「くそ忙しい現場を即日退職できて公的扶助の受給のおかげでしばらく静かな山奥の村に行って復活できた話」

即日退職というのは、うまくやらないと人生が狂います。
てゆうか狂いました。

まず最初に失敗した時のことをお話します。

当時20代の終わり頃だったと思います。

この時は、彼女と同棲を始めていました。
事情があり、彼女が無職になりました。

しばらくは彼女を休ませてあげたかったので、
自分がもっと給料の良い仕事はないかと転職活動をしました。

今思えば、本当に全くの世間知らずでした。


ハローワーク求人情報では結構条件が良く、
ただ自分が好き、かっこよさそうという理由で 、
個人経営ながら外車専門の中古車販売の仕事に正社員で就職しました。

オンラインでも中古パーツを販売している会社でした。
ネット販売はやってみたい仕事ではあったので、
「好きな車に毎日触れられて、ネット販売のノウハウも吸収できる」
そんな希望を持っていました。


しかし、家族経営の会社だけに 、
データ管理、在庫管理からコンプライアンスまで 、
いろいろとめちゃくちゃだったのでした。

データ上では存在しているが、どこに保管しているかわからない中古パーツ。

ネットで注文が入ったのに現物がみつからない。
(実際にもともと現物があったのかどうかもわからない)

物が散乱して山積みになったガレージで ホコリまみれになりながら、
必死に注文が入ったカーナビを探している先輩社員に向かって社長の奥様が叫びます。


「出てこなかったらアンタの給料から引くから!」


こんなに管理がずさんなのに 、現物がなかったら給料天引きって?!

それはお金がない私には最も怖いことでした。
外車パーツは基本、高額です。

なのに、管理がめちゃくちゃだし、
この調子だともしかしたら自分の給料はしっかり稼いで生活を支えるどころか、
給料自体がマイナスになる月もあるんじゃないか?


これ、彼女を支えるどころではなくなるぞ・・・


そう考えたら、真冬の2月で体調を崩していたこともあり、
本当に背筋が凍って来て、ゾクゾクと痛みすら感じてしまい、
恐怖のあまり、出勤3日でバックレました。

この時の本当の失敗があります。

それは、まだ若かったこともあるのですが、
失業保険のしくみを全く理解していなかったことです。
面倒くさいし、そのお世話にはならないと思っていました。


真冬の当時でしたが、彼女がインフルエンザにかかりました。
同居中の私にも伝染しました。

無職となった二人が高熱で、
三日三晩、無言で川の字で寝たのでした。。。

お互いの気持ちだけで一緒に住んではいるけど、
将来のヴィジョンが全く見えていませんでした。


三日間の静養の後、
生活はなんとかしなければいけないので
病み上がりのまま、すぐに働けて高単価な仕事ということで、
トラック製造の短期バイトに出ました。

トラック製造で担当した工程は
外でのナット・ボルトの増し締めです。
3月とはいえ、北陸はまだまだ雪が降ります。
降雪の中での作業は、病み上がりの体には応えました。


社員の方はともかく、
我々臨時バイトの昼ごはんはどこで食べるかというと、
屋根はあるものの、外気温と変わらない場所で食べます。

1人で食べる、真冬のひんやり冷めきった、
米も脂も、何もかも冷え固まりきった、あの弁当の味はつらかった。

生来、食べることが大好きな私でした。
しかし、
食べることが途中から苦痛になったので、
おにぎり一個を手短にトイレで食べることにしました。
(便座はヒーターで温かかったため)


