人生のレールを脱線してみたら、こうなった僕の半生記【前編】

4 / 11 ページ

次話: 人生のレールを脱線してみたら、こうなった僕の半生記【後編】

 

こんな感じでいくつもの業種を見つけては、否定していく日々が続いた。

あくまで成功することを前提に考えているのだから幸せな奴である。

そして最終的にワガママライフにピッタリの業種を見つけた。

それがトレーダーだった。

 

当時はコンビニに置いてある雑誌でも、頻繁に株やFXの記事が目についた。

これだ!

在庫も抱えず、お客さんもいない。

自分のお金でお金を増やす。そのスキルを磨けばいいだけだ。

こうして決まったのがFX(外国為替取引)だった。

 

思い立ったらすぐ行動な僕は、さっそく東京の借家を解約して、千葉の九十九里海岸にある一宮町に引っ越した。

一宮は、のちに二〇二〇年の東京オリンピックでサーフィン会場に選ばれることとなる日本でも有数のサーフエリアだ。

そこで毎日サーフィンをしながら投資のスキルを磨き続けた。

 

もちろん、すべてが順調だったわけではない。
今までに数回の破産も経験した。

その度にバイトをしながら投資をやり続けてきたわけだ。

投資での奮闘の日々は、これだけで一冊の本が書ける。
機会があれば書いてみたいと思うが、
ここで伝えたいことは、可能性を自分自身で狭めてはいけないということだ。

 

【自分の限界は自分が決める】

一度は耳にしたことがある言葉だと思う。

この言葉は、例外なく万人に共通する事実だ。

 
昔、本で読んだことがある。

人間がアイディアや、やりたいことが浮かんだとき、何回チャレンジし、何回失敗したら諦めるものかという実験だった。

五回?三回?またはたったの一回?


答えは0回。

良いと思えるアイディアや、やりたいことが思い浮かんだとしても、
次の瞬間に頭の中で出来ない理由を探し出す。
そして一度もチャレンジすることなく諦め、日々の生活に戻っていくのだ。

同じようなことがたくさんの本でも紹介されている。

 

話しがそれたが…。

こうして少しずつトレーダーとしてのスキルが身についてきた僕は、キャンピングバスを購入し、二〇一六年の五月(当時三十六歳)から旅を始めた。

 

理想のライフスタイルを求めて。

車内

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

~Life is a journey~東北編~④


  仙台のキャンパー アタルさん


二〇一六年の五月から旅を始めた僕は、夏に向けて太平洋沿いを北へ進むことにした。

 

途中、茨城のサーフポイントでキャンピングバスが砂浜にハマり、
身動きがとれずにいるところを地元のサーファーに助けてもらう。
総勢十一名でキャンピングバスを押してもらい、脱出できたときは、一人一人にお礼を言って握手をした。

 

そのときのインスタグラムの投稿だ。

 

JAFだとバスはその場で現金十万円コースだと言われた…。

ちょうど前日にミニシャベルを購入していた。


やるだけやってやろうと一人で砂を掘り始める。


身体中が砂まみれになると妙にテンションが上がる。


砂場遊びをする子供のように…。


もしかしたらここに宝物があって、そいつを掘り出す合図なのかもしれない…。


なんて、小説【アルケミスト】を思いつつ堀り続ける三十六歳。


それからタイヤに噛ませる流木などを探して歩いた。


そこに後輪の幅にぴったりの板二枚と、これまた車幅にぴったりなカーペットが捨ててある。


この時点で『もう大丈夫』と妙な確信をする。


すべてをセットしてから近くのBBQグループに助けを求めた。


『掘れた?』って笑いながら賛同してくれる。


『もっと人数いるな~』と言うと離れたところまで人を呼びに行ってもくれた。


総勢十一名でバスを押し、奮闘しながらも生還できた。


一人一人と握手をしてお礼を言った。


『良かったですね』と笑顔をくれた。


とても温かい気持ちになった。


あっ、宝物…みつけたんだ。

うもる

また北茨城の海では、サーフィン中に知り合った地元の女性サーファーから後日、『道中、気を付けてください』と栄養ドリンクとクマジのおやつまで頂いた。

著者のKazu Inaさんに人生相談を申込む

著者のKazu Inaさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。