歌舞伎町の長い夜。〜オカンとムスメと時々同伴出勤〜
今の時代は歓楽街でお姉さんと健全にお酒を飲むお店と言えば、キャバクラやクラブやガールズバーでしょうか。
むかーし昔は、キャバレーの時代があり。キャバレーからクラブへと時代が移り変わり初めたころ、私の母は歌舞伎町のクラブでホステスをしていました。
歌舞伎町の元コマ劇場前にあった、当時は有名店と言われる、とても大きなクラブがありました。500人も収容の出来る大箱のクラブ。この時代はキャバレーの名残のある大きなクラブが数多くあった様です。広いフロアーにミラーボールがキラキラ光るダンスホール、大人数の生演奏のバンドもありました。
そんなキャバレーの雰囲気を色濃く残すクラブでは、当時の大御所芸能人もクラブで営業周りが盛んな時代。その歌手のライブや時には、きらびやかな日劇のショーもありました。その雰囲気に見合う様にバッチリのメイクにドレスや着物にお金をおかけて着飾った、ホステスさん達が300人!それはとても圧倒される様な独特の雰囲気でした。
その華やかでゴージャスな空間には、お酒の香りと香水の香りの中で、色気たっぷりのホステスさんにデレデレに甘えながら酔っ払ってるおじさん達とそのフロアーではパキパキっと働くボーイさんと監視するかの様にキリッとした目の黒服のマネージャー。
それはとても現実社会とはかけ離れた特別な世界。
当時、幼かった私はこの大人のとても不思議な異空間の中にいました。
私は物心ついたころから、このクラブに出入りしていました。
…たしか、小学生なるか、ならんかの頃。今では考えられない事ですが、破天荒な母の行動に見て見ぬ振り…と言う感じで、流される時代だったのでしょう。
なぜ、幼い娘を夜のお店へ連れて?
ホステスさんとは常にノルマとペナルティに追われています。
母もその同伴ノルマのペナルティーを回避すべく、頭を抱えていた。
「まずい!同伴日数が足らない!」
(。-∀-)なんでアンタはいつでも急なんだ!
「どのお客さんも都合がつかないって!」
(。-∀-)前もって準備しとけよ。
「給料が減っちゃう、どうしよう!汗」
(。-∀-)今更遅いから。
「ぁあ〜どうしよう…どうしよう!!…」
(。-∀-)自業自得なの、あきらめて。
…と目の前に娘が。
「あっ!!」
エッ(゚Д゚≡゚Д゚;)? えぇっ?!
「そうだ!娘と同伴すれば良いじゃん!」
(。-∀-)それで良いんかね…あなた。 (衝撃的な安易)
…とう言う訳で、娘と同伴する。
いや、いや、意味不明そのものです。
同伴出勤とは通常、お客さんの腕を掴んでお店に連れ込み、確実にお店にお金を落としていただくと言う営業方法です。(お客さんの思いは真逆ですが)
私が同伴するということは、夜の歌舞伎町を一人で帰らせる訳にも行かないので、基本的に開店からお店のラストまで。蛍の光を聞くまで居なければならない…なんなら指名客のアフターにまで連れて行かれることも。
確かに、今も昔もホステスさんのペナルティーは厳しいのもわかるが、だからって娘を同伴客として連れて行きます?!
