社会人になっても相変わらずネット恋愛しようとした話

「ゆずるさん、だよね」
 男は、宣言していた通りの服と車で、私の最寄り駅で待っていた。薄暗い車内。片道40分ほどの道のりを、私に会うためわざわざやってきてくれたのだ。私は、逃げ出したい気持ちをこらえて車に乗り込んだ。

 2年前の秋、私は6年付き合った男にふられた。大失恋だった。低い観覧車のてっぺんで、就職したら結婚したい、と言ってくれたその口で、お前と結婚しても幸せにはなれない、と言った。同棲していた部屋に残された、彼の手帳には、雑だが雄大な字で「夢・いいお嫁さんを貰う!」と、書かれていた。彼は自らの夢を叶えるために、家賃4万の我が家から羽ばたいていったのだ。

 社会人1年目、朝7時に家を出て夜9時に帰ってきて、月休5日という生活は、確実に私を狂わせていた。生活リズムが違いすぎて、友達には会えない。職場の人とも、親しくない。彼氏のいなくなった部屋で、1人、疲れて寝入るまで、SNSの「いいね!」を稼いで、人との繋がりを補給していた。


 彼氏と私は、高校の同級生だった。奥手で、思ったことを言えない私と、初対面から心の窓を全開にする彼氏。私は、もはや、自分の内気さで、人の手をわずらわせるのが申し訳なかったので、たとえ話しかけられてもそそくさと会話を切り上げるのが癖になっていた。
 修学旅行の時、遊覧船の甲板で、話しかけてきた彼を覚えている。
「なあなあ」
 私はそのとき、修学旅行にも関わらず1人で、背中を丸めて遠いネオンを眺めていた。
「何」
「あの向こうで浮かんでる、小さい船、俺の船や」
 視線恐怖症だった私も、思わず彼を見た。しかし、そのころにはもう、彼はおなじみの仲良しグループのところへ行ってしまい、話を続けることは叶わなかった。船の話はもちろん大嘘だった。
 それから3か月ほどして、私たちは付き合った。
 
 ・

「おすすめの焼肉屋があるんよ」
 男は、車に乗り込んだ私を、さりげなく一瞥して、運転に戻った。気取られれば、なにかが壊れてしまう。私もまた、そうと悟られないように男を品定めしていた。

 男と知り合ったのは、居住地で検索して相手を選別できる、一対一のチャットアプリだった。やりとりを続けたのは、1か月くらい。よほど己の市場価値を見限っているのか、28歳にして「おっちゃんと並んで歩くの、恥ずかしいやろ……?」「恋愛対象には、見えんやろ?」と控えめながら、少しでも返信が滞ると「おーい!」「嫌われちゃったかな……」と、呟いてくる、狂気的なまでの繊細さが私好みだった。自信満々にアプローチしてくる、おそらく現実社会でもそれなりの経験を積んできたであろう男たちは、私の検閲を通れなかった。私も自分の価値を見限っていたのだ。

「焼肉食べて、夜景でも行こうよ」

 男は、ネット上のやりとりと同じで、まるきり控えめだった。私は、自分の口が意思とは無関係になにごとかを話し出すのを感じた。まるで現実感がない。ここにいることが、とても信じられない。
 ひざ丈のスカートが、ひどく安っぽく感じられて、思わず裾を引っ張る。
 
 チャットアプリに登録したのは、彼氏にふられて2か月後。
 ある日、孤独で気が狂いそうになった時、「地域で出会える!」を謳い文句としたそのアプリを見つけ、恥も外聞もなくインストールしたのだった。

 性別を女に設定するだけで、多数の人がチャットを送ってきてくれた。「今日の晩、あえませんかー?」と言ってくる、フットワークの軽い大学生。「おごるよ^^飲みにいこー」と言ってくる、そこはかとなく不倫の匂いがするアラサー。シンプルイズザベスト、「君、えっち?」と、すべての体裁を捨てて本質だけを追及した一言を送ってきてくれた人。
 私はすぐに疲れてしまい、こまめに返信することをやめてしまった。
 求められるのは、嬉しいのだけれども、彼らが求めているのは私ではなく、女そのものだった。そして私自身もまた、彼らではなく、なにかもっと別のものを追い求めているように感じられ、関われば関わるほどお互いの欠乏が浮き彫りになる。
 そこで、執念深く食らいついてきてくれた男だけが、結果的に、残された。

