中卒がビリギャル を真似て勉強しまくって後に発達障害と軽度知的障がいが発覚した話。
まずビリギャル に会う前の話をする。
もともと芸能界に憧れをもっていた私は、演劇のカリキュラムのある高校に入学していた。
しかし、できないことが多く、周りに馴染めず、そのまま高校を中退してしまった。(困難を乗り越えるための解決能力がなかったのだ。)
そして、アルバイト生活になるが1ヶ月やってはやめるなどなかなか続かない日が続いた。
そしてそんなある時、なんで私が東大に?の広告のある高卒認定の予備校を見つけた。
そこで、興味を持ち親に行きたいと言うのだが、金がかかる、家から遠いなどの理由で通わせてもらえなかった。
そして派遣社員(某ケータイショップ店員)やキャバクラをしてお金を貯め、もう少し近めのところにある大きな予備校の傘下にあたる高卒認定と大学受験を併用できる予備校に入った。
正直、ひどいところだった。
勉強をしに来てるのに遊びのカリキュラムのやつに勧誘したり、進度のあまりに遅すぎる授業。どんなふうに勉強進めていけばいいのかも教えてくれない。参考書も教えてくれない。
なので、本屋さんに行き、いろいろと自分で調べることにした。
そして、勉強法の本(受験生がこれはしてはいけないこととか書いてある本とか、偏差値40-から難関大へみたいな本)をみてるうちに、ビリギャル に出会うことになる。
感動した。こうなりたいと思った。
そして、いままで勉強してこなかった私が独学で本を参考に、10時間以上勉強でき、しかも継続できる人間に変われたのである。
レベル別問題集などを活用して、中学レベルからレベルをあげていった。
一冊を完璧にしてほしいと言われたので、三週はできるようになった。
そして夏。
高卒認定の勉強もしていた私は、 全科目高卒認定試験合格することに成功し、あとは難関大に向けて勉強するだけとなった。
しかし、偏差値50-55くらいで成績とまり、フェローや先生に相談してもいいアドバイスがもらえず、(というか、難関大行きたいといっても相手にされてなかった)
周りのこも、難関大受けてる割には難関大とか偏差値とかじゃなくて人生が〜とかなんとかよくわからないことを言う人でいっぱいだった。親の理解もなく、姉も理解してくれなかった。
ビリギャル も否定された。
ビリギャル 内で先生が言っているようにもともと頭いいこなのだのなんだの言われた。
それでも、私は10時間以上もの勉強をやめず志望校を諦めずやはり偏差値伸びず、マーチにだって受からなかった。
そして次の年、
私はそこでとても頭が悪く、同じ予備校を選んでしまうのだった。(選んだ理由は、疲れ切っていて判断力がなく親がここでいいか?と聞かれたのを返事してしまったことと、(次の年は親が払ってくれたので…)同じ状況で理解し合える友達が本当にほしくてしかたなかったこと、そして私のことを高認からみてくれてるはずの人がいてほしいみたいなことを考えていた。どこかで、ビリギャル の坪田先生の役割を担ってくれる人を求めていたのだろう。そんな人いなかったけど。)
そして独学の部分と河合塾の本校と併用して授業受けることになった。
後悔としては、最初から全部本校でやればよかったこと。
高認と併用してる予備校とあまりに違う素晴らしい授業だったのだ。
本校を甘くみていて、こんな素敵でわかりやすい授業だと思わなくて、全ての教科を本校で受けたくて担当のフェローに夏に相談をした。
予備校を変えたいと。
しかし、なぜか切れられ罵倒され、親にも相談したかったのにそれほど聞いてくれず金なんてだせないとしか言ってくれなかった。
そして、独学と授業を受け勉強し続けていたのだが、秋あたりから次第に限界だもう無理だと考え始めてきた。
本校の授業は好きだから頭に入っていた。予習も復習もきちんとできていた。しかし、独学のときは、号泣しながらもう無理、無理と思いながら勉強していた。当時はそう思っていなかったけど、たぶん頭にそれほど入っていなかったかもしれない。
頭が混乱して、文が読めないこともあった。
そしてなぜか受験日、行きたくて仕方ない大学の受験日、なぜかバタっと倒れ、動けなくなった。
病気とかではなかったのでメンタルの問題だと思う。
そして、もう限界だった私は池袋の河合塾の最難関クラスに入る道を選ばず、フェローの勧めで編入の道を選ぶことになる。
私は、ビリギャル にはなれなかった。
仮面浪人と同じく編入も大学の授業中に内職するし、他の時間も全部勉強にあてていて、大学生活は詰んでいた。友達だってできない。当たり前だ。だって頭の中受験のことしかなくて話が合うわけないのだから。
そして、孤独に勉強してるうち、また限界だみたいな気持ちが秋からやってきた。
それでも模試はA判定とれたんだ。頑張ろうと気持ちを落ち着かせ、励ましながら頑張っていた。
しかし、編入試験も失敗してしまった。
2年目、この大学にはどうしてもいたくない気持ちがあり、劣等感、周りの目が異常にきになる、不安、周りに悪口言われてる気がしたり、生徒はともかく先生のレベルの低さ、意識の低さ、どれをとっても我慢できなかった。やりたい勉強もできない。
だからまた編入をするための勉強をした。
こんどは、5月にも限界だという気持ちがきた。
それでも勉強は続けた。
お茶の水女子、千葉大などを目指していた。
模試では、B判定だった。
しかし、また失敗をしてしまい、親にあんたがお茶の水女子大みたいないい大学受かるわけないでしょという言葉でぷちんとなにかがきれて、
そこから、毎日お昼まで眠るようになり、体がなかなか動かずずっと、あった希死念慮がさらに強くなり、
病院に行くと、何回か診察した後適応障害と発達障害と軽度知的障がいであると診断された。
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