鉄格子の内側 第19話 -流れ行く時-

落ちつきを取り戻し、平穏な日々が過ぎ去る中、一つの区切りが訪れた。
「よし!これで取り調べは全ておしまいだ!いやー…長かったな…」
反町さんは満足気な微笑を浮かべ、パソコンを閉じた。
「やっと、おわった…」
私は天井に向かって静かに息を吐いた。前署からの終わりの見えなかった取り調べがようやく、ゴールを迎えた。
「やりきったな…どー、今の気持ちは?」
「嬉しいよりホっとしてる気持ちの方が大きいです…とにかく、これで拘置所に行ける…」
私の頭は既に拘置所での次なる闘いに切り替わっていた。
「拘置所にはいつ頃、移送されそう?」
閉めきっていた窓を開けながら反町さんは言った。ひんやりとした風が熱気に包まれていた室内を柔らげた。
「どうですかね…弁護士の話だと検事の許可がおりればすぐに行けるらしいので一、二週間後には移送されるかなと思いますけど」
「そっか。俺も、すぐ次の事件が待ってるから見送りはできないけど、最後にもう一回だけだすよ」
「ラスト取り調べですね…」
私は左手に広がる夕刻の空模様に視線を移した。沈み行く太陽によって街は燃えさかるような朱色に覆われていた。まるで、今の私の心境をあらわすような風光であった。

共同生活の闇と光

私は部屋の中をグルグルと歩き回っていた。
壁に沿いながら歩く私は担当さんに聞こえないほどの鼻うたまじりで気分は上々だった。
「もう少しで拘置所、もう少しで拘置所」
一人言のように何度も呟いていた。この上機嫌の背景にはもう一つ理由があった。
「セイちゃん。十一室のオッチャンいつのまにか、いなくなってたんだね」
髭を剃りながら十四室の窃盗犯であるシンさんが話しかけてきた。
「そうなんですよ!まぁ、最後の日は何もいわずでていきましたけどね…」
「あちゃー、色々大変だったね。でも、一人になれて良かったじゃん」
私とマスゾエさんの関係を熟知していたシンさんは自分のことのように笑顔を見せてくれた。

マスゾエさんは先日、風のようにそっと十一室を去って行った
年末の臨戦状態を越えてからは特に衝突もなく、お互い干渉せず過ごしていた。流石に最終日は何か言うかと思って注目していたが、最後までマスゾエさんは己のスタイルを崩さなかった。
入場当時は沢山、会話し、笑顔をのぞかせ、温かな時間を共有できたが一夜にして人は別人格に変心することを痛切させられた体験だった。
改めて、留置場の共同生活の難しさを胸に刻んだのは言うまでもない。
そして、残り短い留置場生活はこのまま一人部屋のまま終了してくれ…と念じていたけども、本署の特徴を忘れていた。
県下一の署であり、
出る者がいれば入る者がいるのだった
「三百八番、もうすぐ新人いれるから」
恐れていたことが現実となった。担当さんはよろしくとばかりに片手を上げ、別室に消えて行った。
私の脳裏には件のオッチャンが写しだされていたが当然、拒否権はない。陰鬱な想いで待つだけだった。
───十分後。
長身でモデルのようなすらりとした体型の男が私の隣にいた。目鼻だちも整っていて、どこか品格を感じさせる風体だった。
久し振りの新人の来訪により十一室にはピリっとした空気が漂っている。
しかし、黙っていてもしょうがないので一歩、踏みこんだ。
「あのー、こういう場所は初めてですか…?」
男はじろりと目力がある両眼を私に向けた。私は一瞬たじろいだ。
だが、男の口調は思いのほか柔らかいものだった。
「いやー…実は二回目なんですよ」
気まずそうに視線を畳に落としながら答えてくれた。私はルール説明を省ける喜び以上にまともに会話できることにホっと胸を撫でおろした。
それから、ポツポツと心境を澪すように自分の話をしてくれた。
「名前は南です。職業はイラストレーターで今回の事件は…強制わいせつなんです」
南さんの罪状は強制わいせつで話を聞く限り、酒の場の延長線に置かれていた。無論、飲酒状態であったにせよ、酒は言い訳でしかない。

被害者にそんな経緯はつゆほども関係ないのだから
南さんも重々それを承知していて、猛省し酒との関わりあい方を見直す言葉を口にしていた。
私は本署に来てから、初めて自責の念をあらわにする被疑者と出会った。たった、それだけのことが無性に嬉しかった。
凶悪犯として今さら善人ぶるつもりは毛頭ないが人間の尊厳を全て捨てるつもりはない。排判、叱責、あらゆる声から逃げずに生きていくつもりだ。
そういった情意の中で、一人でも己の罪を見つめ直そうとしている被疑者に出会えるとなんだか救われた気持ちになれる。
まさに南さんはボブや龍清さんと同じ部類の人だった。
担当さんの彗眼に感謝しつつ、新たな共同生活に光を感じた。

