東京に行って失ったものと得たもの・その5

前編: 東京に行って失ったものと得たもの・その4
後編: 東京に行って失ったものと得たもの・一旦終了
 ともかく毎日毎日、毎晩遅くまで働いていた私であったが、東京の工場に赴任し、そろそろ、丸3年になろうとする頃、私は完全に疲弊していた。将来への希望も何も持てず、親会社からも見捨てられたような気持ちになっていた。
 ある方にそのことを相談したところ、その方の言うには、普通、子会社への出向というのはだいたい、3年ぐらいの期間である。3年ぐらいたって親会社から何の打診もないというのは、ある意味、見捨てられていると言ってよい。君はまだ若いのであるから、やり直しもきく。これ以上、将来が見えないのであれば、今の会社をやめるというのも選択肢の一つである、というアドバイスをいただいた。
 このアドバイスを聞き、私も腹が決まりかけていた。ところが、ここに来て思わぬ方向に進むこととなる。
 きっかけはそれほど大したことではない。もうこれ以上、今の会社に行くのはやめようと腹が決まりかけていた頃のある日、私は髭剃りで髭をそっていたところ、妙に肌がシャリシャリするのを感じた。どうもカミソリ負けしたようである。その後、顔の皮膚にひどい皮膚炎ができ、痒くて仕方がなくなった。
 この皮膚炎はほっておいてもひどくなる一方であったので、近くの薬局に行き、適当な薬を入手して顔につけたのであるが、どうもこれがいけなかった。かえって症状が悪化し、とてもじゃないが人に見せられるような顔ではなくなり、会社にすら行けなくなり、その後、一週間ほど、会社を休んだのである。
 その間、今度は皮膚科の医院に行き、きちんとした薬を処方してもらったので、多少は皮膚炎も治まってきた。一週間後、ようやく会社に出勤し、前述のとおり、上司に辞意を述べようと思っていた矢先、工場長に呼び出され、部署を異動するよう命ぜられたのである。
 というのは、ちょうどその頃、東京の工場もいわゆるISO9001品質マネジメントシステムの審査登録を1年の準備期間を経て受けるということとなり、私を技術部門に異動させ、その事務局をやるようにとのことであったからである。
 この話を聞いた時、私は心の底からほっとした。技術部門は、時間に追われることはさほどない部署であり、この異動により、生産管理でのいまいましさから解放され、時間に追われなくなると思うと、本当にほっとした。
 事実、技術部門に異動すると、定時の5時過ぎに帰るのは無理にしても、毎晩7時頃には帰れるようになり、精神的にも非常に楽になったのである。そして、会社をやめる理由もある程度は解消したので、そのまま続けることとした。
 こうして、いまいましい生産管理での3年間が過ぎ、技術部門に移り、時間にも精神的にも余裕が出てきて、ようやくバラ色の東京生活が待ち受けているかのように思えた。
 しかし、物事はそうはうまくいかないものである。その後、今度は私生活において金銭問題に悩まされることとなる。これは自分の油断から生じたことであったが、今思えば、大きな勉強となった。これについては続きで述べる。

続きのストーリーはこちら!

東京に行って失ったものと得たもの・一旦終了

みんなの読んで良かった!