自分の人生を振り返る③

前話: 自分の人生を振り返る②

①②と読んでくださった方、ありがとうございます。

思いついたまま書いているので、時折更新し直すことがあると思いますが、「更新されてたりして?」という奇特な方がいらっしゃいましたら、時折読んでみて下さい。
「あ、ひそかに更新されてた!」と思えるかもしれません。

突然ですが、小学校の文集で「将来の夢」というのがありました。
小学校って、よく作文を書かされましたよね?これ年代で違うのかな。
えぇ、何を隠そう・・全然隠すつもりもないですが、作文を書くのが私、好きでした。
そのせいか、将来の夢に「小説家」と書いてあります。
小説は書いていないけれど、文章を綴るということが好きなことは今も変わらないようで、今「自分の人生を振り返る」という形で文章を書くことを始めました。
文才はありませんが、自分の言葉で、その時思ったことを、包み隠さず言葉にしていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

さてさて、中学校入学です。
〇〇英会話を習っていたおかげか、小学生のうちからアルファベットを覚えていたので、英語は得意でした。(今は普通に小学校で英語を習うので時代を感じますよね)
習い事は、エレクトーンと学習塾。
恋はしていました。保育園での初恋以来です。
相手は、6年生の時に同じクラスだった男の子。
もうまわりの友達は、私がその男の子を好きなことをみんな知っている状態。バレンタインデーにも、「好き」とは伝えずも渡すことはしていました。
背は小さめで、かっこよくて、スポーツ万能。
身長は私が小さいので、だいたいの人は私より背が高い。
好きになる理由が、あーりーがーちー(笑)
ですが、まぁ恋をしたわけです。
まわりの友達が私の好きな人を知っているということは、まぁだいたい本人様も気づいていたと思われ。
まわりの謎の後押しで、近所の大きな公園の盆踊り会場で、突然告白することになる。いわば、勢い。初めての告白でした。
なんて言ったかも覚えていないぐらい恥ずかしくも、勇気をもって告白しましたが、断られました。
初めての失恋。
その後、恋愛に特に興味がなくなり、中学校生活を超マジメに過ごしていたと思います。
部活には入らず、帰宅部。
生徒会に入っていて、書記。制服のブレザーの襟に「書記」というバッヂをつけていた。
生徒会といえば、立候補とかして選挙活動とかもあったなぁ。よく受かったな(笑)
陸上競技大会でハンドボール投げが得意だった。
合唱も好きで、合唱コンクールに超命かけてたな♪(笑)
と、中学校は特に大きな出来事もなく過ごしてきたが。

中学3年。
・学習塾の先生(大学生)に恋をする。
・クラスメイトからいじめられる。
・右足を剥離骨折する。
以上、3つのイベント発生。いきなりサザエさんのような3本立ての話。

中学3年といえば、受験の年。
成績は、平々凡々だったので、地元の公立高校、滑り止めは私立高校の進学コース(好きだった塾の先生が通う大学と同じ敷地内になる高校)を志望校としていました。
塾の先生に恋をしていた私は、よくありがちなパターンで「ここわからないので教えてもらえますか?」と毎回聞きに行ったりして好き好きアピールをしに行っていた。
そんなことをしている内に「わからない所があったら、いつでもかけてきてもいいよ」と携帯番号を教えてくれた。
中学生の恋に恋をしている状態で、好きな人にそんなことを言われたら、ますます好きになってしまうではありませんか(笑)
もう夢中になって、その先生が担当している教科である「社会」は私の恋心と成績を急加速させていった。
ここでちょっと気づいたのが、「私の好きな人はまわりの人が知っている」という状況(笑)
携帯電話によく電話をかけていたのもあって、勝手に特別感を感じて。
塾の授業中に好きな先生にあてられるだけで赤面して答えていた記憶があるのと同時に、あてられるのが嬉しかった記憶があります。