もちろんそれだけでは生活費が足りません。
掛け持ちで深夜のサンドイッチ製造のバイトもしました。

トラック製造で疲れ切った体なのに、
今度はベルトコンベアの前で4時間立ちっぱなしで 、
高速で流れてくるサンドイッチの相手をする仕事です。

サンドイッチは箱に詰めるだけだったのでまだマシでした。

問題は焼きそばパンです。


高速で大量に流れ来る焼きそばパンの上に、
目の覚めるような鮮やかな赤色の紅生姜を一定の分量で乗せていく作業・・・

まず素人には、ひとつまみで定量の紅生姜を掴むなんて芸当はできません。

かと言ってもたもたしていると一瞬にして焼きそばパンが通り過ぎていき、
コンベア終点はまるで、鯉の滝のぼり状態になります。

だいたい普通の人の日常生活の中で、
焼きそばパンに紅生姜を乗せる場面がある人などいるはずがありません。


「ちょっとおおお!なんやこれえええ!?」

人生初の紅生姜作業で、主任・正社員様から奇声が発っせられます。

ちなみに食品製造工場の防護服は、みんな白い宇宙人のような格好をしています。
年下であろう女正社員の宇宙人たちから、一斉に冷たい視線が刺さります。

疲れ切っている私に、もう抵抗力は残っていません。
焼きそばパンを鯉の滝のぼり状態にさせて、帰路に着きます。
(焼きそばパンが嫌いになりました)


厳寒のトラック製造に、激流のサンドイッチ製造、
睡眠時間は連日1時間強という状態でした。

車通勤でしたが、いつも居眠り運転寸前で危なかった記憶があります。

サンドイッチ工場での勤務が終わると、
社内向けに販売している「訳あり品」のサンドイッチを彼女の朝食と昼食用として、
たくさん買って家に帰ります。


彼女は静かに布団で寝ています。
(彼女も当時、少し病んでいたと思います)

布団に入ると
私の冷たい体を、いつもやさしく温めてくれました。


・・・とにかくこの子を幸せにしないと。


しかし、
安い給料で働くということは、
「長い時間で働かないと稼ぐことができない」 ということになります。

守ろうとした彼女とは、
話したり、一緒にご飯を食べる時間がほとんど無くなりました。

一緒に遊ぶ時間は、全くゼロになりました。不安にさせてしまいました。
それが元で結局は別れることになりました。


将来のヴィジョンが曖昧なまま、
自分の好き嫌いと、目先のお金が稼げるかどうか、
それだけで転職活動をした結果だと思います。

退職する際の福祉の知識が全くなかったために、
人生も負のスパイラルに陥りました。

これが即日退職で失敗したお話です。
次は、
即日退職がうまくいった時のお話をします。


私が30代の半ば頃、
客先の常駐SEとして勤務を始めた時のことです。

VBAという、マイクロソフトのショボい言語を使う仕事で、
もういいおっさんなのに、まだ駆け出しの社内SEでした。

しかしながら、
処理に一ヶ月かかる業務を、そのVBAで5分で終わるように改善したりしていたら、
チームからは称賛され、しばらく大きな問題も起こらず、
全てがうまくいって、人間関係も非常に良好で円滑でした。
(当時艦隊これくしょんが出始めたばかりで、仕事そっちのけで
 艦これの話で毎日盛り上がっていました。笑)


そして
その実績が部長の目にとまり、本拠地の横浜異動を命ぜられました。
「向こうで1、2年の経験を積んで帰って来て欲しい。
 帰ってきたら、リーダーをお願いしたい」

(本音はこのまま安定している場所で、ずっとのほほんとしていたかった・・・)

「仕事でそんなに評価してくれたことはありがたいし、
 身に余る光栄だということで、横浜・・・行ってみるか」


希望に満ちた引っ越しでした。 駅前の良いマンションでした。
地下駐車場にはポルシェなどの高級車がズラッと泊まっています。
朝のエレベーターで一緒になる住人は、綺麗なドイツ女性でした。