「服、ええね。そういう服、好きやわ」

 焼肉屋までの道すがら、彼はぽつりと言った。
 この人、私のこと、褒めてくれてる。
 時間を使わせてしまったことへの申し訳なさと、感謝と、承認欲求とが混ざり合い、私はなんとしてでもこの28歳を笑顔で帰らせなければならないという使命感に駆られた。バックボーンを知られない関係なら、愉快な冗談も平気で言える。

「俺、車やから。やけど、好きなんやろ? 飲みなよ」
「ええん? やっぱ、生やなあ」
 私は、大学の新歓でたくさん飲んで機嫌よく帰って以来、酒のとりこだった。
「俺、前に付き合ってた人、もの持ちやってん。買い物に出かけたら、紙袋いくつも引っ提げて歩くことになるの」
 最初こそ控えめに、肉を焼くことのみに集中していたものの、男は徐々に饒舌になっていった。
 仕事の話。故郷の話。お互い、ホラー映画が好きという共通点が見つかり、貞子VS伽耶子の話で大いに盛り上がった。ジョッキをあおりながら、楽しげに笑う女の声には、一点の曇りも感じられない。
 
 よく見ておけよ。
 私は女。まだ価値がある。いくらでも可愛がってもらえる……。

 人は、復讐心のみで、どこまでも落ちられる。

 ・

 実際、私には一生まともな恋などできないのではないかと疑っていた。テレビのアイドルはみんな同じ顔に見えたし、恋愛漫画のキャラクターには感情移入できず、「ちゃお」では大半を読み飛ばし、巻末にあるギャグマンガをありがたがって読んでいた。現実の男子と接点が無さすぎて、惚れたはれたの騒ぎがおとぎ話のように感じられたのだ。そのくせ、エロいことには興味津々で、母親が買ってくる「実録!嫁姑バトル」とかいう特集漫画雑誌に、所々出てくるエッチなシーンで情報を得ていた。
 高校の頃、告白してきたのは彼のほうからだった。私のような女に興味を持つ人間がいるとは、それまでの人生から考えて驚くべきことだった。嫁姑バトルで得た、余計なエロ情報が、「もしかして身体目当てでは?」という推測を引き出したが、それからの七年間はそれまでの十数年間よりもずっと密度の濃いものとなった。
 
 私は、自分に自信がなく、人と目を合わせることも、自分の話をすることもできなかったから、彼と会う前はいつも怯えていた。たとえば、駅で待ち合わせし、彼の家へ行くとして、その間の移動時間はなにを喋ったらいいのだろう? 私は、小さなメモ用紙に、「トークリスト」として彼に話すことを箇条書きでつづり、万全の態勢で挑んだ。しかし、お喋りな彼はたいてい、そのトークリストを使う間もなく喋りだすのだった。
 
 私は徐々に、「もしかして身体目当てでは?」と思うことをやめた。それはとても恐ろしいことだったが、彼と真摯に向き合うために、はダイエットをし、化粧を覚え、髪の毛を巻いた。だれかのために必死になることは、かっこ悪いことじゃない。彼と出会う以前と以後では、世界はまったく違って見えた。

「勉強なんか、できひんから、卒業したら工場に行きたい。だれとも関わらんでええとこに就職したい」
 付き合いだした当時、私と彼は高校三年になろうとしていた。
「お前は、人と関わることが向いてるよ」
 彼は思ってもみなかったことを言った。
「人のために働くのが、向いてるよ。お前は、ほんとうは社交上手やからね」

 数か月後、台風の直撃する中、気乗りしない私を進学説明会に連れて行った彼は、そうそうに目当てのブースに消えてしまった。私に、目当ての大学などない。しかし、1人不安げにつったっているのも耐え難くて、しぶしぶ絞り込み、探した学科は社会福祉だった。「卒業したら工場に行きたい」その舌の根が乾かぬうちに、私は福祉系大学に進学した。
 
