Vol.6 不思議な体験【二十歳まで生きれないと言われた兄とわたしの物語】

初めて身内の死を経験したのは、大好きな石塚のおばあちゃんとの別れだった。これまで兄と二人三脚、母とも二人三脚、わたし達家族のぽっかり空きそうな部分をいつも補ってくれたおばあちゃん。いつも優しくて、どこかハイカラで、トヨエツや反町隆のファンだった。近所の人たちに「最近じゃ、おばあちゃんは臭い!汚い!って毛嫌いする孫もいるって言うけれど、うちはみーんな優しい孫で幸せです。」って自慢していたおばあちゃん。おばあちゃんは石塚の家ではいつもおじいちゃんに遠慮していた。

おじいちゃんは書道の先生で、石塚の家には毎週末30人くらいの子どもから大人までが、だだっ広い畳の間に集まっていた。わたしも小学校低学年からおじいちゃんが書道教室を閉めるまでそこで習い続けた。「左で筆は持てん」と右で文字を書くことを教えてくれたのは、おじいちゃんだった。いつも赤筆で生徒達の文字を直したり、お手本を書く姿は威厳があって格好良かった。毎週末、稽古時間の少し前に石塚の家に着くと、おじいちゃんは決まって畳の間で専用の座椅子に座っていた。メガネをずらして読書をしているか、何度も血圧を測ってはノートに記録していた。高血圧で、食事の塩分にもえらく気を遣う人だった。

一方ではいわゆる大酒飲みで、若い頃外で飲んできた日は、おじいちゃんが家に向かってくるのが300m先からでもわかり、家族はみんな身構えたらしい。その名残は今でも残っていて、酔っぱらったおじいちゃんを怒らせてはいけないような雰囲気は何となく感じていた。おじいちゃんが大広間にいると、おばあちゃんと母は居間でゆっくり世間話に花を咲かせた。おじいちゃんが居間にやってくると、おばあちゃんはいつの間にか台所に引っ込んでしまって、一緒に座って話し込むことは少なかった。

居間にもおじいちゃん定位置の座椅子があった。座椅子から手を伸ばしてやっと届く棚には、いつも宝焼酎の2リットルボトルが赤と青で一本ずつ常備されていた。歴代内閣総理大臣の顔が並んだ年季の入った湯呑みを「ここらまでお水を入れてくんちょ。」と言って中曽根康弘あたりを指差す。わたしが水を入れてくると、それに焼酎を入れて昼間から飲みだす。上機嫌になってくると「あたしの乗っていた船は空爆にあってねぇ、仲間はみんな死に物狂いで大海原を泳いだんですよ。でもねぇ、必死に泳ぎ続けた仲間達はほとんど死んだ。あたしは体力を温存して浮かんでたから助かったんだなぁ。」と太平洋戦争の話を始める。母はその海軍話を幼い時から何万回と聞かされて「また始まった」と毛嫌いした。姉やわたしも戦争話に興味をもつまでは大分時間がかかった。けれど、おじいちゃんが亡くなった時、黄色くなった軍隊手帳やら軍歴が押入れから出てきた時は「もっと詳しく聞いておけばよかった」と後悔した。


「最近便秘が酷くてね。お腹も膨れて苦しくて。食欲もないわ。」
「しっかり病院で診てもらってよ。まだまだ元気で長生きしてよね。」
母も心配していたが、自分のことになると後回しのおばあちゃんがやっと検査した時には大腸癌が進行していたらしい。「らしい」というのは、母はおばあちゃんのお葬式までわたし達に病気のことを隠していた。

兄を想ってか、母は生死観については慎重に扱ってきたのだと思う。我が家で一度もペットを飼うことがなかったのは、きっと兄の衛生面を気遣っただけではない。病院でいつか一緒だった友達が亡くなった時も、母は兄に伝えることはなかった。

祖母は高齢で癌の進行がゆっくりだったせいか、わたしたち兄妹は誰も気付かず、最期に入院するまでは我が家にも泊まりに来てくれた。ドライブで夜桜を見たり、温泉にも一緒に行った。