「Guten Morgen !」
「ドイツゴ、デキルンデスカ?」
「A little ね(笑)」

明らかに今までとはステータスが違う環境です。

ああ、自分に向いていた仕事ってシステムエンジニアだったのか。
謎の高揚感と共に、やる気も満々でした。


ところがこの異動先で大変なことになったのでした。
異動先の教育役は、部長を目の敵にしている人でした。

その教育役は部長と同期であり、ヒガミを持っているのか、
なんなのかよくわかりませんが、部長への対抗意識がすごいのでした。

部長が抜擢した新人である私は、徹底的にボロカスにされました。


都会の静かなIT企業のオフィスの一角で、怒鳴られて注目を集める毎日。

毎朝7時に起床し、シャワーを浴び、ニュースを見て朝食。
(当時ガルパンが流行っていたので、干し芋が朝食でした)

徒歩で8時に出社し、そのままろくにトイレも行けず12時まで勤務。
(トイレに行くなと言われてました)

ランチは机の上でコンビニのパンを2分で食べてまたすぐ仕事。
(外食に行くなと言われました)

決まりでは17時に定時で終わりですが、その時間に帰る人はほぼいません。
そのまま帰れずに20時、21時、22時・・・

0時を回りかけた頃、
小さな中華料理店の定食をようやく落ち着いて食べますが、
最悪の精神状態だから味などしません。


どうやったら怒られずに済むか?
どうやったら上手いクレーム処理ができるか?

いつもそんなことしか頭にありませんでした。


ある日のこと、
いつも怒鳴りつけてくる私の教育役が、サシで飲みに行こうと誘ってきました。

いつも否定的でいつもキレてる人なので、
どういうことなんだろう?気持ち悪いなと疑いつつも、

内心では
「この飲みニケーションがうまくいけば、
 この状況を変える突破口になるかもしれない」
そんなイチかバチかのわずかな希望を抱いて、サシ飲みに出かけたのでした。

サシ飲みの間、とにかく頭をフル回転させ、
いろんな話題を振り、どこにこの人と合うポイントがあるか?
今後の業務がもっと円滑に進められるかもしれないということで、
大嫌いな人間と合うポイントを、その話題を真剣に必死に探しました。
(ちなみに合うポイントは、Hな話題でした。笑)


お酒を絶やさないよう
ツマミを絶やさないよう
笑顔を絶やさないよう
自分なりのベストは尽くしました。

その教育係もその日は楽しく飲んでいるように見えました。

よし、これならいけるかも・・・

明日からの業務、
少しはあの”カス扱い”みたいな対応も少し変わるんじゃないか?
ちょっと希望を持てた感じでした。


しかし、
現実の対応は全く変わりませんでした。
その人はただ、新人教育の名目で酒が飲みたかっただけでした(笑)

それからも毎日、
静かなフロアに怒号が鳴り響いている一角があるため、
誰も私の近くには寄ってこなくなりました。
抜擢してくれた部長も、その教育役に新人を怒鳴るなと注意はしてくれてました。

日々、事態収拾に向けて突破口は探しました。 しかし、見つけられませんでした。

だけれども、抜擢していただいた以上は、その期待に絶対応えたい。
ここで撤退は、どんなことがあろうがありえない。

なんとか気持ちを強く持ってやっていました。


ある日の夜勤時にトラブルが集中して発生しました。


「あいつとは組みたくない」
そのトラブルのあと、他部署からのそんな噂を耳にしました。

あー、
確かにいつも怒鳴られてる自分のせいでフロアを気まずい雰囲気にしてるし、
一緒に夜勤に入れば、なぜかトラブル多発するし、
北陸の片田舎から疫病神みたいなやつが来たと、みんな思ってるんだろうな。
オレだったとしてもそう思うわ。。。

なんとか頑張ってはいましたが、関係のない他部署からもいろいろ噂が立っていて、
やがて心が折れてしまいました。


しばらくして寝れなくなりました。

睡眠不足でミスがさらに増え始めました。

ミスが増えるので怒られる機会が増えます。
そのストレスで今度は食事が喉を通らなくなりました。

栄養不足で体調も明らかにおかしくなりました。
皮膚系の疾患、特にデキモノみたいのがひどくなりました。
さらに
睡眠障害、摂食障害というものを初めて経験しました。


抜擢してもらったのに恥ずかしいけど、
体がおかしいし、仕事もやっていける気が全くしない。
情けないけど、もう限界だ。

こんなに忙しい現場なのに脱落しようとしている。

でも、クズ人間と言われても構わない。
出社しないでいい方法がないか探そう・・・

そう思ってしまいました。


・すぐに明日からしばらく休める方法はないか?
・一番長く、なおかつお得な休み方はあるのか?
・休養中になにか自分の成長につながるものってないか?

