人生のレールを脱線してみたら、こうなった僕の半生記【前編】

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次話: 人生のレールを脱線してみたら、こうなった僕の半生記【後編】

どのようないきさつでキャンピングカーライフになったのか?


仕事は?収入はどうしているのか?


みなさんの率直な疑問はこんなところではないだろうか。

 

まず初めに、家が裕福なわけではない。

 

父親は印刷会社のサラリーマン。母親は僕が小学校の頃からパートに出ていた。

四つ下に弟が一人いる。

小さい頃から「鍵っ子」という、東京の下町ではごく平凡な四人家族だ。

裕福ではないにせよ、不自由なく育ててくれた両親には今でも感謝している。

 

少年時代は運動神経がよかったこともあり、クラスの人気者だった。

子供の世界は足が速いというだけで主導権を持てる。

そのおかげで勝ち癖が付き、自信が持てる人間性ができあがる。

子供にスポーツをさせる親が多いのはこんなところだろうか。

 
高校生の時はヤンチャだった。

仲間と集団でバイクを走らし(反省している…)、朝帰りは頻繁で、学校や警察から自宅に電話がくることもあった。


のちに母親はいう。

「いつ呼び出しの電話があるかわからないから、あなたが成人するまではお酒は飲まなかったわ」。

警察から呼び出された親が、酔っ払っているわけにはいかない。という理由からだ。

親にはかなり迷惑をかけてしまった。

 

社会人になってからは多くの仕事を経験した。

日焼けサロン・レスストランのウェイター・引っ越し屋・宅配便・先物取引や健康食品の営業・現場監督など…。

どの職業でも人並みには仕事ができ、すぐに上司からも気に入ってもらえるタイプだった。

しかし、仕事が慣れてくると面白みが感じられず、どの仕事も長くは続かなかった。

この頃から、雇われて働くことへの不自由さを感じていたのかもしれない。

 

そんな半端な日々を過ごしていた僕に転機が訪れる。

 

ヤンチャで有名だった地元の先輩と偶然に再会した。

先輩とは小学校からの付き合いだ。

若いころは声もかけられないほどの迫力で、憧れの存在でもあった。

起業し、恵比寿に事務所を構えていた先輩は、

スーツ姿にゼロハリバートンのアタッシュケース、腕にはロレックスのエクスプローラーが輝き、変わらぬ迫力に加え、大人の魅力が漂っていた。

 

『忙しく動くのは好きか?』

 

確かこんなことを聞かれたと思う。

それを機に先輩の会社を手伝うことになった。

 

 

イベント業を経営する先輩のサポートをしていたある日、一つの案件が舞い込む。

先輩の知人で芸能プロダクションの社長が、在籍モデルの委託営業をさせてくれるという。

 

これが人生の最初の転機となる。

 

クライアントの新規開拓をし、営業やモデルの管理も僕が一人で行った。

利益が上がれば、給料も比例する出来高制だったため、考える力が重要だ。

これまでの仕事と違う点だった。

 二年後には先輩が社長で僕が専務取締役となり、新会社を設立するまでとなっていた。

プロダクション業に加え、BARを二店舗経営し、すべての管理を任されるようになる。

当時二十七歳で月収は百万円ほどになっていた。

外食も頻繁になり、知り合いも増えていった。


そんなある日、ヤンチャ時代の旧友数人と飲んでいたときのこと。

【地下格闘技】の話がでた。

 

地下格闘技とは、喧嘩自慢の不良たちが観客の前で殴り合いをするイベントだ。

総合格闘技のように薄いグローブはするが、ルールはなんでもあり

今では全国にも複数の団体がある。
その先駆けとなった東京の団体が知り合いだという。

 

『稲、やってみれば?』

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