中学時代の卓球部・一旦終了

前話: 中学時代の卓球部・その2

 そして、1年生の11月頃、夏休みのペナルティが解除となり、ようやく台の使用が許可された。その後、1年生が終わるまでは可もなく不可もなく進んだであるが、2年生になり、顧問の教師が変わることとなった。これにより、卓球部の体制が大きく変わってしまう。

 まず、この顧問教師は、私を含む2年生から特に上手いものだけ3名ぐらいを選抜し、レギュラーメンバーに固定し、さらには、新入生の1年生の中から小学校時代に卓球をやっていて上手いものを何人か選抜し、これも同じくレギュラーメンバーに固定し、このレギュラーメンバーには顧問が直接指導するようになった。

 この顧問教師は卓球が非常にうまく、毎日、必ず練習に顔を出しては、レギュラーメンバーには一対一で練習をつけていた。また、補強トレーニングは一切やらなくなり、毎朝、7時から8時までの1時間、夕方も、毎日2時間ぐらい、台を使っての練習だけとなった。補強トレーニングが無くなり、ある意味では楽になった。

 このように、顧問教師が変わったことで、卓球部は部活らしくなったのであるが、レギュラーメンバー以外の残りの部員はどうかというと、たった1台の卓球台をあてがわれただけで、この1台に20人近くが群がって練習することとなったのである。私はレギュラーメンバーは選ばれなかったので、この残りの部員となった。要は、窓際族である。

 練習は、2名の部員が試合形式で打ち合いをし、何本か落としたら負けとして次の部員に交代する、という形を取っていた。これを時間内、延々と繰り返すのである。自分が勝っているうちはいいが、負けて台から離れると、次に機会が回ってくるまで、時間を持て余すこととなる。レギュラーメンバーには限りがあり、今思うと、やむを得ない措置ではあったが、これもこれでバカバカしい状況であった。

 しかし、今思うと自分の努力も足りなかったように思う。ただ時間になって練習に出かけ、他の部員と同じ練習をしているだけだったら、いつまでたってもそういう状況からは抜け出せない。他の部員から一歩抜き出ようと思うのならば、家に帰ってからも素振りを最低1時間ぐらいやるとか、卓球関連の雑誌等を取り寄せて研究するとか、そういう努力も必要であった。しかし、当時の私はそういうことは一切しておらず、自分の状況を嘆いているだけであった。それでは上に行けるはずもなかった。すなわち、卓球というスポーツに対して本腰が入っていなかったと言えよう。

 その上で、あえて今申し上げると、レギュラーメンバーをずっと固定するのではなく、例えば、プロ野球のように1軍、2軍のようにして、1軍のレギュラーメンバーには、油断していると2軍に落ち、2軍の選手には努力すれば1軍に上がることができる、というチャンスを与えるような体制にしてもよかったかもしれない。

 例えば、二ヶ月に一回程度、月例校内試合というようなものを行い、その間の練習成果を試され、1軍で成績が悪かったものは2軍に落とされ、2軍で成績の良かったものは1軍に昇格するとか、そういうことでもすれば、もうちょっとやる気も出たであろう。しかし、そういうことは一切なかったので、ただ、毎日毎日、同じことを繰り返していただけであった。



と、ここまで書いたものの、この先、時間を追って書いてもいつまでたっても終わらないため、勝手ながら、この話も一旦ここで終了とさせていただきます。この話の続きを含む内容につきましては、今後も、断片的に書いてまいりますので、ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。

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