vol.3 マレーシアへ老後移住【一緒に世界へバーチャル冒険】

ペナン!ペナン!ペナン!

クアラルンプールに到着した翌日、慌ただしくもペナン島に移動することにした。大学の恩師の紹介で、ペナン島に移住した今井夫妻に会えることになったのだ。ペナン島まではクアラルンプールからバスが出ているという。ネットでバスターミナルの場所は調べたものの、自分達が乗るべきバスが上手く見つけられるかは少し不安だった。


しかし、バスターミナルの入り口に差し掛かるなり、その不安は一瞬で吹き飛んだ。

ペナン!ペナン!ペナン!
 ペナン!ペナン!ペナン!

大きなバックパックを背負ったふたりを見つけた客引きは、勢い良くペナンを連呼しながら近づいてきた。これでは猿でもペナンへ行けそうだ。

とは言え、そんな客引きに素直に付いて行って良いものか。鴨がバックパック背負って来た構図になりかねない...。

35RM(リンギット)だと言う客引きを一旦振り払い、他のバス会社の窓口で30RMの交渉を試みることにした。

それでも、最初の客引きはずっと付いてくる。他店で交渉を始めると、「俺の客だ!35RMより下げたら許さない!」と言いふらしながら何店舗も付いてくる。

これには参った。結局彼の営業力に敬服して35RM(約1000円)のチケットを購入した。


後で今井夫妻に聞くと、35RMは妥当な運賃らしかった。彼には、客引きを必要以上に疑ってしまうバックパッカー初心者あるあるだと許して欲しい。


バスに約5時間揺られてペナン島に到着。マレーシアの長距離バスは、日本でもグレードの高い夜行バスくらい広くて快適だった。高速道路も整備されていて、バスが跳ねることもなかった。

ペナン島はマレーシア第二の観光リゾート地。食べ物天国の島とも言われ、ジョージタウンという世界遺産の街もある。そんな天国で暮らす日本人夫婦と会えることに胸が高なった。


指定された場所で待っていると、ブルーに光るSUBARUからひとりの男性が降りてきた。スラッとした体型にジョージ・クルーニーさながらのダンディさと素敵な笑顔を兼ね備えたその人は、今井さんだった。

「初めまして!お世話になります。」
「良く来てくれました。それにしても大きな荷物ですねー!これで動くのは大変でしょう。さぁ、重い荷物はトランクに入れて、まずは我が家に向かいましょう。」

信頼の置ける教授の紹介と今井夫妻の社交的な人柄のおかげで、初対面の私たちを何のためらいも無く自宅に招待してくれた。

中心街から5分程ドライブし、今井さんの住むコンドミニアムの入り口に着くと、警備員がガッシリとしたゲートを開けてくれた。自宅の玄関では、品の良い奥さんが笑顔で迎えてくれて、早速家の中を案内してくれた。

外の猛暑を感じさせない冷んやりしたタイル床。革張りのソファの奥は窓が全開で、風が心地良く通り抜けていた。窓からの景色は神戸の高層マンションから見下ろしたようなオーシャンビュー。あちこちにブロッコリーを散りばめた緑と点々と見える赤い屋根。その先に広がるエメラルドグリーンの海と真っ青な空。思わず「わー!」と声が出た。

リビングの横には、落ち着いたベッドルームとお二人それぞれの趣味の部屋が並んでいた。旦那さんは退職するまで自転車レースの写真家だったらしく、オブジェのように並んだロードバイクがカッコいい部屋の雰囲気を醸し出していた。一方、奥さんの部屋には鮮やかな布と機織り機、籐などが並び、ゆったりとクラフト制作を楽しんでいる様子が感じられた。

「ここの家賃いくらだと思う?」
良い暮らしぶりに驚いてばかりいる私たちに、奥さんがお茶目に聞いて来た。
「そーですねー。こんなに広々としていて、景色も最高で、セキュリティもしっかりしていて、20万円はしそうですよね?」
「それがね、6万円くらいなのよ。この辺のコンドミニアムの相場もそのくらいよ。」