これらを徹底的に調べて実際に実行しました。


明日から会社に行きたくない方法、ありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1:病気休暇(3ヶ月間程度)※その会社の規約にもよる
2:傷病手当金(1年6ヶ月間)
3:失業給付金(3ヶ月〜11ヶ月間)※受給条件で異なる
4:職業訓練(3ヶ月〜6ヶ月間程度)※訓練期間による
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これらの公的扶助の全体像を理解し、
いち早く手続きに動き、明日から早速行動する方法です。

簡単に説明しますと、

「心療内科で”うつ病、適応障害等”の診断書を書いてもらう」
ただそれだけです。


この診断書があるだけで、
コンプライアンスがある普通の会社だったので、もう私を出社させられませんでした。
(ブラックな会社だという方は労務士や弁護士に相談した方がいいと思います)


ちなみに診断書を書いてもらうのは簡単です。
初診時に問診票を記入します。

頭痛、吐き気、眼がよく見えない、手足が震える
手足がしびれる、舌がうまく回らない、物忘れがある
話がまわりくどい、涙もろい、怒りっぽい、ひきつけ、気を失う・・・等々

まずは、そういうアンケートみたいなやつに○を付けます(問診票)

これらの問診票の回答や、医師との診察での受け答え、
すべてネガティブな感じで答えるだけです。
(先生を怒らせるようなネガティブはダメですよ)

あっけないくらい簡単に診断書がGETできます。
それさえあれば、錦の御旗を入手したのと同じです。
会社に出社しなくても、もう大丈夫になりました。


前出の公的扶助をすべて受給できました。
約2年間、当時の現在の月収の60%程度の公的扶助を受けることができました。

休職や退職は恥であり、
それをムリして、勤務して本格的に壊れている人をよく見かけます。

逃げることは良くないのかも知れません。
でも、
死んだら未来への可能性はゼロです。


朝早く起きて、満員のバス・電車で
やんちゃな若者、無神経な老害に囲まれ

乗るだけでイライラが止まらなくなる交通機関で
ネットニュースを見ながら、音楽を聴きながら

毎日同じ時間に同じことを繰り返し、
給料やスキルのアップだけを考えて生きている人生。


これが現代の”無限地獄”なのでしょう。

地獄からは抜けるべきです。

怖いのは
地獄の中にいる時は、そこが地獄と気づいていないことです。


”その状態が当たり前”だと体が覚えてしまって、
ものすごいパワーダウンをさせられている環境にいるのにもかかわらず、
”住めば都”の状態になっていることです。

私も地獄から抜けるときは
「本当に大丈夫なのか?」
と本当に本当に、ほんとに不安でした。


社会的に死んでしまうんではないか?

生活保護・・・?

この言葉も頭をよぎりました。

地獄に耐えるよりも
地獄を抜ける時の方が「勇気」が必要になります。


傷病手当金を受給し始めた時の私は、体すら満足に動かせない状態でした。
頭も重くて、視界もせまくて、とにかくボーッとしているだけでした。
世の中からどんどん取り残されていっている感覚でした。

私は、
「こういう病気は根本に何が原因としてあるのか?」
「それに対する解決策はないのか?」

というようなことを調べるようになりました。
ショッキングな事がわかりました。


私の横浜での日常生活の何気ない行動のそのほとんどが、
精神が病む原因になるものだったのでした。

精神が病む原因は、ストレスにあります。
そしてそのストレスは脳で生まれます。
ここで少し、人間の脳の仕組みを簡単にご説明します。


人間の脳は3重構造で構成されています。
 1:脳幹(呼吸や排泄など、生物としての根源的なもの)
 2:大脳辺縁系(感情、情動、本能)
 3:大脳新皮質(思考)

