死相が出るまで追いつめられた商社マン時代の話

次話: アメリカのアパレル会社時代

こんにちは。


ご訪問ありがとうございます。

とにかく飾らずに自分のリアルをそのまま書いていきたいと考えています。


アメリカ在住の2児の父親で、現在36歳です。


2017年に独立し、会社を立ち上げました。会社といっても社員がいるわけでもなく遠隔のアルバイトと外注さんだけ。基本僕ひとりですのでフリーランスのようなものです。


基本仕事は午前中だけなので、午後は考え事したり、読書したり、ブログ書いたり、子供と遊んだりとゆる〜い生活をしています。


実はそんな僕も、ビシッとスーツを着てサラリーマンをしていた時期がありました。


今から10年と少し前の話。


社会人デビュー


貿易のしごとがしたいと思い、大学卒業後、新卒でとある大手専門商社に総合職として入社しました。


アメリカのメーカーの国内販売代理店として、アメリカの製品を日本の政府や企業に販売するしごとです。


ビシっとオシャレなスーツを着こなして、世界を股にかける商社マンになったる!!


とは微塵も思っておらず、どーせ仕事するなら、海外と関われたら楽しーなーというゆるい感じでした。



チンパンジー並の思考力して持たないポンコツでした。




入社1日目、2日目と研修をしながら、夜は身近な先輩、上司にご飯に連れてってもらい、


「どでぃーくん頑張ってね!」


「どでぃーくんわからないことがあったらいつでも聞いてね♪」


と最初はビビってたんですがみんな優しくしてくれて、いい会社に入れてよかったーと一安心。




ところが3日目の飲み会、ある先輩に突然ボソっと「おまえ、1週間は王子様な」と言われました。



?????????



どーゆーこと????



しかも呼び名が「どでぃーくん」から急に「おまえ」に変わった。




入社後1週間が経過したあたりで、不穏な”ナニカ”を感じ取り、毎日「あ〜辞めたい」とつぶやき続ける生活が始まりました。



新入社員の洗礼

ここは海外が好きな人、飲み会が好きな人、バカ騒ぎが好きな人で成り立っているような会社でした。


貿易のしごとには興味がありましたが、飲み会と大騒ぎは嫌いでしたのでどう考えてもミスマッチ。


仕事はスケールが大きく、貿易にも深く絡んだ内容で楽しかったんですが、古臭いザ・商社マンのような文化が根強くありました。それが不穏な"ナニカ"の正体。


僕にとっては仕事そのものより、アフター5や”社会人はこうあるべき”的な締め付けがしんどかった。


特に下っ端1年目はこんな感じ。


・週4〜5先輩、取引先と飲み


・うち1〜2日くらいは朝まで

(居酒屋→バー→キャバクラ→おっ◯◯→ラーメン→先輩ん家にお泊まり→先輩を起こさないといけないから仮眠も許されず徹夜コース)


・平均就業時間9:00〜22:00(そっから↑)


・絶対的な上下関係

(呼び出されればいつでもタクシーで飛んでいき、盛り上がるためなら脇毛燃やされたり、わさび寿司ドカ食いしたり、根性焼きは当たり前。)


ちょっとミスをやらかせば数時間〜半日飲み屋で説教


絵に書いたような体育会系でした。


自分の時間を奪われ続け、”社会人のあるべき姿”と”本当のありたい自分”とのギャップに苦しんでました。


ひどい時は白っぽい口内炎?みたいなのがポツポツと口の中に20個くらいできて、あくびをするだけで激痛でした。多分日々の疲れとストレス。


僕は酒が嫌いではないんですが、ビールジョッキ半分で顔真っ赤になって眠たくなるくらいメチャ弱いです。


そんなやつが"焼酎のビール割り"とかを何杯もイッキするとどうなると思います?


今でも忘れないのは、真冬の夜に飲まされて10数回吐いた後、帰りに道端の路地裏みたいなところでぶっ倒れてしまったようで、ふと目が覚めたらおでこあたりに少し雪が積もってたことがありました。


酒って吐けば強くなるって誰が言ったの? 全然ならんやん。


ボロボロの状態で出社して先輩にその出来事を伝えたら、


「ほんとだ、顔に死相が出てるwwwwwwwwwwwwww」


と大爆笑。


ようやく商社マンらしくなってきたとお褒めの言葉をいただきました。


一体自分はなんのために働いて、どこに向かってるのかがわからなくなっていました。


と、ここだけ見れば200%ブラック企業なんですが、みんな根はいい人だったり、仕事はやりがいがあったりしたのがかえって離職のブレーキとなり、逆に辛かった。


明らかに歪んでるんですが、それが学生上がりの甘ちゃんの根性を叩き直して、一人前の社会人にする教育であり、その責任を直近の先輩が担っているというナゾの伝統がありました。


だから新人をちゃんと崖に突き落とさないと、その直近の先輩がその上の先輩にやられる、という昭和ルール。


その代わり連れ出したからには全部オゴる、というルールもあって、足を踏み入れたことのない高級店から、夜のディープな店まで全部ゴチになりました。


直近の先輩はクレジットカード限度額オーバーで何度も使用を止められてしまい、先輩は先輩でしんどそうでした。


仕事について

2年目以降のアフター5はマシになりましたが、反比例して仕事が本格的に忙しくなった。


今思えば、日本ってなんか目的と手段が逆転したムダ仕事が多すぎる。

世界的にみて、生産性が圧倒的に悪いと言われる理由が今はよくわかります。


仕事内容は、アメリカの旅客機や戦闘機の装備品を輸入して、防衛省や国内の航空機メーカーに販売するものでした。

翼や胴体部分、エンジンなどの大きいもの(航空機のエンジンバカでかいです)から、ネジのような小さな部品まで様々。


自衛隊基地にある日本の主力戦闘機F-15や、旅行好きな人なら一度くらいは目にしたことのあるであろうボーイング787、エアバスA380、三菱のMRJなどの民間旅客機がメイン商材。


僕は防衛系の航空機担当でした。


みなさんも知ってる通り日本の国防を担っているのは自衛隊です。軍もなければ、本当の意味での自国の戦闘機を持っていません。その理由は太平洋戦争にまで遡るので割愛しますが、いろいろな背景があり技術の進歩が遅れているのです。


でも戦闘機って日本にありますよね?