命の重み

バタバタバタ───
寝静まる場内に駆けるような足音が響きわたった。それも一人ではなく複数の足音だった
「…ん?なんだ…?」
私は騒然とする気配で眼を覚ました。寝ぼけまなこで起き上がり、通路側の鉄格子に顔を近づけた。
「こっちです!」
担当さんが見知らぬ男たちに声をかけている。場内は薄暗い上に、まだぼんやりとしている私の思考は状況を掴めていなかった。
何度か、眼をしばたたかせると焦点が合ってきた。そこで、やっと男たちの正体に気が付いた。
彼らは救急隊員だった───
「おとうさん!まだ髭、剃り残してるよ!ほら、ここ」
運動場で十四室のシンさんが自分のアゴを指差しながら白髪の男に向かって説明していた。
「ん…どこだ…」
「ここだよ、ここ!あー…もうそのまま動かないで、俺が剃ってあげるから」
痺れを切らしたシンさんはそのまま男の正面に立って、あごの髭を剃り始めた。
「よし!オッケー!」
「ありがとうね」
「まるで、孫とおじいちゃんみたいだね」
担当さんが相好を崩しながら言った。
「まぁ、おとうさんとはもう数ヶ月、一緒の部屋で生活してるんで家族みたいなもんですよ」
シンさんも笑顔で答えた。
シンさんとおとうさんは自他共に認める場内一の仲良しコンビだった。二人のかけ合いは絶妙で、その場にいる誰もがほがらかな気分にさせられた。
そして、私がおとうさんと出会って、まず驚いたのは年齢だった。
「もう八十二になるから、ボケちゃってボケちゃって嫌だよ」
自嘲気味に笑みを浮かべるおとうさんからは、とても八十代の陰りは感じられなかった。六十代後半といっても充分通じる面貌だったと思う。
私はシンさんと仲良くさせてもらっていたので、おとうさんとも頻繁に会話をする仲だった。
「弁護士はあれから、なんていってるんですか?」
「執行猶予は厳しいと思うだってさ…共犯の二人がこの前、判決で五年討たれたらしく、主犯格の俺は確実にそれ以上だよ…。はー」
嘆息を吐きながら、おとうさんは言った。
おとうさんの罪名は詐欺だった。仲間二人と不動産詐欺を目論み、数千万を騙し取った新聞にも載るほどの大きな事件であった。
初めに罪名を聞いた時、私は眼を丸くした。
オレオレ詐欺が横行する世の中で八十二歳のおじいさんが騙す側に回っていることに
しかし、出会った頃は活力がみなぎっていたおとうさんも、日に日に悄然としていった。顔からは生気が薄れていき、瞳には不安の色が混じるようになった。
執行猶予を期待していたおとうさんにとって、仲間二人の判決結果は想像以上に堪えたらしい。年齢も年齢なので服役中に最悪のケースが起きる可能性もある。毎日、面会に来てくれている奥さんを想い、葛藤と闘っていたのかもしれない。

そして、緊急事態は発生した───
救急隊員たちがストレッチャーを押しながら駆けていく方向は左手の十四室方面だった。
「まさか…おとうさんじゃないよな…」
私の心はざわめき始めた。かすかにだが、救急隊員のくぐもった声が聞こえてくる。
「…きこえますか…きこえますか…」
状況は切迫しているようだった。すると、カラカラと車輪の転がる音が通路に反響した。私は左手から視界に入りこんだストレッチャーに視線をそそいだ。
おとうさんだった。
一瞬だったがおとうさんは眼をつぶって、眠っているように見えた。
慌ただしく、立ち去っていく救急隊員の背中をただ、ながめることしかできなかった。
───朝になり急いで、担当さんに話を聞いた。
「おとうさん、どうしたんですか…!?」
担当さんは言葉を選ぶように言った。
「いや…実は…夜中に突然、意識不明になっちゃったんだよね…」
「無事なんですか…?」
私は唾を呑みこんだ。
「さっき連絡あって意識回復したらしいから、大丈夫だよ」
私は大きく息を吐いた。良かった…。同部屋のシンさんにも話を聞こうと思い、運動の時間を待った。
「おとうさん、無事に意識戻ったらしいですよ!シンさんも大変でしたね」
「うん…そうだね…」
シンさんは伏目がちに答えた。あれ…?いつもの明るいシンさんではない。
私が怪訝そうな眼で見つめているとシンさんは周囲を気にしながら小声で耳打ちをしてきた。

「セイちゃんだけにいうけど…あれ…自殺しようとしてたんだよね…」
「え…」
私は固まった。
「ズボン脱いで、首に巻きつけてさ…自分の足で引っぱって死のうとしてたんだよ…。夜中に俺がたまたま眼覚まして横見たら、そんな状態だったからそっこうとめて、担当さん呼んだんだよ…」
数瞬、経ってシンさんの言葉が脳に届いたような感覚だった。
おとうさんが自殺未遂…信じられなかった。成功していたら、おとうさんは死んでいた…
自分自身の死とは向き合っていたが他人の死を意識した途端、掴みどころのない沈鬱な気持ちに襲われた。
病気や事故ではなく、数日前まで会話し、目と鼻の先で生活している人が
自ら命を断とうとした事実は簡単に受け容れられることではなかった
その後、おとうさんは場内に戻ってきたが別室に移され二十四時間完全監視体制に置かれた。一瞬にして八十二歳まで老けこんだように見えるほど憔悴しきっていた。
そんな、おとうさんの様子を目のあたりにし、自分が考えていた行動の恐ろしさを心から痛感させられた。
自殺とは自分自身だけの問題ではなく、残された人たち全員を不幸のどん底に突き落とす人生最後の愚行なのかもしれない。

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