経済的虐待を受けた私がキャバ嬢になる話①

「祝儀の金なんか無いよ」

その一言で、私は夜の仕事を始めた。

母子家庭、四人兄弟の我が家はいつも経済的に苦しかった。
高校は自転車通学なのにも関わらず、自転車が買えないくらい。そのため、高校入学と同時にコンビニでアルバイトを始めた。バイト代は月7~9万。
キャッシュカードは「あんたが管理すると危ないから」という理由で、つくってからすぐ常に母親が管理していた。そこから、家賃や生活費が払われていた。
おこづかいなんて滅多になく、あっても年に数回、月に1000円。何か必要な物(靴、服、勉強道具など)があれば、その都度、なぜ必要なのか説明しないと買ってもらえなかった。
短大に進学してからは、奨学金を家計にまわされた。
奨学金は第一種と第二種、入学時特別増額を借りた。第一種は月53000円。第二種は月12万円。入学時特別増額は50万円。自宅通学なのに。
当時の母の年収は72万円。経済的に厳しいから、学校の特別な給付型奨学金を貰うことができ、2年間の学費は半額で済んだ。
ある日、学校の事務の人に呼び出され、「自宅通学で学費も半額になっているのに奨学金を貰いすぎではないか?貸与型で、卒業してから返済するのが大変だから、減額してはどうか?」と心配され、そう提案された。
それを親に伝えると、「減額されたら困るからしなくていい」と言われ、卒業と同時に400万超えの借金を背負う。
そんな学生生活の間もずっとアルバイトをしていて、全額家に入れる日々。親は仕事に就いたり辞めたりを繰り返す。持病などはない。理由は、環境が合わない・人が合わない・給料が少ない。少なくても無いよりはマシだと説得するが納得しない。
就職活動や、日雇いバイトに使う交通費だけは文句を言わず出してくれた。でも交通費だけ。ご飯代や飲み物代は無し。そのくせ、自分は就職活動だというと、必ずカフェに入りコーヒーを飲みタバコを吸う。お金が無くても、家族の生活費が無くても、タバコを買い続ける。だから、私はタバコが大嫌いだ。
そんな中でも私のバイト代や奨学金だけでは足りず、借金までした。理由は「生活費のために
短大を卒業し、社会人になってからも経済的支配は続いた。おこづかいは無し。稼ぐ額が増えたらそれだけ借金は増額され、5社、計170万円に。欲しい物があり、要求すると、「あんたはいっつもあれが欲しい、これが欲しいとせびる。金は無い」と言われる。
私の初めてのボーナスの日。
有休を取らされ、「車を買いに行く」と中古車屋に連れて行かれる。有無を言わさず私の名前で契約させられ、頭金としてボーナスは消えた。不服な私をよそにご満悦。当時、親は無職。ただでさえ多額の借金をかかえる私はさらに借金が増えることに。
ボーナスで少しでも借金を返したかった。いつもそう。少額返して、利用可能額ができるとすぐ借りる、の繰り返しで、利息も増え、借金が減ることはなかった。
苦しくて、誰かに聞いてほしくて、高校生の時から家庭状況を知ってくれている友達に話したことがあった。「自分がどうにかしなきゃって犠牲にならなくてもいいんじゃない?家から出なよ。マリナがいなくなっても、その家まわると思うよ。」自分がいなきゃ家族が生活できなくなると思い込んでた私に小さな光をくれた。
それでも家を出る勇気がなかった。交際費がなく、友達と遊びに行く余裕もない。誘われても断る。交遊関係もほとんどなくなり、誘われて断るのもつらくなる。
『誘われないようにすればいいんだ』と思い、LINEやFacebook、Twitterは全削除。電話帳の連絡先も抹消した。こんな状況下だと正常な精神では居られなくなる。どうにか自分は普通だと捉えられるようにするため、意思や感情を押し殺した。
でも、だんだん我慢が出来なくなってくる。私だって自由に生きたい。私は一生こんな生活を続けていくのか?
そして、本業(フルタイム勤務)とは別に日雇いアルバイトを始めた。工場、コンサートスタッフなど。本業が休みの土日に休みなく働いた。家に居たくなかった。お金も欲しかった。別口座にバイトの給料が入るようにした。
