オチを先に知ると面白みに欠ける

1 / 2 ページ

まだ観たことのない

映画や漫画やドラマの

結末を先に吹き込まれると、

本来なら

感情高ぶるであろう場面を観ても

冷静に観てしまい、

面白みが

薄れる経験は無いだろうか?


結末や行動の意味を

先に知ってしまっているからこそ

冷静になって観るので、

ハラハラドキドキも半減する。


主人公や脇役の立場に立って

物事を判断している間は、

そのストーリーの中では

現実となっている。


だからまだ先の知れない

ストーリーには

非常に心揺さぶられ、

感情的になったり、

こうなんじゃないか、

ああなんじゃないかと

頭をフル回転させ、

面白みを感じるからこそハマる。


これは、人間の人生にも

当てはまる事ではないか?


人は何故

一度の人生を生きるのか?」に、

匹敵する内容だと思う。


輪廻転生が誠ならば、

様々な人生を

ストーリーとして

記憶に持っているはずだ。


もし、

殺人を犯した過去があるとしたら、

その記憶を携えたまま

新しい人生を別の身体で

生きる事が出来るだろうか?


もし、

火事で焼け死んだ苦しみを

記憶したまま

別の身体で生きると

怖くて

たまらないのではないか?


もし、

愛する子供や家族と

生き別れた記憶を

持ったまま

別の身体で生きると

常に寂しさを

感じるのではないか?


色々な記憶を他の人生と

共有しているとするなら

実際経験していなくても

記憶はあるはずだ。


しかし、

人間の子供として

産まれ落ちた後、

持っていた記憶も

リセットされて

新しい生活を

しているとしたら、

上記の結末を知るのと

同じように、

「何も知らない」状態は

新しいストーリーを

展開し、

記憶し、

新たな気付きを

得るための計画であり、

面白みや楽しさを

感じ取る能力を

開花させることが出来る。


世の中には、

平等とは程遠い環境を

強いられて生きる人間が多いのは、

そういった

様々な経験値を

あげる為の進化向上へ

誘なう宇宙の法則かもしれぬ。


では、何故人は

無駄死にする人生も

あるのか?


今、我々が生きる上で

残りの人生は

諦めて生きなければ

ならないのか?




人生の最後は皆「死」で終わる。



死んだ後、貯めたお金を

持っていくことはできないし、

所有した物品も

朽ち果て、何の役にも立たない。


家も車も、

人工的に作り出された物は

劣化していくのだ。


しかし、

まだ見ぬストーリーに

一喜一憂し、

ハラハラドキドキした

著者のTakae Tuchiyaさんに人生相談を申込む

著者のTakae Tuchiyaさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。