ライセンス国産と言って、他国が開発した戦闘機の技術や図面(ライセンス)をもらって、国内で作っているんです。代わりにたくさんの「お礼」(ロイヤリティー)をメーカーに払い続けています。


まぁ他国っていっても基本的には軍事力最強のアメリカ。


会社はアメリカのボーイングのような航空機メーカーの販売代理店をしており、自衛隊基地にある戦闘機のメンテナンスなど必要な装備品とか部品をアメリカから買って、日本の航空機メーカーに販売していました。f


そういえばボーイングってみんなが旅行で使う旅客機のイメージが強いと思いますが、実はバリバリ軍用機も作ってます。


現在世界最強のステルス戦闘機と言われるF-22も、実はボーイングの製品です。(厳密にはロッキードとの共同開発ですが)

画像1

マニアックな話ですいません。


そんなこんなで戦闘機部品を売りまくってました。


心境の変化

でも僕にとっては戦闘機のミサイルよりも、会社の飲み会の方が恐ろしかった。。


自分の時間なんてほぼ皆無。


果たしてオレは生きるために働いているのか、働くために生きてるのか、なんて考える始末。


日本社会ってなんか歪んでないか?


おかしくないか?


みんな本当に心から楽しんでるのか?


オレが甘いだけなのか?


根拠がよくわからないルール、慣習、人付き合い、マナー、責任という名のナゾのしばりが多すぎて、辟易していました。


日本がおかしいのか、この会社がおかしいのか、オレがおかしいのかよくわからないもやもやが続いていました。


すぐに辞めればよかったのですが、甘え腐った学生あがりの自分には、これを乗り越えてこそが社会人!ビジネスマン!と根拠のない根性を絞り出し、自分もだんだんと社風に染まっていきました。


結局、とりあえずは”石の上にも3年”は頑張ろうと、はたまた根拠もよくわからないことわざに則り4年近く勤めていました。


入社4年目の夏休み、当時付き合っていた彼女とアメリカ旅行に行きました。毎日対アメリカの仕事をしていたのに、実ははじめての訪問でした。


その時、久々に本当の意味で素に戻れたというか、当時感じていたこと、学生の頃に思い描いていたたこと、いろんな想いが反芻していました。


・自分はなんのために仕事をしているのか?


・なりたい自分になれてるか?


・学生の頃海外に住みたいと思っていたこと


・引退まで何十年もこういう生き方したいのか?


・社内に憧れる生き方をしているやつはいるか?


自分はどう生きたいのか、自分にとって幸せってなんなのか。

立ち止まって真剣に考えた夏休みでした。




結論・・・・






こんな人生クソくらえや!!





やってみるか!!!




3年以上かかってしまいましたが、ようやく全てが吹っ切れました。




そして帰国後、”永住権取得”を第一目標に渡米することを決意しました。



ひっそりとアメリカ移住計画を遂行し、ある程度目処がついたところで会社を退職。


退職・渡米が周りに広まったとき、それはもう社内や関連会社の先輩方からボロクソに言われました。


「おまえはほんとわかってねぇ」


「世の中そんな甘くねぇ」


「オレはこんだけ苦労した、おまえもそのくらいの苦労せえ」


「今は楽になった方だ。昔なんて・・・・」


まぁ大体がこういうのです。


そういうやつに限って海外に出たことがないどころか、他の会社に勤めたこともない。同じ会社、業界のことしか知らない。


厳しい社会に出て、広い世界で一人前の社会人としてなんでも知ってるみたいな口ぶりでしたが、ごく一部の世界しか知らなかったりするんですよね。


その時は彼らにわかってもらおうとも思ってなかったんで、「いや〜そうですよね〜♪」、「どうなるかわかんないけどがんばりま〜す♡」とてきとーに相槌うってました。


”世界をまたにかける”商社マンでさえそんなもんです。


もちろん全員ではなく、心から応援してくれる人もいました。


中でも僕を散々しごいてくれた(ついでに当時大嫌いだった)先輩の一人は、今でも帰国すると必ず飲みに行く仲です。


「なりたい自分」や「求める生き方」が延長線上にあるのであれば、どんなつらい仕事をしていてもいいと思います。


一方会社に所属すると、社会のルール、人間関係、責任などが複雑に絡み合い、自分が本来求めていた生き方や、なりたい自分像を見失ってしまうこともあります。


真面目で責任感があればあるほど足かせになってしまい、結果会社に都合のいい存在になってしまってることも。


そんな人は感じた違和感を大切にしてください。一度立ち止まって素の自分について考える時間を作った方がいいと思います。



ちなみに実家に帰省して母ちゃんに「会社辞めてアメリカいくわ〜」って言ったら、



「あばぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



っとオリンピック水泳選手並みの肺活量でクソ長いため息ついてました。





(渡米後につづく)

続きのストーリーはこちら!

アメリカのアパレル会社時代

著者のDoddyさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。