同伴ノルマを達成しないと、ペナルティーとして1ヵ月分の時給の全てが減額になるらしく、自腹を切ってでもノルマをクリアしなければならない。母子家庭で必死に生活する母にとっては死活問題だった様です。
生きるために「人目はばからず」…と言う訳だ。
初めて店に行ったあの日。
母は私の手を引き、店のエレベーターへ行くと
黒服:「あれ?!今日はだいぶ可愛らしいお客さん連れてきたね(冗談のつもり)!どうしたの?!」
母:「そうよ~今日は娘と同伴出勤よ~今月足らなくってさー!」
絶句からの…苦笑いの黒服。(まさかそんな…)
店に入れば、もちろんホステスさんもボーイさんも他のお客さんも「えっ!?」って顔して振り返る。みんなから声を掛かられると母は笑いながら「連れてきちゃった~ウチの娘なの~♪」…皆=キョトン顔からの絶句。(まさかそんな…)
店も初めは母の突拍子ない行動にびっくりしていたが、いつしか店側が慣らされいく。
当時、忠告する人へ良く言っていた「言うのは簡単だけどね、あんた私の娘の面倒見れんの!」だった…それ言われると相手は何も言わなくなるよね。
それからも、母は懲りずに切羽詰まる度に、私を店へ連れていった。
店に入り小さなテーブルに座ると客として、私の前でボーイさんが膝まずき、メニューとおしぼりを母に手渡す、慣れた手つきでまるで客に渡す様にそれらを私へ差し出す母。そして、とても高いオレンジジュースと、とても高いサンドイッチを注文する。ノルマがあるので決められた数のおつまみも注文する。
子供ながらにその料金の高さにビックリしました。なぜ?「こんなことのために何万円もの大金をおじさん達は払うのか…何が楽しいんだろ?」と嬉しそうな顔で通うおじさんたちの気持ちが全く理解できなかった。
そして、高級な注文の品を母の横で客としていただく。なんて無駄に高級な晩メシなんだ。恐らく、こんなに呆れた状況で夕食を取る親子なんて、日本中のどこを探しても私たちだけではないでしょうか。
しかし、私は母に店へ連れて行かれることは、決して嫌ではなかった。何故ならば、いつもなら夜はクラブが運営する託児所に預けられていたので、お店についていけば、大好きな母と一緒にいられるこの時間は、私にとって、むしろ楽しい時間でした。
でも、お店では母も私の席にばかりは居られない。もちろん、指名が入れば席を外します。ヘルプの母の友達のホステスさんと幼い少女がクラブのテーブルに…通りすがりのボーイさんや黒服のマネージャーさんもホステスさんも皆んなが気遣い優しく話し掛けてくれました。不思議な理解の出来ない世界ですが優しくされることに悪い気がしませんでした。
それから母も考えた?!ご贔屓の指名のお客さんの席に合流させられ…
私にとっては見ず知らずのおじさん。しかし、お客さんは母から私の話をよく聞いて居たらしく私のことをよく知っていた「なんか飲む?なんか食べる?」と私に気遣うお客さん…そうこうしていると母はまた別の指名の席へ。知らないおじさんと私とヘルプのホステスさん…。その微妙な空気感を今でも覚えている。一生懸命に優しく気遣うお客さん、小さな新人ホステスさんに何を話していいやらと言った感じでしょうか。
そして、最終的には…
お客さん:「お会計もこの子と一緒にして良いよー」
母:「あら〜♫良いのぉ〜♡悪いわね~」
なるほどぉ…(。-_-。)
長年ホステスとして生きた母のしたたかさと言うか図太さと言うか。なんと言うか…ホントに理解に苦しむ母の行動。ただ「生きる」への執念と言えばそれが全てなのでしょう。
高収入できらびやかで華やかな、ホステスさん…でも、じつに大変な仕事。
指名のノルマ、同伴ノルマ、パーティー券販売ノルマ…。それと合わせて何でもペナルティです。高収入とは言え、これらをクリアしなければ、お給料はどんどん減っていきます。更にドレスに着物も美容院代も全て実費。ホステスさんは伊達に高収入で楽な商売ではありません。
そして、未成年の私がお店に入るなんて、今ならお店と親共々確保されます。昔もダメだったと思いますがね。
ただただ、勢いでねじ伏せたのでしょう、我が母は。
この突飛かつ破天荒な母の話はまだ数知れず…。引かれる様な話しばかり、人前で話すこともないですが、覚えて居るうちに書き出してみました。
そんな母も三度目の正直で40歳で再婚し、ホステスを引退。その後は新宿の片隅で居酒屋を細々と営んで30年近くになりました。気付けば70歳を過ぎました。まだ健康に生きてますが、相変わらず世の中とはズレたままです。母としてはこんな人…嫌ですが、情に流されやすく、普通の人と違う事を平気で言う。人としては面白いかも知れません。
でも、できれば第三者として離れたところで見ている方が良かったかな。
私はこの母とは真逆な生き方を選びました。
これが反面教師というのでしょうか。
でも、十分にあなたの独創的なDNAは受け継いでいる気がします。
でも、あなたが最後の時まで幸せでいてくれればそれで全てがチャラです。
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