寿司と平和・裏話 解説

 この物語は、本編である「寿司と平和」の第一章で、「悪人殺し」という殺し屋に「自殺屋」が殺されるところを、「自殺屋」目線で描いた物語です。 

 

 「自殺屋」が走馬灯を見るシーンでは、かつての「自殺屋」の、「辛い、死にたい。」という声が流れてきます。ここでは、今の僕自身がもつ、死を欲する心と重ねています。 

  

 さて、生きていることに辛さを感じていたかつての「自殺屋」は、死ぬ前に笑える人が増えるようにと思ったことがきっかけで「自殺屋」を始め、それが今では彼の生きがいになりました。 

 「人に笑顔を配る」ことが彼の「幸せ」だったからです。 

 ところが、彼は死ぬ間際に、胸の辺りに滞るしこりのような気持ちに気づきます。 

 それは、安楽死の薬によって人の自死を手伝うことへの迷いだと僕は解釈しています。 

 そしてその迷いが、生前、彼が心から幸せだと感じることを邪魔していたのです。 

 

 「自殺屋」にみる、人生の教訓は、「幸せ」の探求を僕たちはやめてはならないということです。 

 自分にとって、心から幸せを感じられるものは何かを、人生単位で自分の胸に問い続けることを放棄してしまった、このことが、「自殺屋」の過ちでしょう。 

  

 また、生前、彼は、「人の自死を手伝うことは、人の未来に与えられた可能性を奪うことだ」といった批判を浴びることがありました。 

 しかし、そういった批判に対し彼は「きれいごと」という札を付し続け、自分が正しいのだと信じて疑わなかったのです。 

 彼の第二の過ちは、考えることを放棄してしまったことです。 

 自分が間違っているかもしれないという可能性は、常に何人にも付いて回る真理です。 

  

 いつどんなときに、どんな人も、考え探求し続けることを放棄してはならないということを、この物語は僕たちに訴えかけています。 

  

 ところで、先ほど、解説者の僕も死を欲する心をもっていると述べました。 

 死を望む理由は、辛い状況から解放され楽になるからです。 

 でも、僕が死ねば、あらゆるデメリットを被ります。 

 例えば、家族は耐えがたいほどの悲しみを背負って余生を生きていかなければならなくなるし、僕が生きていることで作れたかもしれない誰かの幸せは、作られることのないままに終わってしまいます。 

 反対に、僕が誰かに幸せにしてもらうことだってあるかもしれません。 

  

 そんなの全部きれいごとだ!と、「自殺屋」の声が飛んできそうですね。 

 確かに、これらはすべてきれいごとです。だから、あくまでも僕は、他人には強要しません。 

 僕の心にわずかに残された、消えかかったろうそくのような自尊心が、僕が僕自身を諦めないように喉から絞り出す、小さな声に耳を傾けているばかりの、非常に些末な営みです。 

 これは決して偉大なことではありません。 

 

 そして何より、この営みは、僕が僕自身の首を締めあげていることに他ならないのです。 

 人は千差万別の生き物です。ここまで述べてきた僕の言葉が、あるいは誰かにとっては非常に鋭い凶器と成り得ることもあるのです。 

 だから僕は、この文章を、あくまで「僕はこうすることにしたよ」という内容までに留めておきます。 

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