兄の付き添いで薬にも大分知識があった祖母は、正気がなくなるモルヒネは絶対に使いたくないとも言っていたらしい。最後に病院にお見舞いに行った時は、痩せ型のおばあちゃんが更に小さくなっていてショックだった。

それから間もなく、時には母よりも兄の近くにいたおばあちゃんが先に天国に行ってしまった。訃報を聞く少し前、おばあちゃんが空に向かって一歩一歩ルフィーみたいに足を伸ばしていく不思議な夢を見たのは、虫の知らせということだったのだろうか。

家族みんなで石塚の家に行き、兄も姉もわたしも文字どおりわんわん泣いた。みんな石塚のおばあちゃんが大好きだった。流石のおじいちゃんもすっかり意気消沈していた。

「おばあちゃんともっと一緒に居たかった。」
「もっとおばあちゃん孝行したかった。」

おばあちゃんは、兄より先に自分が死ぬと思っていただろうか。祖母である以上、それが世の常ではあるけれど...。兄はおばあちゃんの死をどんな風に受け止めているのだろう。出来る限り「死」から兄を遠ざけてきた母はどんな心持ちなのだろう。涙を拭きながらそんなことがふと頭を過った。


祖母の強力サポートを失い、母の負担はより大きくなった。それでも、わたしが小学校高学年になる頃には兄も体力がついてきたのか、自宅と病院で過ごすサイクルは3ヶ月おきくらいになろうとしていた。母も少しだけ兄から離れた時間も楽しみ始め、わたしや姉と出かける機会も多くなっていた。これまでの母の苦労を考えると、兄を置いてしばし普通の生活を楽しんだとしてもバチは当たるまい。


しかし、神様はまたも試練を与えに降りてきた。

「ふざけないで、ちゃんと着替えて!」
パジャマに着替えられないでいる兄に母が動揺していた。彼はボタンの掛け方が分からないと言うのだ。そんなこと、あるハズが無い。何かがおかしい...。今度は彼に何が起こっているというのか、まるで想像もつかなかった。週末はしばらく家族揃って外出し、彼が元に戻ることをただただ願った。


2週間後、仕方なく彼は病院に戻った。また限られた面会だけ許されて、わたしも姉も鍵っ子の生活に戻った。毎日、学校から自宅に帰るとテーブルには夕飯が置かれていて、母は夜8時過ぎに帰宅した。

母の話によると、兄の記憶喪失はますます進行し、わたしの名前も忘れてしまったようだ。顔を覚えていてくれるかも分からない。感情のコントロールも出来ず、面会に行くと赤ん坊の様に一日中泣いている日もあると言う。またしても出口の見えない摩訶不思議なことが起きてしまった。


それから1年以上が経っただろうか。ある日突然、彼の脳は奇跡的に蘇った。記憶を無くしていた間のことは覚えていないが、記憶が戻る瞬間のことは事細かに教えてくれた。突然頭の中に分厚いデスクトップコンピューターの画面が映し出され、ゆっくりと「し の ぶ」とタイプされたのだと言う。そして次の瞬間、「しのぶちゃん!」と頭の中でスパークし、元の世界に戻ってきたらしい。

しのぶちゃんとは、彼の初恋相手だ。幼稚園で出会ってから、小中学校と事あるごとに兄を気にかけてくれる女の子。いつも礼儀正しく、目を細めて笑う顔から優しさが滲み出ている。とは言っても、幼い頃から警察官の父親に柔道で鍛えられている彼女は、見た目は男勝りで兄よりも骨格のがっしりした女の子だった。彼はしのぶちゃんに会うといつもご機嫌だった。

そんな淡い恋心が、1年以上も続いた謎の記憶喪失から彼を呼び起こさせた。初恋が何よりの治療だったとは驚いたが、元の彼に戻ったことに安堵した。

兄はそれ以外にも度々不思議な体験をしていた。何度も死にかけて、三途の川から帰ってきた経験だってある。意識が遠くなって、底無しの真っ暗な闇に押し沈められた時、誰かに「まだあなたが来る所では無い」と引き揚げられたとも教えてくれた。一見ゾッとする世にも奇妙な物話だけれど、兄から聞くと不思議と温かささえ感じられた。

vol.5 おりがみ←   →vol.7 夢のマイホームへ

著者のSatoko Kotsuchiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。