1は息を吸ったり、各内臓に指令を出したり、
生きる上で必要な命令を下している、
生命体としてのベースとなる、”最も古い脳”です。

2は感情や本能を司る器官です。
本人同士じゃないとわからないような、
他人には理解しがたい恋愛が世間でよくあります。
若い人はこの大脳辺縁系が活発に働いているそうで、
そのせいか、一目惚れは若い時に多いです。笑
これは”2番めに古い脳”だそうです。

3は仕事や勉強でよく使う部分です。
理論的に物事を考える、
一番新しい脳だそうです。

以上が脳の構造についての簡単な説明になります。


人間は通常、
2と3の脳のバランスを取って生活をしているそうです。

ある時は本能的に行動して、
ある時は理性的に行動する。

どちらが大切かということではなく、このバランスが重要なのだそうです。


そして
人がストレスを感じるのは、そのバランスが崩れた時だそうです。

バランスが崩れるとは、
「新しい脳の活動に対して、古い脳が順応しきれていない」
という状態だそうです。


私の例を挙げます。

私の新しい脳「大脳新皮質」が欲して、実際にしていた行動は以下の通りです。

・清潔でいたいので、とにかく除菌グッズで除菌しまくる
・新しいもの好きで、最新のMacとiPhoneを揃えて一日中触る
・景観の良い部屋に住みたいので、マンションは最上階のすぐ下の部屋を選んだ
・汗をかいたり汚れるのが嫌なので、空調の効いた綺麗な部屋からは出たくなかった
・暑いし、シミになるし、日光に当たりたくない。

ところが、
古い脳「大脳辺縁系」は全て逆のことを欲っする器官なのでした。
(大脳辺縁系は、自然環境の良いところで活発に動くそうです)
・有益な微生物を好み、土や草木に触れる
・犬や猫、馬などの動物と触れ合う
・芝生や草の上を裸足で歩く
・汗をかくような運動をする
・朝の太陽を浴びる