「あほ大学やわ、名前書いたら受かるんやわ。あほそうな顔の学生ばっかり、歩いとる。我慢ならへんわ」
「そんなことないで、学力と頭のよさは関係ないねん。勉強ができんでも、賢い奴はいっぱいおるんやで」
「うちの大学に限ってそんなことないわ」
 私は、自分の属しているものを素直に誇るということが苦手だった。

 彼との思い出を、語ればきりがないが、全体を通して言えるのは、私には所属感が欠けていた。彼と一緒だという感じがしない。彼が私のものだという感じがしない。どれほど与えられ、満たされようと、2人はどこか隔たっていて、私はいつも一人だった。どうすれば、あちら側に行けたのだろう? ……私も、みんなのように、あちら側に行きたかった。

「いつまでも一緒やで。大丈夫や。絶対、俺が味方でおるからなあ」

 夢・いいお嫁さんを貰う!


「有名な場所やけど、初めて来たわー」
 夜景が眼下に広がっている。男が、この日のために調べてくれた夜景スポットだ。実は私は以前に行ったことがあり、そこが有名な青姦スポットだということも知っている。身の毛のよだつ思いがして、思わず周りのカップルたちを見やった。
 男と、場に似つかわしくないホラー映画の話で盛り上がりながら、夜景を見つめる。こんな景色、一生与えられるはずがないと思っていた時期もあった。少女時代、中途半端に冷静な視野を持っていたために、自分の価値を見限らざるをえなかった。しかし、私は自分で思っていたよりずっと普通の女で、普通に恋をし、失恋し、やがて死ぬのだ。

「今日、楽しかったな……」
 そういう男の横顔に、疚しさは感じられなかった。元来、誠実な男なのかもしれない。身体を触った方がいいのだろうか、と、純粋なサービス精神から考えたが、男からそういう気配は感じなかった。28歳にして、自分のことをおっちゃんと卑下し、片道40分かけて、見知らぬ女に焼肉をおごってくれる。おそらく、様々な紆余曲折を経て、今、この場にいてくれているのだと思うと、感慨深いものすらある。
「ほんとに、ありがとうございました」その言葉に嘘はなかった。
 私たちは、23時頃、手も繋がずに解散することになった。
 帰り道に、男に出身大学を聞かれた。
「ちなみに、大学、どこ行ってたん」
「あほな大学ですよ。聞いたらびっくりする」
「そんなん、なんとも思わんよ。俺も知ってるかな」
「…………○○ですよ」
「えっ」
 男が、電子たばこから口を離す。
「そこ、俺も行ってたわ……」


 私は、焼肉と夜景に連れて行ってもらった日以来、男への連絡を絶ち、出会い系アプリも引退した。自分が望んでいるものが、そこには無いことにはっきりと気付いたからだ。男からの連絡は日に日に粘度を増し、「おーい?」「まさかね……」と、なにかに勘付いたラインを皮切りに、「よっ」「おはよー^^」と、挨拶を送ってき続け、最終的には日に何度もスタンプだけを連投してくるようになり、完全に沈着するまで4か月かかった。

 男が悪かったとは思わない。男と、私と、前の彼氏との三者に、そうたいした違いがあるとも思えない。ただ、私は、虚空にむかって投げられ続ける男のラインに、手を合わせて「御免っ」と、心からの謝罪を持って見捨てることを選んだ。どうか、広大なネットの海で、別の出会いを掴んでほしい。焼肉と夜景をありがたがる女は、他にもいるから。

 私は、毎晩、仕事から帰ると、出会い系アプリの代わりにラインを開いた。元彼のプロフィール画像を拡大し、酒のあてにする。部屋の明かりを極限まで落とし、坂本冬美の「ずっとあなたが好きでした」をBGMに、2割引きだったとんかつ弁当を食べながら1人晩酌をする。
 ふいに、鏡に映った自分の顔が、とても満足げに見えて、私はまた悲しみをそそる酒をあおった。
 

著者のゆずるさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。