Vol.9 花火【二十歳まで生きれないと言われた兄とわたしの物語】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。

大学生活

姉は進みたい道を見つけ、大学は家を出て一人暮らしを始めた。翌年はわたしの大学受験。迷ったあげく、家から通える大学で地域福祉を学ぶことにした。弾けた大学生活を夢みて上京する友人も多かったけれど、時折介護ストレスが現れていた母をひとりにすることは考えられなかった。大学に入ったら早速車の免許を取って、兄を色んなところに連れて行ってあげたいと、密かな計画に胸も高鳴っていた。

しかし、大学生活は想像以上に楽しい毎日だった。高校ではスポ根部活の毎日で縁がなかった恋愛も、お遊び程度に楽しめるサークルも、大学には全てがあった。

嫌程続けてきたバレーボールを卒業し、何か違うスポーツも初めてみたかった。適度に汗をかく、程良いサークル。テニスひとつをとってみても、テニス部、テニス愛好会、テニス同好会など、テニスへの本気度合いと飲み会の気質にそれぞれのカラーがあった。中にはテニスとは名ばかりでほぼ飲みサークルのところもあった。

ラクロス、バスケットボールなどいくつかのサークルを見学した中で、何となく気に入ったサークルは、バスケットボール同好会、通称バス同だった。バスケットの練習も週2回そこそこ本気で、練習後の飲み会もあり、程良く楽しめそうなサークルだった。中高バレー部の隣ではいつもバスケットボール部が練習していて、泥臭いバレーと対照的なバスケのクールさにちょっとした憧れも抱いていた。そんな理由で、バス同に入会した。

バス同の練習に参加すると、モップ掛けは1年生が率先してやって欲しいという雰囲気はあるものの、厳しい上下関係は無に等しかった。車を持っている先輩達が1年生を乗せて練習場まで送り迎えもしてくれれば、練習後に先輩達のおごりで飲みに連れて行ってもらうこともあった。就職活動を終えてたまに顔を出す4年生達は遥に大人びて見えた。兄も通常であればこの先輩達と同じ学年のはずだった。

何度か先輩達と顔を合わせるうちに、わたしは4年生のひとりと彼氏彼女の関係になったのだった。

「俺の誕生日は5月30日。ゴミゼロの日。覚えやすいだろ。」
「ゴミゼロの日ね。覚えておきます。」


ヘルパー3級講座

大学の長い夏休みが始まる頃、ふとテーブルに置いてある“ヘルパー3級講座”というチラシが目に飛び込んできた。わたしの通う大学の地域福祉ゼミは、卒業しても何かの資格が付いてくるわけではない。
「お母さん、わたしこれ受けてみようかな。」
テストもない気軽さと静かに湧いてくる興味がわたしをヘルパー3級講座へと向かわせた。

ヘルパー3級講座初日、20名程集まった教室のほとんどは母世代かそれ以上で、「親の介護が必要になったからきちんと学んでみようと思って。」とか「近々介護施設で働くことになったので資格を取りにきました。」という主婦層だった。19歳の女子大生であるわたしと、40代前半で唯一の男性受講者は明らかに浮いていた。

食事介助、着替えの介助、移動介助、洗髪の介助など、実践練習はいつもそのおじさんとペアだった。おじさんは緊張しているのか、プリンを食べさせる練習ではスプーンを口に運ぶのが早すぎて息苦しかったし、ベッドの上で洗髪の練習をした時はわたしの背中までビショビショにしてくれた。介護にはまるで不向きだったけれど、全員が無事にヘルパー3級の称号を手に入れた。


兄と性問題

せっかくのヘルパー3級を活用できないまま、デート、サークル、飲み会、バイト、ゼミのメンバーや教授との出会いにも恵まれ過ぎて、思い描いていた兄との時間をすっかりなおざりにしてしまった。家に帰って兄に「今日は何してた?」と聞くと、相変わらず「何もしてない。」と返ってくる。一日中家で過ごすには限界がある。同級生達の就職や外で遊び呆けている妹達とのギャップに複雑な想いだったに違いない。彼の生活を気にしつつも、わたしは新しい世界に完全に引っ張られていた。あの頃YouTubeやNetflixやzoomがあったなら、彼の日常は忙しくなっていたかもしれない。

「新宿の母」ばりに兄の部屋が何でも相談できる空間になっていたわたしでも、彼氏とのことについてはあまり話をしなかった。それは、兄の恋愛や性についてどう向き合って良いのか分からなかったからだ。古風な我が家は性教育についてはとても消極的で、冗談でさえキスやセックスが話題にあがることはなかった。一般社会と少し距離のある兄でも、世間一般の男性と同じように悶々とすることはあったのだろうか。嫌な顔をする母を尻目に、父は兄にこっそりプレイボーイを買ってくることもあった。母は、彼の排泄介助をわたしに手伝わせることはなかった。わたしは覚えてきたケアを実践してみたかったけれど、彼の自尊心がそれを許さなかったのかもしれない。

花火

夏休みのある日、彼氏とその友人達が我が家に遊びに来た。一緒にご飯を食べて、庭で花火を楽しむところだった。3つ年上の彼氏は、一年遅れて学校に通った兄と学年ではタメだった。彼氏には兄のことを話していたし、友人達も受け入れてくれる人達だということは間違いなかった。

しかし、わたしは自分でも信じられない行動をとってしまった。外から見えない様に兄の部屋のカーテンをさり気なく閉めてしまったのである。自分の正直な気持ちがそうさせた様でハッとした。


庭では花火の準備が整った。わたしはみんなに兄を紹介するタイミングを伺っていた。知られたくないような、知って欲しいようなわたしの一部。

「お兄ちゃんも一緒に花火誘っていいかな?」

彼らの答えはもちろんYESだ。とは言え、実際に兄を見て彼らはどんな顔をするのだろう。他人の反応には強気になれるわたしでも、仲間内で拒絶されたら立ち直れる自信がなかった。

そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、家ではいつもジャージ姿の兄がちょっとキメてジーンズを履いていた。見た目は普通だが脱ぎ着がし易い様に母がジッパーをアレンジしたお手製ジーンズだ。

ヨシ!と小さな覚悟を決め、車椅子に乗った兄を庭に連れ出すと、そこにはもう何の心配もなかった。人懐こい笑顔と人を惹きつける彼の魅力はいつの間にかみんなの輪に溶け込んでいた。次々と花火に火が付けられ、みんなの笑い声が湧き上がっていた。大きな打ち上げ花火を見上げ、わたしの目が涙ぐんだのは庭中に広がった煙のせいじゃない。兄も久しぶりの花火を見上げて満足そうだった。


兄と部屋に戻り、ヘルパー講習で習ったばかりの移動介助をやってみた。二人で息を合わせて車椅子からベッドに移る練習だ。練習相手のおじさんとは違い、曲がってしまっている股関節のせいで兄を上手く支えられないのが想定外。テコの原理が全く働かなかった。

「いち、にの、さん!」

結局は技も何もない力任せの移乗に終わった。勢い余って兄をベッドに投げ飛ばし、わたしも一緒にベッドに倒れ込んだ。二人で天井を見上げてしばらく笑いが止まらなかった。なんて楽しい夜なんだ。

→Vol.10 インド 

著者のSatoko Kotsuchiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。