鉄格子の内側 第13話 -「つめのアカだよ」-

坊主は安くない

朝夕の冷えこみを場内でも感じられるようになった頃、洗面の水温、運動場での匂い、護送車からの風景。時の流れを意識する私がいた。
有限あるものは全て平等な時間が与えられていて被疑者も例外ではなかった。
そして、私の中でも旬な問題が浮上していた。
髪の毛だ───
逮捕から数ヶ月経ち、短髪だった髪型は見る影もなく熱帯雨林化していた。
伸びに伸びて、前髪を引っぱれば鼻の穴まで届くしまつ。五日に一回の入浴ペースでは頭は痒く、抜け毛も切れ毛もやりたい放題で日に日にストレスは増していった。
しかし、この状況を解決する策が一つだけ残されていた。
留置場には散髪のシステムが構築されていて、申し込みをすれば近隣の床屋が出張散髪という形で署に来てくれるのだ。(数年前までは担当さんがバリカンを片手に刈ってくれたらしい)。
前署でもボブをはじめ数人の被疑者が利用していた。
坊主のみでミリ単位の注文しかできなかったが刈り終わった一同の顔は甲子園を目指す少年のような輝きに満ち溢れていた。
ただし、有料で千五百円の私費だった。私はこの平成の世において坊主にそんな金額を支払うことが納得できず、手を上げなかった。
又、胸中では次の署は無料か、ここより格安なはずだと期待し、財布の紐をギュっと締めた。
そして、ついに決断の日がきた。
限界まで伸ばし、増やし、肥やした髪と別れる時が
「すいません!散髪お願いします」
サイは転がった。勿論心は無料を期待していたが最悪千五百円でも致し方ないと腹をくくっていた。刈りたい。その想いがレッドゾーンに到達したのだ。
担当さんが私の声を聞き、十一室に近づいてきた。
「了解。じゃあ、来週の月曜日ね」
「お願いします。ちなみに…料金はいくらですか?」
私は担当さんの眼を見つめ次の言葉を待った」
「料金は三千五百円だよ」
「さ…三千五百円ですか!?」
私は膝から崩れ落ちかけた。千円カットが繁栄する社会で坊主に三千五百円…。
信じられなかった。
ショックを受けている私を見て、担当さんは慰めるように言った。
「細かい注文もできるから考えといて」

坊主のみではない事実に更に驚愕した。確かに言われてみれば私より古参の人で短髪を維持している人や横だけ刈り上げている人もいた。
だが冷静に考えれば彼らはこんな所で何を格好つけているんだとフツフツ憤りがたぎってきた。
坊主だけなら確実に低コストで床屋と契約できたはずなのに無意味なオシャレを心がける犯罪者のせいで前署の二倍以上の金額を払わざるをえないことに臍を噛んだ。
しかし、私の気持ちは既にルビコン川を渡っていたので覚悟を決めて、月曜日を迎えた───
「どーします?」
私は場内の別室にいた。首から下のビニール製の雨ガッパのようなもので覆われながらパイプ椅子に座っている。気分だけは床屋の客になれた。
そして、私の注文に迷いはなく即答した。
「一番短い坊主で」
はっきりと見えなかったが床屋の主人はラッキー、とほくそ笑んだ気がした。
「じゃあ、一ミリですね」
正面のセンターラインから刈られた為、ドキドキしたが五分ほどで終了した。
高校一年生以来の坊主は頭の肌寒さを感じさせつつも、心は晴れやかで爽快感を得ることができた。代わり映えのない世界で髪の毛とは言え劇的に変化した様は思っていた以上に新鮮な気持ちにしてくれた。

これでまた事件と向き合える。心機一転し、さぁこれから…というところで大きくつまづく事態が起きた。

顔だけボクサー

私は肌が弱く、すぐにかぶれてしまうアトピー体質だった。
幼少期の頃は苦しめられたが年齢を重ねると共に改善され、社会では問題なく生活していた。
しかし、本署に来て猛烈な体の痒みに襲われ始めたのだ
二週間に一度ある診療で医者から保湿剤や痒み止めの軟膏もらっていたが効果はなかった。
昼間は平気でも夜、布団に入ると全身がムズムズしてくる。朝、起きて血のあとが増えたシーツを見て、げんなりするのが常だった。
私は最終手段に打ってでることにした。
飲み薬だ───
なんとか医者に懇願し、薬をもらえた。これで楽になれると心から安堵した。
しかし、この行為が火に油をそそぐことになるなんて思いもしなかった。
薬を服用して二日後の朝。起きると、まぶたがいつもより重い。視野も狭まっている気がする。運動の時間に髭剃り用の小さな手鏡で自分の顔をのぞいた。
そこに映っていたのは
試合後のボクサーよろしく、腫れた顔面だった
まぶたは眼を覆いかくすように腫れあがり、おでこと頬は紅色に着色し全体的にプクっとむくんでいた。
私は一目、見て状況を理解した。
アレルギー反応がでたことに。診察に来ていた医者の専門は内科だった。
以前から飲み薬と相性が芳しくなかった私は一抹の不安を覚えていた。念の為、アレルギーに該当する成分を伝えてはいたが悪い予感は当たってしまった。
私は担当さんに皮膚科の外部診察を切願した。症状を見て、迅速な対応をとってくれたことに感謝したい。
「到着したよ。降りて」
私は大きな総合病院の裏口に降り立った。手首は手錠で固定され、腰には縄が巻かれている。気休め程度に紺色布製の被り物を手錠にかけ隠しているものの私の立場は明白でしかなかった。
犯罪者というプラカードを首からぶら下げている気分で忸怩たる想いが溢れたが自業自得だ。耐えるしかない。
意を決し、裏口から突入した。三人の担当さんに囲まれ三角形の中心にいる私。
両隣の二人は縄を持つ手を自分のポッケに入れ、可能な限り、配慮してくれていることが十分に伝わってきた。
しかし、次の一言で愕然とする。
「皮膚科は別棟だから、中央ロビーつっきって正面出入り口抜けて別棟に行くから」
先頭を歩く担当さんが振り向き、口早に言った。
私にできることは老人のように腰を曲げ、できる限り下を向き、誰とも眼を合わさないようにするだけだった。
そして、好奇の視線を痛いほど感じながらも、もう少しで正面玄関という所で先頭の足が止まった。

