鉄格子の内側 第12話 -検事登場-

ガチャガチャ、ガチャガチャ───
両手を少しでも動かせば無情にも金属音が鳴り響く。ギューっと締めつけている紺色の縄が腹部を圧迫する。
そして、異空間にいるような静寂さ…私は検察庁にいた。
「あんな空間がこの世に存在するとは思わなかったよ。気が狂いそうだったよ」
検察庁から戻ってきた、おじさんが担当さんに愚痴を吐いているのを聞き、右に同じだった。
検察庁は都道府県が変わっても統一ルールと思っていた。
とんでもない。実情は真逆だった。前検察庁は動物園のように各部屋からギャーギャーと騒ぐ声が聞こえていたが、ここでは他人の呼吸音が耳に入ってくるほどの静けさだった。
それもそのはず。
私語が一切厳禁なのだから
護送車に乗車した瞬間から厳格なルールが発動し、それからの一日は担当さんと検事以外には口のチャックが閉められたままだ。
迂闊に被疑者同士で話そうものなら轟音が響き渡る。尚、各部屋の前には交代で担当さんが立ち、私たちの動向を監視する徹底ぶり。
当然、本も何もない。立ち上がって歩き回る行為をはじめ、他人に不快な情感を与える行動は注意の対象だ。

私たちの残された手段は黙って朝から夕方まで眼をつむるだけだった
しかし、時にはあっと驚く出来事もあった。

連絡相手

「はい、新件の人は今から紙とボールペン渡すから連絡したい相手の名前・電話番号・住所・関係を書いてください」
担当さんが説明をして紙とボールペンが配られた(新件とは逮捕されたばかりで四十八時間以内に検察庁に連れてこられた人を指す)。
該当者は受け取り、筆記を始めた。
「うーん、電話番号がわからねー」
とハスキー声の小さなオッチャンが呟いた。
「電話番号がわからなかったら、住所だけでいいよ。書類で伝えられるから」
担当さんが言った。
「住所はわかる。関係か…」
小さなオッチャンは首を傾げ、ペンを止めた。
「親?それとも兄弟?」
「ちがう」
「じゃあ、友人?」
「ちがう」
「なら、知人?」
「ちがう」
「じゃあ、誰だよ!」
担当さんが面倒くさそうに言った。小さなオッチャンはボソっと答えた。
「俺がやった奴
…。小さなオッチャンは別室に連れていかれ、色々な意味で震えた瞬間だった。

検事は女性

「○署、三百八番。取り調べ」
縄を引かれて取り調べ室の前に連れてこられた。
コンコン───
担当さんが二度、ノックした。すると一呼吸おきシックな眼鏡をかけた、ソフトモヒカンヘアーの色黒の男が扉を開けて、顔をのぞかせた。
「どうぞ。お入りください」
見かけとは裏腹に慇懃な口調で入室を促された。失礼します、と一声あげて私は中に足を踏みいれた。
私の視界にまず、飛びこんだのは正面の大机を挟んで椅子に腰かけ、
私を睨みつけている女性だった
髪は胸元まで伸ばされ、二重まぶたに切れ長の瞳を持ち、鼻すじは高く、口唇は薄くキュっと真一文字に結ばれている。才色兼備を絵に描いたような風貌だった。
キツそうだな…。それが第一印象だった。
担当さんに手錠を外され、縄を椅子にくくりつけられるとようやく女性が言葉を発した。
「担当検事のカワアイです。よろしくお願いします」
たんたんと例に沿った挨拶をされた。
よろしくお願いします、と頭を下げる私の脳裏には検事の名前が反芻されていた。
───カワアイ
私のアイカワという名前を上下引っくり返したような類似している名前に
三度目の奇妙な引力を感じた
勿論、検事はそんな気配を一切見せることなく粛々と取り調べを始めた。

青空散歩

警察署の取調室とは比べ物にならないくらい部屋は広く、八畳ほどの小綺麗な空間だった。
私と検事は向き合い、先程の男は私の右手側の机の前に座っている。
男は書記官と言われる立場で検事あての電話をとったり、調書を作る際に検事の言葉を文章化する役目を担っていた。
そして、検事の後方には録音録画用の機器が設置されている。私の一言一句を漏らすことなく監視しており、慣れるまで息苦しかった。
「初めにですが今回、あなたを逮捕した事実内容を読み聞かせて確認したいと思います。えー、被疑者は平成○年○月○日○時頃に───」
必ず一回目の取り調べでは逮捕状の内容を読み聞かせ、事実確認をする。
「今、読み聞かせた事実に間違いはないですか?」
「間違いありません」
二、三の簡単な質問が終わると、短い調書を作成され、確認後、指印を押し部屋に戻される。
「○署、三百八番。裁判所行くぞ」
新件時のみ、十日勾留の有無を裁判所で直接決定されるので検事の取り調べの後、裁判所に向かう。
前検察庁では護送車に乗って検察庁から裁判所に向かったので同様の流れかと思いきや、裏口から外にでると
当然のように敷地内の奥に担当さんは歩き始めた
私は縄を引かれているので従うだけだがこの対応には狼狽した。
「あのー、まさか歩いて裁判所いくんですか…?」
目の前の担当さんに話しかけた。
「そうだよ。同じ敷地にあるから一分ほどで着くよ」
私は室内での厳戒な締めつけとこのほんわかとした青空散歩の落差に思わず顔を綻ばせてしまった。
喫煙所で煙草を吸う庁の職員、バイクや自転車が立ち並ぶ駐輪場、頬をはたく木枯らし、凛然とした空気。