古い脳はこのように、
「自然」「緑」というものに触れている時に、活性化するそうです。
原始時代のような生活が一番理想なんだそうです。


ところが私の新しい脳「大脳新皮質」は、
ネット時代の生活様式に慣らされ、しかも潔癖、インドア好きでした。

私は古い脳が活性化するようなことをほとんどしていませんでした。
汚れるし、自然や緑に触れる必要もないと思っていました。

自宅も綺麗、オフィスも綺麗、
触るものはプラスチックやIT製品などの、ほとんど人工的な物。
朝の通勤時以外、太陽に全く当たらない生活。

当時の私の古い脳と新しい脳のギャップは、相当ひどかったと思います。

大脳辺縁系が弱ると生気がなくなり、無表情になるそうです。
私は完全に無表情の人間になっていたと思います。


ちなみに、
エンジニアの業界でよく言われている事だそうですが、
「うつ病になったエンジニアは、田舎で農業させれば1年で復活する」
というのがあるそうです。

緑がたくさんある田舎の農作業は
・汗をかきます
・太陽に当たります
・土や草木、微生物に触れます
・近所の犬と話したりします

全て古い脳が喜ぶことばかりです。

1年農業してメンタル復活というのは、理論にかなっています。
個人的に、
あながち本当なのではないかと思います。


私は、自分にベストの撤退場所を探し始めました。

長野県の山奥でボランティアすら来れないような場所に、
過疎高齢化に悩む地域を見つけました。

知らない場所に飛び込むのはさすがに怖いので、一度下見しに行きました。
真冬の年末だったと思います。

夜中に到着したので、まだ真っ暗で寒くて、とても静かでした。

日が明けると、その村の景色がようやく鮮明になってきます。


「うわー、いやー大変なとこに来たぞこれ・・・」

とりあえず、
まずは村の守り神である、大きな神社に挨拶に行きました。
400段の石段を登り、大きく切り立った岸壁から、
勢いよく降り注ぐ水をすくって飲みました。

「ここだ、ここにしよう・・・」


そう感じた私は、傷病手当金から失業保険受給に切り替える手続きをし、
翌月には横浜からその村へ引越しました。

そこで出会うことになったのが、95歳のタクローさんです。

村の元・大村長であり、誰からも雲の上の存在のように思われる人が、
どこの馬の骨ともわからない、半世紀も年の離れた私を飲み友達にしてくれた。
嬉しかった。

村の歴史のこと
自分の人生のこと
大好きな孫のこと
参加したインパール作戦のこと

たくさん話してくれました。
毎日たくさん飲みました。


また、
サチコさんという84歳のおばあちゃんにも
大変お世話になりました。

いつもいつもご飯を作って当たり前に食べさせてくれました。
貴重な無農薬のおいしいお米と野菜のご飯です。


「アタシは気が利かないし、気も付かないから、勝手によそって食ってくれ」
というスタイルのおもてなしです(笑)

これ、最高に好きでした。

ある時、さすがに毎日悪いのでお金を少し渡そうとしました。
でも、
「お金なんかいらないよ」と、
「じゃあ田んぼでも手伝わさせてくれ」と


そんなこんなで生まれて初めて、耕運機を使わない田植えをしたのでした。
貴重な経験でした。

素足でヌルヌルの泥に突っ込んでいき、
作業が終わるとそのへんの小さい川で足をバシャバシャ洗います。
山の川水ってめっちゃ冷たいんですよ。
それはもう、私の古い脳が大喜びしていたと思います(笑)


また、
過疎地域には古い民宿や旅館が多いのですが、
やはりみんな、PCトラブルをかかえていました。
無償で解決しに行きました。いや、行くつもりでした。

でも
帰りにはいつも自家栽培の野菜や、自家製の漬け物を渡されました。
ありがたかった。

私には都会の野菜は高すぎるし、漬け物は甘くどすぎる・・・。


ある時はお寺から電話がかかってきて、
パソコン止まったから来てくれと言われました(笑)
直しました。

作りたての押し寿司とビールを渡されました。
思わず観音様に手を合わせました。

境内のしだれ桜がとても綺麗でした。
自然に門のところで振り返って思わず一礼しました。


駐在所のおまわりさんとも仲良くなりました。

都会にいた時は職務質問しかされたことがなかったので、
良いおまわりさんもいるのだなぁと、考えを改めさせられました。
ミニパトカーに乗ったのも人生初の体験でした(笑)


水も空気も景色も、微生物も人も最高でした。

半年間の失業保険受給での滞在でしたが、
そこの村の微生物が私の腸内環境と脳内環境を改善したのでしょう。
(脳腸相関というものがあるそうです)
考えが変わりました。


関係を断絶していた実家に帰る気になりました。

村で農作業やお手伝いをするうちに、自分のエゴが抜けた。
なんだかわからないけど、健全な肉体と精神が帰ってきた。
そんな気がしました。


今考えると、いち早く都会を脱出しておくべきだったと思います。

・空気や水が悪い
・自然食品の物価が高い
・どこへ行っても無機質な人工的な建物
・挨拶もない冷たい人間関係

病む要素のオンパレードです。
もし今、都会で限界を感じている方がいましたら、
できる限り早く自然の豊かな地域に撤退することがおすすめです。


(ちなみに傷病手当金受給中でも転居可能です。
 まず、転居先の病院で診断書を書いてもらってから引っ越しです。
 引っ越ししてから診療を受けると、傷病手当金が止まるおそれがあります。
 詳しい方法は社労士さんに相談するか、ネットで検索してみて下さい)