“こんな老後生活があったのか!”と早速度肝を抜かれた。


それからリビングに移動して、海外移住(ロングステイ)に至ったきっかけや、移住に向けての障壁、移住後の心配事や日々の生活の様子などを伺い、気がつけば4時間が経っていた。

移住前は編集の会社を経営されていたお二人。ふと老後を考えた時、今の貯蓄と年金で豊かな生活ができるだろうかと不安に思ったのが、海外移住のきっかけだったようだ。多少のハードルも、「結局は意識の問題かもしれませんね。行きたいと思ってやれば、行けちゃいますからね。」と。

最も印象的だった言葉は、
「外を見ればいろんな可能性がある」ということ。

今井夫妻は、日本の資産より価値の上がる国に移住し、豊かさと自分達らしい生き方を得て、海外で暮らすというチャレンジをした。その姿は本当に幸せそうで、62歳には到底見えず若々しかった。


一日の約束だったが、今井夫妻は翌日も現地の市場や病院など、普段の生活エリアを案内してくれた。

市場は体育館のような建物の中に新鮮な野菜や果物、肉や魚までが雑多に並んでいて、ローカルの生活を直に感じられた。マレーシアはほとんどの人がイスラム教徒で豚肉を食べることが禁止されている。そのせいで、市場ではかなり隠れた場所で豚肉が売られていた。


その後はペナンに住む日本人の多くが利用するというローガンライ病院へ。白くてピカピカのタイルは、病院の受付というよりはホテルのフロントのような高級感があった。

入り口のソファーで待っていると、黄色いジャケットに黒のタイトスカートを纏った女性が近づいて来た。彼女は日本人専属のスタッフで名前はシミーさんだと紹介してくれた。彼女が予約から受診、施術の時までずっと付き添ってくれるらしい。

入院病棟や小児科、リハビリ室等も見学させてもらったが、どれも設備が整っているように見えた。ドクターも優秀な人材を海外から誘致しているらしい。何よりも、人員もスペースにもゆとりがあり、手厚くケアする様子が感じられた。これでは入院しても悲愴感なく直ぐに元気になれそうだ。

医療が整っていて、これだけ暮らしやすい国であれば、海外移住の選択は確かに良いかもしれない。実際にマレーシアでは日本からの移住者が増えているらしい。

しかし、私たちが老後をむかえた時、日本と海外の経済格差はどうなっているのだろうかと少し不安もよぎった。


お世話になった今井夫妻から旅のエールをもらい、宿に戻った。ちなみに、ペナン島では深夜特急の舞台となったゲストハウスに泊まることを心待ちにしていた。しかし、地図を頼りにいくら探しても見つからない。そこに地元の住民らしき人がフラッと現れた。

「Excuse me. Where is AH BENG guest house?」
(すみません。AH BENGゲストハウスはどこですか?)

「It’s no longer. All guest houses are gone.」
(それはもうないなぁ。ここにあったゲストハウスはみ〜んな無くなってしまったよ。)
そう言って、辺りを丸っと指差した。

「えー!!!楽しみにしてたのに!!!」

泣く泣く別のゲストハウスに宿泊した。が、個室に温水シャワーとトイレ付き、眺望良しの悪くはない宿だった。

灼熱の太陽が一日の任務を終える頃、少し涼しくなったペナン島 バトフェリンギの海沿いをラン観光することにした。リゾートホテル前の一角だけ露店が並んでいたが、人はまばらでクアラルンプールよりだいぶ走り易かった。

砂浜に降りて夕陽に包まれると、今井夫妻と過ごした二日間を思い返した。海外生活、老後移住、まるで有意義な社会科見学をさせてもらったかのような時間だった。旅学はまだまだ続く。

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