それに気づいた親は、「収入があるなら、そのお金で借金払って」と言い放った。そんな事したくなくて、お金を出さなかった。すると、滞納が続いた為、カードは止まり、とうとうブラックに上がった。買った車は車検が切れ、お金が無いため、手放すことに。
私はもう限界だった。限界超えてた。バイトをする気力も失せた。バイトを辞め、バイト代も無くなった。
それでも親は車が欲しいらしい。ブラックリストに載った私を中古車屋へ連れ回し、契約させようとした。でも契約できない。できるはずがない。「契約できなくて、ホッとしてるんだろ!」。罵倒され、八つ当たりされた。
ここまでされて、自分を殺して、ずっと我慢し続けたと思いますか?
高校生の時から何度も親にお願いした。親を知る知り合いにも相談した。それでも外面がいい親だからただの親子喧嘩だと思われ、そんなヒドイ親なはずはないと信じてもらえなかった。「一番あなたの幸せを願っているのよ。感謝が足りないんじゃないの?親孝行するんだよ」
どうやって感謝しろと?私には無理だ。親に頼んだ。泣いて、怒って、懇願した。『自分で稼いだものは自分で管理したい。生活費を入れないなんて言ってない』と。そんなに変なことを言っているのか?権利じゃないの?通じないこのもどかしさ。
もうわけが分からず、パニック障害みたいになり、過呼吸で苦しんでいても、部屋の扉を締め切り、「キチガイ」だと言われた。これが親が子供にすることなのか。理解出来なかった。
「全額払わないんだったら、出ていってくれ。数万じゃ嫌。あんたは自分の給料を自分でほくほくと使いたいだけ。管理したいだけ。愚痴、わがまま。親の家を出ていかないのは勇気が無いからだ」と、空っぽのキャッシュカードと利用可能額が0円のクレジットカードを投げられた。家から追い出された。
それでも、お金も無い、行くところもなく、頼れる友達も居ないから、帰らざるをえない。そうなることを分かっていて、どこにも行けないことを分かっていて、あんな言葉を投げつける。
夜の公園で泣いた。誰にも相談できず、独りだった。
数時間後、『私が悪かった』と謝り、家に入れてもらう。いつもお決まりのパターン。ここまで責められ、100%私が悪者で、家族もその意見に同調していたら、おかしいのは自分のほうなんだと錯覚を起こす。
こんなふうに、いつも無茶苦茶なことを言われ、自分の力ではどうにも出来なかった。
どうにか考えを変えてほしい、変わって欲しい。どんなことをされても、信じたかった、親だから。好きだった。ひどい部分だけじゃなく、愛情もあった。当たり前かもしれないけれど、ご飯を作ってくれ、育ててくれた。親孝行をするようにとまわりに育てられた。産んでくれた親に感謝しろと。
うちの親は、一人の人間の中に二人の性格が入ってる。
「親だからと言って、子供の為に犠牲になりたくはない。私にも私の人生がある」
「あんたがお腹にできたとき、おろそうかとおもったけど産んだんだ」
「お腹痛めて産んだ子供が可愛くないわけない」
「あなたの幸せを一番願っているのが親」とも言っていた。
わけが分からない。分からないけど、愛があるんだと信じてずっと我慢してきた。
そんな生活が9年続いた。
ストレスにやられたのか、急に膠原病を発症する。3ヶ月に一回、大学病院で経過観察をすることになった。検査には毎回、3~4000円かかる。心配するそぶりも見せず、目の前でタバコを吸い続けた。医者曰く、タバコは病気を悪化させるらしい。そして検査代でさえも「金が無い、兄弟に出してもらって」と言う始末。
そしてその年、友達の結婚式の招待状が届く。ずっと会ってなかったのに、呼んでくれた。行きたい。
だから親に伝えた。11月に祝儀が必要なこと。お金をちゃんと取っておいてもらえるように。親は分かったと言ってくれた。それを信じた。
だけど、10月。「祝儀の金なんか無いよ」
私の中で、全てが壊れた。崩れた。もう無理だ。

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