鉄格子の内側 第14話 -新人現れる-

新人は普通のオッチャン

「うー、寒い寒い」
五日に一回の入浴日は身も心もさっぱりさせてくれるが脱衣場の脇が運動場なので、冷気が全身を包む。かけ足で場内に戻らないと風邪をひいてしまうので私は急いで戻った。
「お湯ぬるかった?」
担当台の前で上半身、裸になって保湿剤を塗る私に担当さんが話しかけてきた。
「今日は少し、ぬるかったです。前回は温かかったんですけどね」
背中に腕を回し、肩甲骨付近を塗りながら答えた。
「日によって、ちがうんだよね。古いから許して」
「全然、大丈夫です。そーいえば、自分ずっと一人部屋ですか?」
ふいに前から思っていた疑問をぶつけてみた。私は本署に入場してから一人部屋で慣れてくる反面、話し相手がいない生活というのも正直、寂しい気持ちがあった(本署は房越しでの他部屋との会話が禁止されていた)。
「そんなことないよ。罪名・年齢・人間性を考えて振りわけてるから、そのうち誰かいれるよ。最近、人数増えてきたし今日あたりいれるかもよ」
担当さんは壁にぶら下げられているホワイトボードの総留置者数の数字を見ながら言った。
担当さんの言うとおり、今週は怒涛の勢いで新人が流れこんでいて、各部屋が二人部屋になりかけていた。
接見禁止の被疑者を除いて
接見禁止とは二人以上で犯罪を協力して行ったり、その可能性がある被疑者に検事から発令される措置の一つだ。事件の背景に他にも共犯者が見え隠れする時に手紙や面会をとおして、口裏を合わせられることを防ぐ効果がある。
主に詐欺罪や薬の売人に適用され、手紙や面会は弁護士と家族に限定される。
そして、一人部屋で隔離されるのだ(前署は締めつけが緩かったのでボブとサトシくんも集団部屋だった)。
私は該当していないので、いつ二人部屋になってもおかしくなかった。
「まぁ、俺たちが見て変な人だったら十一室にいれないから大丈夫だよ」
つちかってきた関係がちょっぴり活きた瞬間だった。
「お願いします」
ペコリと頭を下げ、私は十一室に戻った───
「三百八番。十分後に新しい人いれるからよろしくね」
昼すぎに担当さんが声をかけて来てくれた。
「ついにですね!どんな人ですか?」
私は立ち上がって、網に顔を近づけて鼻息荒く言った。
「うーん、普通のオッチャンかな」
「わかりました。ありがとうございます」
落ちつかなくなった私は狭い部屋を歩き始めた。
オッチャンかー、会話あうかな、怖い人じゃないといいな、などの妄想を膨らませ十分はかけ足で過ぎていった。
───ガチャン、ガキン、ガキン。
「三百八番。細かいことは色々、教えてあげてね」
担当さんは一言だけ残し、担当台に戻っていった。
そして、私の目の前には
おでこ、目尻、口の周りに深い皺が何本も刻まれているオッチャンが座っていた

留置場は和式トイレ

よろしくお願いします、と一言言ったきりオッチャンは遠くを見るように眼を細めている。
一重まぶたの眼は糸のように細く、表情が読みとりにくかった。
何かを考えているようで何も考えていない。そんな風に見ることもできた。

新人は二種類のケースに大別される
初めての留置場で右も左もわからず、この先自分はどうなるのか、と見当もつかず絶望感に打ちひしがれる人。
それとは逆で一回以上、逮捕経験がある人は開きなおり、くつろぎ始める人が多い。
新人とは壊れ物を扱うように気をつけないと無益な争いを生む可能性があるのだから要注意だ。
しかし、前者の新人である場合、掃除からトイレの使い方まで全て教えなくてはいけないので勇気をだして話しかけてみた。
「あのー、失礼ですが留置場は初めてですか?」
様子をうかがうように尋ねた。オッチャンはゆっくりとこちらを向いた。
「三回目です。前回は二十年以上前になりますけど」
三回目ということを聞き、胸をなでおろした。二十年前とはいえど経験者ならある程度のルールは知っているので説明が省ける。
「そうなんですか。じゃあ、ここの生活の流れは大丈夫ですね」
「大丈夫です」
そう言って、オッチャンはトイレに立った。後ろ姿を見送ると私は大きく息を吐いた。前署ぶりの新人の来訪により私の気も張っていたらしい。
ようやく一息つけたと思ったら、トイレの中からジョボボボいう滝が水面を打つような音が響いた。
はー。今度は正真正銘のため息が口から漏れた。私は音でわかった。

オッチャンが立ち小便していることを
前署で初めて留置場に入場した日、同室の鷹さんから言われた言葉があった。
「立って小便すると周りに飛びはねて汚いから、しゃがんでやってね」
前署も本署も和式だった為、立って用をたすと落差が凄かった。必然的に汚れる範囲が広がるのでしゃがむことは共通の決まりだった。
だが、オッチャンが二十年前に行った部屋では皆しゃがんでいなかったらしい。
なにくわぬ顔でオッチャンはトイレからでてきた。いきなり、若僧から注意を受け嫌な顔をされるかもしれないと思ったが言葉を選んで言うことにした。
「すいません、立って小便すると後で掃除が大変になっちゃうので、できたらしゃがんでやって頂けると助かります」
オッチャンはこちらを振り向いた。
「あー、すいません。気をつけます」
素直に聞いてくれたのでホっとした。
明日から色々、教えることが多そうだと思ったが不思議と煩わしさは感じなかった。
きっと会話をできる喜びの方が勝っていたからだろう

