親子の縁を切ろうと思った産後

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ゴールデンウィークで
実家のある愛知にきています。

一度だけ、親子の縁を切ろうと
思ったことがある

それは
長男の出産直後のこと

さっきまでお腹のなかにいた
小さくて、あったかい命の重さを
うでのなかで感じたとき
「わたしの命をかけて、この子を守ろう」
そう誓ったことを覚えている

そのとてつもない使命感は
当然のことながら わたしを苦しめた

長男は、ほんとによく泣く子だった 

長女と比べても
比にならないくらい泣いていた

ちいさな身体を
 めいっぱい、のけぞらして
真っ赤にして
チカラのかぎり、泣いていた

お腹を満たしても
抱っこしても
オムツを替えても
体温調節をしても
ラックで揺らしても

めいっぱい身体をのけぞらせて
2〜3時間 泣き続ける

それが1日に2回〜3回あったように思う

深夜の授乳もあって
わたしはもう、常にクタクタで
途方にくれていて、
ラックのうえで なきわめく我が子を
呆然と見守ることしかできないことも、あった

その横で
睡魔におそわれて
一瞬だけ意識を失うように眠るのだけど

当然のことながら
すぐに泣き声で目が覚めて

そして
とてつもなく大きな使命感を抱いたわたしには、

なきわめく我が子が
なぜかとても不憫に思えた


「ここはいやだ。お腹のなかに戻りたい」
と、言われているようだった。


「ごめんね」と思った
「お腹から出してしまって、ごめんね」

「しんどいけど
わたしが、そばにいるから
一緒に乗り越えようね」と、
ココロのなかで語りかけていた。


産後間もない、重たい身体をひきずって
昼なのか、夜なのか
起きているのか、寝ているのか

判別がつかない朦朧とした意識のなか
泣き続ける我が子を抱いて
部屋のなかをひたすら
ウロウロと歩きまわっていたように思う



産後は、
退職した両親のもとで過ごした。

そんな大変な状況だったのだけど

両親は、畑の手入れが忙しかったり
やれ太極拳だ
やれ卓球だ
やれ合唱だ
といって、

日中と、そして夜も
家にいなかったりして

家にいたと思うと
社交的な母の友人が遊びにきたりして

わたしは実家に来ているのに
なぜかひとりで
そんな大変な状況を抱えていて
かつ
母の友人にも愛想をふりまいていた

わたしは勝手に上京した身だから
両親の生活ペースを極力乱さないように
そして
母の友人たちの気も損なわないように
こころがけていた

朦朧としつつも
不安と緊張と焦燥に駆られている私から見た母たちは、

楽しそうに
幸せそうに
おしゃべりに花を咲かせていて

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