この一分間だけは今いる場所を忘れさせてくれる特別な時間であった
裁判所に着くと、小さな部屋に案内され順番がくると呼びだされる。
「逮捕事実を読み上げます。被疑者は───」
先程の検事とのやりとりと全く同じ手順を踏み十日勾留が伝えられる。
そして、再び検察庁の部屋に戻り、同じ護送車の面々の取り調べが終わるのを待つ…のではなく逆だ。待ってもらうのだ───
検事の取り調べは原則一七時までには終了する。なので早い人は午前中に、遅い人でも一七時には部屋に戻されている。
しかし、新件は裁判所というプラスアルファがある上に当日の新件の人数が多ければ多いほど混み合い遅延する。
更に正式な書類が発行されるのが部屋に戻ってから二時間後と言うおまけ付きだ。
「今、何時ですか…?」
部屋には時計がないので担当さんに聞かないとわからないのだが、誰か一人が聞けば部屋の全員がため息を吐くのは必至だった。

検事の変化

二回目以降の検事の取り調べは反町さんが作った調書を参考にしながら進められた。
取り調べなので聞かれる内容は同じようなことが多かったが態度は真逆だった。
「この部分って本当に○なんですか?本当は○だったんじゃないですか?」
私はあなたが言っていることを信じていない───
検事の眼はそう語っていた。初めは、あからさまな態度に釈然としない想いも生まれたけれども、次第に検事の対応こそが普遍的なんだろうなと考えられるようになった。
私は犯罪者だ…
武田さんや反町さんが異常なほど優しかっただけだ
そう気付かされた。
しかし、回を重ねていく内に不思議と検事の態度が軟化されていくのを感じ始めた。
「あれ、今日眼はれてませんか?大丈夫ですか?」
体調がおもわしくなく眼が腫れぼったかった私の様子に気付き、入室してすぐに心配そうな顔を浮かべてくれた。更に別の日には
「ここでの内容、反町さんに話してます?」
ふいに微笑みをのぞかせながら質問された。私は一瞬、言外の意味を考えたが検事の表情からは深い意図を感じられなかったので、ありのままを話した。
「はい。伝えると、悔しそうな顔しながら、そこかーって反省してます」
すると、突然、検事は破顔し笑いだした。
「ハハハ、やっぱり!毎回、調書がグレードアップしてるんでなんでだろうってずっと気になってたんですよ」
私はこの時、反町さんが言っていた台詞を思いだした。
「傾向と対策だよ。一から十まで事件のことをつらつら書くのは誰にだってできるけど検事や裁判官が読んで、なるほどって理解してもらえるものじゃないと自己満足でしかないんだよ。その為には担当検事がどの部分に興味を持っているのか知らないと」
反町さんが言葉どおり検事を納得させる調書を作成していたのにも驚いたが、微妙な調書の変化に気付き、情報源が私だと見抜いた検事の洞察力にも心服した。
そして、そのやりとりを反町さんに報告すると
「くそー、気付かれてたか…カワアイ検事、相当切れるな」
相変わらずの反町さんだった。

それからも検事はたびたび笑顔を見せてくれるようになり、いつの間にか懐疑的な眼の光は消えていたように思える。
それが作戦の一つだったのかもしれないが前署での移送三日前に武田さんから言われた言葉を私は信じたい。
伝わるものがあったんだと───
帰りは護送車に揺られながら流れ行く景色に眼を向ける。
ポツポツと街を照らす街灯や家や店から漏れる明かり、駅前の学生、スーツ姿の会社員。
眼と鼻の先にある世界なのに手錠をつけられている私にとっては遠い世界のように感じた。
自分の足で自分の意思で自由に行動できる毎日がどれだけ幸せなことだったのか皮肉にも犯罪者になって知ってしまった。
しかし、だからこそ多くの人に気付いてもらいたい。
日進月歩の速度で文明の開発は様々な恩恵を与えてくれてはいるが、
あたり前の日常に優る幸せはないということに

著者の懲役25年受刑者さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。