vol.5 おりがみ【二十歳まで生きれないと言われた兄とわたしの物語】

兄は太い指の見た目によらず手先がとても器用だった。彼の“遊び”と言えば、ガンダムのプラモデルにミニ四駆作り。ガンダムを入れたおもちゃ箱の中には優に300体以上が収容されていて、お気に入りを並べては戦いごっこをして楽しんだ。ミニ四駆にはヤスリや工具を使って改造し、極限まで軽さと車体のバランスを調整していた。軽過ぎてもレース中に吹っ飛んでしまうし、重過ぎても思うようにスピードが出ない。タイヤを変えたり、モーターを変えたりして世界に一台だけのスーパーカーを作っていた。週末になると父とミニ四駆のレース場に行き、自慢の車を走らせるのが楽しみだった。わたしがリカちゃん人形に惹かれるまでは、ガンダムとミニ四駆で一緒に遊ぶことも多かった。

ミニ四駆制作中、度々ハプニングが起こった。ハプニング大賞は、瞬間接着剤。なかなか出てこない瞬間接着剤の先を覗き込んだ瞬間、ピュっと出た液体が彼の目に命中した。「目が開かない!」と騒ぐ兄を横目に、石塚のおばあちゃんが機転を効かせて注射器と水を持って現れた。急いで注射器で目に何度も何度も水を流し、やっとまぶたがパカっと開いて瞬間接着剤事件は一件落着。あの時おばあちゃんがいなかったら、兄はまたひとつ人に説明できない障がいを増やしているところだった。「もう絶対に瞬間接着剤の先を目に向けない。」家族みんなで大笑いした。

もう一つは、急に居なくなったで賞。ある夏の日、兄は窓に背を向けて畳に座り込み、いつもの様に背中を丸めてミニ四駆制作に熱中していた。「またやってるなー」と思いながら、母とわたしは少し離れたテーブルで麦茶を飲みながら夏休みの宿題を終わらせようとしていた。そして次の瞬間兄にもう一度目をやると、彼はそこからそっくり居なくなっていた。機敏に動くことが出来ない彼が瞬間移動ができるハズもない。驚いて母と駆け寄ると、彼は窓から落ちて庭に転がって大笑いしていた。後ろの窓が開いているのに気付かず寄っかかろうとしたらしい。彼を部屋に引き上げてまた大笑い。

兄は予想できないハプニングと笑いを巻き起こす天才だった。


とにかく器用で何かを作ることが好きだった彼は、ガンダムとミニ四駆を卒業すると、家で過ごす時間の多くをおりがみ制作の時間にあてていた。幼い時に病院で付き添ってくれた祖母から教わって以来、彼はおりがみが大の得意なのだ。一枚の紙で100羽が連なった鶴、躍動感溢れる獅子舞や哀愁漂うかぐや姫の旅立ち。みるみる腕を上げ、既に民芸品屋に置けるくらいの技を身につけていた。母と珍しい和紙や作品を貼り付ける色紙を買いに出かけることも増えてきた。



週末は父のワゴン車に沢山の医療機器と彼の食料である点滴を積み、色んな場所に出かけた。夏休みと冬休みにはいつもの三家族で毎年旅行を楽しんだ。遠出した東北旅行では、気仙沼の漁港で豪勢な帆立丼を前に兄は満面の笑み、夜は南三陸で崖ギリギリにそびえ立つ老舗旅館で大きな舟盛りを堪能した。那須ではりんどうこうふれあい牧場に何度も訪れ、毎回素敵なペンションに宿泊した。

次の旅行先を決める時、母がたまたまテレビでお茶の水にある「おりがみ会館」を見つけた。そこはおりがみの聖地と言える場所だった。ビル全体が見た事もないデザインの和紙やクリエイティブな作品で埋め尽くされている。終始心を躍らせ大量の和紙を購入したのは言うまでもない。テレビでインタビューを受けていた名物館長さんにも挨拶した。館長さんは、持参した彼の作品をしばらくニコニコと眺めてからゆっくり口を開いた。

「君の作品からは魂が感じられる。この判子を名前に変えるともっとプロの作品らしくなるよ。おりがみはこれからも続けていきなさい。」

兄の作品には、右下に愛嬌のある彼の顔を形どった印が押されている。親しみやすいが、プロ目線ではそれが子どもっぽさを演出させるという。館長さんのアドバイスは彼の作品を趣味や特技から引き上げ、兄だけでなくわたし達家族にも希望をもたせてくれた。大満足のおりがみ会館は、彼にとってディズニーランドより興奮する場所だっただろう。


作品は全て兄と母の共同作業。二人で和紙の組み合わせやデザインを話し合い、母が採寸して和紙の準備を整える。同じ和紙でも切り取る場所によって作品の雰囲気も変わってくる。わたしは細かいことが苦手で、この採寸作業が面倒に思えて仕方なかった。

「最近僕の話もろくに聞いてくれないし、和紙も切ってくれないじゃないか!」一度だけ、溜まっていたものを吐き出すように兄が泣いて訴えたことがあった。もちろん母の時間に余裕がない時は作業が進まない。それを理由に二人がギクシャクしていることも度々あった。それでも二人で数々の作品を作りあげてきた。

「個展を開いてみてはどうだろう。」とおりがみ館長さんのアドバイスを受けてから間もなく、兄の個展は現実のものとなった。父の知り合いの協力もあり、地元の展示スペースで数日間に渡って開催されることになった。そうと決まれば人づてに色んなことが動き始めた。自宅や展示会場に新聞やラジオの取材も押し寄せ、地元ではほんの一時スターになったようだった。町の人達も「がんばれ!雅之くん!」と大きな横断幕を作って展示会場にデカデカと張り出してくれた。「僕はもう頑張っているんだけどね。」と苦笑いする兄だったけれど、とにかく沢山の人たちの熱い応援が伝わる展示会だった。そのお陰で、彼も彼の作品も多くの人の目に触れた。その後は彼の作品を求める人も増え、贈答品として注文が入る事も多かった。

彼はおりがみクリエイターとしての肩書きを手に入れたのだ。


肩書きと言えば、兄は社長になったことだってある。わたしが高校生になった時、母は突然お洋服お直しの店をオープンさせた。知り合いから空いているスペースを借り、日曜大工が得意な父とふたりで壁を真っ白に塗り、元が薄暗いバーだったとは思えない空間に変身させた。母はしばらく知り合いの店で洋服直しの修行をし、着々とオープン日に備えた。

「お母さん、お店はじめたから!お兄ちゃんの社長席はここにするからね!」
社会人として初めての社長職。母は、大学に行くことも、就職することも難しい彼に第三の居場所をつくったのだ。兄が姉やわたしには言えない葛藤や不安も、母には全てお見通しだった。文字通り気まぐれな社長出勤が多かったけれど、お店は順調に繁盛し続けた。

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