ただしですが、
自然の豊かな地域にもデメリットはあります。

それは「若い女性がいない」ことです。笑

これはオスにとって意思決定を鈍らせることです。
ここで少し女性のことでお話します。


都会の夜の繁華街にはまるで女神のような若くて綺麗な女性がいます。
しかし
彼女たちの多くは自分の美貌でもって、男達を意のままに操りたいと考えています。

反対に
田舎の昼の野菜畑にはまるで魔女のようなシワだらけの年老いた女性がいます。
しかし
彼女たちの多くは、皆の平和な暮らしを祈って素朴な生活を送っています。


若い女性がいないというデメリットは男性にとっては、苦痛だと思います。

けれども、
いったいどちらが本当の女神でしょうか?
いったいどちらが本当の魔女でしょうか?
1〜2年の間くらい、若い女性無しでも人生に影響は特になかったです。


私は失業保険受給での生活でしたが、よく見渡せば、 過疎地域への移住を手助けしている国の政策がたくさんあります。

・地域おこし協力隊
・集落支援員
・復興支援員
・外部専門家
・地域おこし企業人・・・etc

これらは過疎地域への移住、そこからの就職や起業を促進する制度です。
詳しくは検索してみて下さい。
地域おこし協力隊だけでもいろんな求人があります。


あなたの充電期間の人生にとって、
「再就職できるかどうか」は一番重要なことではありません。
充電期間中のあなたの人生にとって一番重要なことは、

・どれくらい心を回復させられるか?
・どれくらい技を習得できるか?
・どれくらい体を休められるか?
・どれくらい人として成長できるか?

これらのことにフォーカスしていれば、
再就職できるかどうかの問題などは、自然に解決に向かいます。


その点に気づかず貴重な充電期間を何も考えずにダラダラ過ごしてしまうと・・・

・燃え尽きた反動で精神的に壊れてしまい、社会復帰が困難になる
・社会復帰しても心身が完全に鈍っていて、ギブアップ癖だけがついて、事態が悪化する
・社会復帰して成功しても、全ての原因となるマインドセットが治されていないから
 また同じような失敗をして逆戻りする

そして気づいたら
「撤退する前よりも悪い状態になっている」
そんな事態に陥ることがあります。


そうならないためには、
充電期間中の過ごし方、精神や健康、 体のケアについてよくよく注意する、
またはそういう方法を学習する必要があると思います。


公的扶助を受けて、逃げるようにひっそり過ごしたり、
あるいは
完全に燃え尽きて廃人のように、無駄に時が流れて世の中に取り残される、

自宅から出ずにポテチを食べながらコーラを飲んで
ゲームやSNS、昼寝、Hなサイト探索でダラダラと一日が終わる。

そんな習慣が身についてしまうのは、「撤退」ではありません。

それは「敗走」です。


あくまで
戦略的かつ能動的に戦場から離れ
静かで安全な場所まで避難し

そこで
現状を冷静に俯瞰し
自分を見つめなおし
それまでの人生を再定義し

目を閉じれば、


”世のため人のために、もう一度立ち上がる必要を知る”


ー自分の使命を果たすー
その土台となる精神、肉体、マインドセット等を再生する 。
それでこそ「戦略的撤退」です。


気持ちのいいカフェでのんびりと糸の切れた凧のように 、
風の吹くまま気の向くまま、明日は明日の風が吹く

時にはそんな気持ちで一日過ごすことも大事です。
ただ、
毎日そんな生活をしていると
「戦略的撤退」であったはずの当初のものが 、
気がつけば「再起不能」になりかねません。


即日退職は可能です。

長い人生の中では、少しの休養と療養が必要な時があります。


ですが、
実は本当に大切なのは
この”退職してからの充電期間をどう過ごすか”に関わっています。

「そこでどんなことを吸収できるか?」
「そこでどれくらい人として成長できるか?」

こういったことを意識することが、
その後の人生を左右すると思いました。


あえて都会を離れて田舎暮らしができそうなところがないか、
探してみるのも良いと思います。

あなたを必要としている人は、
必ず日本のどこかに存在していますから。 

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