幼稚園児ぐらいの男の子が不思議そうな顔をして、前方に立ち止まってしまったからだ。透きとおるような瞳で見つめられる時間は耐え難い拷問にちかかった。
その後、診察を受け身体も心もフラフラになりながら署に戻った。
新しく服用した薬のおかげで身体の状態は回復したが改めて犯罪者としての羞恥心を心に染み込ませられた日でもあった。

官本事件

官本───
誰しもが手にとり読む権利があり、一日のスタートは官本と共に始まると言っても過言ではない。被疑者にとって、社会でいう携帯電話と同じくらい手放すことのできないものになっていた。
そんな官本を巡ってある事件が発生した
本署では前述したように被疑者の数が多い為、徹底した管理がされていた。
起床し、掃除・洗面が終わると官本を本棚から選ぶことができる。百冊近い小説の中から、なるべく時間をかけず、パラパラと流し読みをし、判断する。そして、これだ!と思う本を見つけたら担当さんに声をかける。
「本の番号が〇番で、留置番号は三百八番です」
「了解」
担当さんが官本管理ノートなるものに記載し、ようやく部屋に持っていける。
そして、毎日、夕方の洗面時に回収ボックスに返却するのがルールだった。
この官本の異変に気付いたのは、ごく自然の流れだった。
私は仰向けに寝っころがり、官本を読んでいた。次のページを開くと顔に何かが落ちてきた。ん?なんだ?というぐらいで顔の上の何かを払い、体勢を起こした。
畳に視線を落とすと壁紙がはがれたクズちぢれた毛が転がっていた。
五秒ほど見つめ、無言で本を読み直し始めた。勿論、うつぶせで。
三ページほど進んだところで私の眼は止まった。
デジャブだ。両ページの間の溝に彼らは悠々と横たわっていた。
「なんだよ、これ」
舌打ちをしながら、トイレットペーパーを広げ、その上にトントントンと彼らを落とした。不快感しか残らなかった。
その後も彼らを目撃する日は続いた───
「最近、官本が汚い気がするんですけど、気のせいですかね…」
回収ボックスに官本を返す際、それとなく担当さんに言った。
毎回、回収後の官本は落書きなどのイタズラがないか確認される。担当さんによって細かくチェックする人から形だけの人もいる。
その中で、誰よりも勘が鋭く、入念に官本を検査するのが二Cさんだった。
「イタズラしてる奴がいるね。今、調査中だから待ってて」
やはり、二Cさんは気付いていた。
「だいたい目星ついてるんだけど現行犯で押さえたいんだよね」
予想以上に犯人探しの捜査は進んでいたらしく、ひとまず安心した。
「やっぱり、いましたか。毛や壁紙のクズ見つける度に読む気失せてますよ」
ボソっと心境を吐露すると、二Cさんがパっと顔を上げて言った。
「壁紙のクズじゃないよ。あれ、つめのアカだよ」
えっ。頭の中でつめのアカが山びこのように反響してくり返された。壁紙のクズと思っていた無数のかけらは全て、他人の皮膚をほじくったアカだった。
そして、それを顔でキャッチしていた私
部屋に戻ってからもしばらく鳥肌は立ったままだった。
その後、運動場でも官本事件について議論が行われた影響なのか、徐々にイタズラはなくなっていった。
「くそー、絶対アイツだったのに最後まで隠しとおされたわ」
二Cさんも悔しそうに唇を噛んでいたが今回は相手の方が一枚上手で
毛とアカだけを残し事件は迷宮入りとなった
留置場と取り調べ室を往復する毎日であったが確実に時の歩みは進んでいた。
新聞の紙面が毎日変わるように場内もほんのわずかな変化が日々起きていたと思う。むしろ、このような生活だからこそ変化に鋭敏になっていたのかもしれない。
しかし、数週間後に訪れる一人のオッチャンとの出会いによって激動の日々を送ることになるとはまだ気付いていなかった。

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