に比べ多かった。


同世代で野心を持った人も多く、それまで福岡でほのぼのと会社経営をしていた僕はとても影響を受けた。同じ時期に京都から東京に移転したドリコムの内藤君はまだ上場前でblog of the year!とかやってたし、gree田中君はまだ楽天にいたし、イーマーキュリー(現mixi)笠原さんはmixiを開発中だったし、はてな近藤さんとは家族ぐるみでお付き合いさせてもらってたし、はてなCTO伊藤さんはまだニフティだったし、sixapart宮川さんはまだライブドアだったし…ああ懐かし。切りがない笑。今思い返すとたった数年でみんな状況が変わってる。76世代は草食男子とか言われたりもしたけれど(今の彼らを見ると全くそうは思えないんだけど、とにかく当時は草食だと言われてた)、みんなどん欲にとにかくハングリーに動き回って、今に至ってるんだと思う。

そして僕のプライベート。


福岡の百道から、セルリアンタワーの事務所に歩いて行ける、渋谷区南平台に引っ越した。高級住宅地だった。株の売却益は、両親へのプレゼントと東京への引っ越し代金、残りはよくわからないまま運用に回してみた。20歳前後の時は、博多駅前でオカリナを吹いて生計を立てて行ければいいな、くらいにしか考えてなかったから、正直、数億円が銀行口座に入っている意味が良く分らなかった。まあでも親には不登校などで色々迷惑かけたし、恩返し出来て良かったな、くらいに思っていた。


前述の同世代経営者との交流が増えた。みんな独立系で、野心に燃えていて、初めて「ああ、僕はグループ子会社の社長になってしまったんだな…」としみじみと実感した。GMOが嫌だった訳じゃない。むしろ大事に暖かくペパボを見守ってもらって、僕を経営者として成長させてもらえて、とても感謝している。


ただ、同世代経営者の中で自分だけがグループ子会社の社長、という状況が、寂しかった。


自分で決めた事だ、と無理矢理自分を納得させた。

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