20歳目前の愛猫の死、理想的に見送れた話 ~看取りのプロが自分のペットとどう向き合ったのか~後編

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前話: 20歳目前の愛猫の死、理想的に見送れた話 ~看取りのプロが自分のペットとどう向き合ったのか~中編

私は悲しい、ミーシャがいなくて淋しい。もっと一緒にいたかった。

 

そんな自分の思いを全て出すことを許可した。そして、友人にもちゃんと伝えた。

 

素直に「私は淋しい」と。そこには、わかってもらおうという思いはなかった。

 

ただ言いたかっただけ。アドバイスも何もいらなかった。ただそうなんだねと聞いてもらいたかっただけ。

 

悲しみや淋しさを癒して欲しいという思いもなかった。どんな言葉か返ってこようと関係なく、私は聞いてくれる人がいたことに幸せをものすごく感じた。

 

すると、友人たちの愛をびっくりするくらい受け取る自分がいた。こんなの初めてだった。

 

今までは、自分が思うようにわかってくれなければ、ストレスだったから。今回は、どんな反応でも、ありがたいしかなかった。そして友人たちの反応も、今までにないものだった。

 

淋しいと言えることは素晴らしいと褒めてもらったり(迷惑じゃないのねとびっくり)。

 

旅行に連れて行ってくれることになったり、心配で会いに来てくれることになったりびっくりだった。

 

ミーシャが亡くなって3日目の夜、変化が起きた。

 

悲しい淋しい思いはあるのだけど、身体と心がすーっと軽くなったのだ。そして心がとても温かい。

 

これは、私が私のことをわかってあげられていて、ああ、100%わかってもらえてるという安心感と嬉しさだった。

 

私の心がとても安心して喜んでいた。

 

私は今までずっとこの感覚が欲しかったのだと気付いた。

 

初めてのこの感覚、自分と繋がった感覚。

 

悲しみを味わい尽くすこと     

思いっきり泣いた。今まで、こんなに泣いたことはあるだろうかというくらい泣いた。

 

看取ったことは悔いがない、本当にやり切った。感謝も伝えきった。私がやれることは全部やった。

 

そのやり切ったというのと、ミーシャがいなくなって悲しい、淋しいというのは別物。

 

いつもの私だったら、泣くことをやめようとしただろう。早く前を向こうとしただろう。

 

だけど、今回は自分の感情を抑え込まないで思いっきり感じることにした。その代わり、泣き続けて呼吸も心もものすごく苦しくなった。

 

感じない方が楽なのにと思いながら、しっかりこの苦しさと辛さを感じることにした。出尽くすまで感じ切ることにした。

 

すると、34日泣き続けたら、次第に涙がとまってきた。びっくりした。

 

苦しさを感じたくなくて押さえつけるから、ずっと身体や心の中に辛い感情が残り続ける。

 

感じると辛いから、身体や心の中にしまい込む。

 

ということは、自分自身が自分の感情に蓋をして、無視をするということ。

 

でも本当はわかってもらいたいから、無意識に周りの人に「わかって欲しい」をぶつける。でも、周りの人は他人なので「わかってもらえない」時があり、傷つく。そんなことが多いんじゃないかと思った。

 

自分の感情を自分自身がわかってあげること、溜めずに出すことが、こんなに早くスッキリすることに繋がるんだと本当にびっくりした体験だった。

 

出し切るまで泣いたらいい、悲しんだらいい。

 

ミーシャがくれたもの~私の理想の逝き方~     

ミーシャが亡くなった翌日、参加した講座で亡くなる前日の夜に天然カンパチを8切れ食べたことや私の胸の上で亡くなったことなどをシェアしたら、目からウロコのフィードバックを貰った。

 

「もっちゃん(私のこと)は最期、美味しいものを食べて逝きたいんだね」

 

ああそうか。

 

私の望みをミーシャで叶えていたんだと腑に落ちた。

 

今まで何となくしか自分の最期をイメージしてなかったけど、今回のことで明確になった。

 

私は何を大事にしていたのか?を振り返ってみた。

病院にはいかない
住み慣れた我が家で最期を迎える
美味しいものを最期まで食べる
辛い症状はとってもらう
自分が生きたいだけ生きる(延命処置はしない)
自分が一番好きな人に抱かれて死ぬ
自分が一番好きな人にそばにいてもらう
沢山手を握ったり、マッサージやタッチングをしてもらう
沢山お話しをする(楽しかったこと、感謝など)
心地よいことをする

 

こんなことを大事にしていた。

 

私はこんな最期を送りたいのねと、すごく明確になった。

 

すごいものを教えてくれたミーシャちゃん。

 

感謝しかない。


おわりに     

  ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

 

 ミーシャが人生をかけて私に教えてくれたこと。

 

 必ずお別れする時が来るけれど、「今はまだ生きているんだよ」「生きている時間は喜びに溢れているんだ」ということ。

 

「生きている間に何がしたい?」ということ

 

私の場合は、ミーシャが生きている間に、一緒にいること、感謝を伝えることだった。

 

そして、どれだけ生きている間にやり切ったとしても、悔いがなかったとしても、実際にお別れが来て悲しくて辛いのは、当たり前であるということ。

 

その辛さから逃げずに、蓋をせずに、ただただ感じ切ることが、その時は辛いけれど、後からスッキリするには一番の近道になること。

 

私の理想の生き方、逝き方を教えてくれたこと。

 

ここにはまだまだ書ききれないことを人生を賭けて、生命をかけて教えてくれた。

 

この物語を読んでくださった皆様にも、ミーシャからのメッセージが何かしら伝わっていたら嬉しい。

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