そんな恋をしていた最中。

今考えると何故なのかわからないけれど、ある日突然、学校での仲良しグループで一緒にいた友達から無視されるようになった。
どうしてなのかわからないけれど、それからクラス全体から無視されるようになった。
これが、「いじめ」なんだと思った時には、誰にも言えずにただただ悲しかった。
それでも、クラスの中で3人はそんな状況に気づいて、私と一緒にいてくれるようになり、心は救われていた。
ある日、元仲良しグループだった友達数名に、学校近くの公園に呼び出されて、私は一人で行った。
何を言われたのかも覚えていないし、会話があったかどうかも覚えていないし、叩かれたりもしたわけでもない。
覚えがないということは、私の記憶から抜け落ちただけなのかもしれないが、その日家に帰ると、祖母から「担任の先生から電話があった。大丈夫かい?」と聞かれたが、特に何も話さなかったと思う。
次の日、担任の先生と面談することになり、話を聞くと近所の人が公園での様子を見て学校に通報があったとのこと。
これがキッカケで、担任の先生にいじめの状況を知ってもらうことができ、一緒にいてくれる3人がいるので大丈夫と私は話したと思う。
それからは、あからさまな無視などはなくなり、まぁ過ごしやすくなったかな。

受験が近づいてきていた体育の時間。
バスケットボールでシュートをする際、ジャンプをした時に後ろから押されて、床に着地した瞬間、右足が今までに感じたことのない痛みが走り、その場に倒れこむ。体育の先生は、とても厳しい女の先生で倒れこんでいる私に「さっさとどけろー」と言われたけれど、立ち上がれなく座ったまま右足を引きずって体育館の端っこに移動した。
私の記憶では、先生はその後近寄ってもこなかった記憶。
体育の授業がそのまま終わり、更衣室は体育館の2階。右足を床につくことができなかったので、階段を座ったまま1段1段上がっていき、着替えをした。
教室までは、右足は床につけずにケンケンをして移動したのかな。
保健室で湿布を貼ってもらって、普通に一人で帰ろうと靴を履こうとしたら、靴に足が入らない。足が腫れている。
ちょうど、元仲良しグループの友達がいて、担任の先生に言いに行ってくれた。
靴を履けないと帰れないので、担任の先生が車で家まで送ってくれた。
家に帰ってから、病院に連れて行かれると「剥離骨折」ということで、ガッツリとギプスをつけられた。
その夜、ギプスをつけられた足が痛くて、痛くてどうしようもなくて、父がペンチか何かで切って外してくれた。
父は、整形外科病院の相談員をしていたのもあり、医療知識もあったのか、受傷してすぐは、まだ腫れる可能性があるから普通は、こんなギプスをしないと話し、次の日、父が知っている整形外科に連れて行かれ、取り外し可能な装具を作ることとなる。
人生初めての松葉杖。
学校は山にあり、冬。
歩いて学校に行くことは不可能で、しばらくはタクシーで登下校をしていた。
受験・卒業も迫る大切な時期にタクシー通学。
登下校は別のクラスの小学校からの友達としていたので、残り少ないかけがえのない時間を失った。
受験は松葉杖。
卒業式は足の装具をつけて、松葉杖なしで参加できた。
卒業式の卒業証書授与の際に、あらかじめ録音してある「将来の夢」が本人の声で流される。
「私は将来、医療事務の仕事をしたいです」
↑これは、完全に祖母からの刷り込み・・洗脳でこの時から、私の将来なりたい職業は医療事務になりました。

今でも、時折父は言う。
「あれは完全にばあさんの洗脳だ」(笑)
病院で相談員をしていた父の職業を母なりに良いと思っていたのでしょう。

無事に中学を卒業。

そして、公立高校の合格発表。
高校の玄関前に、受験番号が貼りだされ・・見事合格!!
ちょうど誕生日でもあったので、Wでめでたいなーと思っていたら。
トリプルな喜びのサプライズがありました。

合格発表を見終わって、校門を出ると見覚えのある車が・・。

なんと、私の好きな塾の先生が来てくれていたのです。
合格を伝え、その後ドライブに連れていってくれました。

今考えると、まだ中学生と大学生(笑)色々とヤバイですが、その時は嬉しさで舞い上がっていましたとさ。

中学時代終わりましたよ。
色々ありましたけど、終わりましたよ。
読んでくれた方ありがとうございます。

このあと、高校編がはじまっていきますが・・「若気の至り」と思って、ゆるーく読んでいって下さると助かります。

自分の人生を振り返る④につづく。



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