普通のオッチャンの正体は…

翌日から私の生活は激変した。
やはり二十年前の別署と本署では勝手がちがったらしく、オッチャンに説明することは多かった。布団庫の場所、掃除の仕方、官本の借り方など多岐にわたった。
しかし、会話が増えるにつれて、お互いの距離感はグっと縮まっていった。
「自分に敬語使わないで大丈夫ですよ。名前はセイっていいます」
「セイくんね、俺はマスゾエ。よろしく」
三日ほど経つとマスゾエさんの顔にも笑顔が咲くようになった。タイミングよく相撲の場所が開催されたことも追い風になり、マスゾエさんの口は滑らかに変化した。
「おいおい、また白鵬の優勝かよ」
新聞のスポーツ欄を読みながら一人言のように呟くマスゾエさん。私は相撲の知識は皆無に等しく興味がなかったが、せっかくなので色々と質問をした。
場所の種類・番付け表の見方・横綱の歴史。水を得た魚のごとく説明してくれた。気分がよさそうだったので事件のことについて一歩踏みこんだ質問を投げてみた。
「今回は起訴されそうですか?」
罪名は気になったが、そこまで踏み込むことはしなかった。聞けば自分の罪名も教えなくてはならないし、年齢や雰囲気からある程度、予想はできた。
多分、傷害窃盗だろうと思っていた。
「実はスーパーで二千円相当の万引きで現行犯なんだよ。だから、十日で釈放になるかな。本当はこんな軽犯罪で十日勾留をつけること自体おかしいんだよ」
マスゾエさんは吐き捨てるように言った。

私はこの発言を受け自分の中で急速に冷え切っていく感情を確かに感じた
万引きは窃盗という立派な犯罪だ。少額だろうとお店側からしたら損失でしかない。私とは犯罪の規模は大きく異なるがマスゾエさんの口調に引っかかるものを覚えた。
「なるほど。反省はしてるんですか?」
多くの被疑者が鼻で笑う質問をあえて聞いてみた。
「反省というか悪い事したなとは思うけど、店長は許さねー。万引きGメンみたいな奴に捕まえられて店長とツラ会わすと思ったら、会いもしないで警察呼びやがって。普通は一度ツラだすのがだろ」
憤懣を噴出するように言い放った。私は驚きのあまり言葉を返せなかった。
反省しているけど店長は許さないという論理の矛盾性に混乱させられた。
なんとか気をとりなおして質問を継いだ。
「きっと万引きが多い店で店長もうんざりして方針変えたんじゃないですか?」
「納得いかねーよ。それにこっちだって元から金あったらちゃんと払って買ってるつーんだよ」
「え…」
危うく聞き流してしまいそうになったが私の耳は逃さなかった。
「あの…ようするに…全くお金がなかったということですか…?」
私が核心を突くとマスゾエさんは自嘲気味に笑いながら答えた。
「そーだよ。俺、ホームレスだからね。○駅の西口に大きな公園あるでしょ。あそこで寝泊まりしてたよ」
私は突然の告白を受け、言葉に詰まった。どう返したらいいのか、適切な言葉が浮かんでこなかった。しかし、当のマスゾエさんは重い肩の荷がおりたのか、淀みなく話し始めた。
「飯は炊きだし食うんだよ。昼間は図書館行って夜は公園、雨の日は地下駐車場に潜りこむ。それが毎日の生活だよ。まぁ、三年ぶりに布団で寝れて、三食食べれてここは最高だね」
路上生活者という社会と乖離した道を選んだ人にとっては外も留置場も変わらない世界なのかもしれない。マスゾエさんの話を聞いて、そう感じた。
だが、そんなマスゾエさんを見ていると
将来の自分を重ねてしまい暗澹たる想いに駆られた
「マスゾエさん…それいっちゃ、おしまいですよ…。まだ五十五歳ですし、三年前までは働いてたんですよね?まだまだ、やりなおせますよ」
自分に言い聞かせるようにマスゾエさんに語りかけた。
「いや、ここなら外とちがって暖かいし、ずっとここにいたいよ。はー、でたくないなー」
私の言葉などどこ吹く風で顔には笑みを広げている。その態度を見て私はそれ以上、言葉を継ぐのを止めた。あと数日の付き合いだと思い波風を立てないようにその日を待った。
───十日目の朝。
私は検事の取り調べがあった為、出発前にマスゾエさんに挨拶をした。
「マスゾエさん、十日間でしたけどお疲れ様でした。体調に気をつけて、お元気で」
「こちらこそ、お世話になったね。落ちついたら差しいれ持って面会くるよ」
最後の言葉は聞かなかったことにして、そのまま場内をあとにした。
十九時頃、場内に戻り十一室に入室すると、そこには…
マスゾエさんがいた
私を見るなり一言言った。
起訴された」

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