遮る雲なき青空をサバイバーは駆け抜けた


還暦になる年の秋にロードバイクで100キロを走ろうと決めていました。

2015年8月のことです。
そのとき、私は55歳。肺がんを患いました。

右上葉、肺腺がん、ステージⅠB。

胸やけがひどくCT検査をしたところ、胸部に縁のケバだった肺がん特有の陰影が見つかりました。胸やけとは無関係な肺がんでした。幸いにも根治手術が可能な状態であったのですぐに手術をすることが決まりました。

手術中に生検をして腫瘍を判定します。

もし胸膜にがん細胞が散らばっていたり、胸水がたまっていたりする場合にはインオペ。ステージはⅢかⅣに上がり薬物療法に切り替えます。良性の腫瘍であった場合も手術を中断し経過観察とします。

それらのいずれでもなく悪性であれば、標準治療として右肺の三分の一を切除し、その周辺のリンパ節を郭清します。

当時、ステージⅠBの5年生存率は60%。

術後2年以内に再発や脳への転移をすることも多い肺がんです。
私は生まれて初めて自分の「命の数字」に直面することになりました。人には余命があるということを切実に感じました。

だからこそ絶対にこの5年間を生き抜いて、ロードバイクを駆って100キロを走ろうと考えたのでした。

   *    *    *

手術後のICU。
「6センチやよ。6センチ。きれいにとれたって。」

全身麻酔が覚めかけたときでした。
「きれいにとれたって、先生が。」

腫瘍が6センチであったこと、手術は成功したことを妻が私の耳元で言ったようでしたが、胸にドズンと重く刺すような痛みがひどく、私は目を開くことも身動ぎすることもできませんでした。

そして、すぐにまた朦朧として、その次に目が覚めたときには医療機器の電子音が聞こえてきて、薄く目を開くと天井が見えました。

右の肋骨の間には太いチューブが入っていて、まるでハサミを刺しているのではないかと思うくらい痛みました。いくつもの管が体のあちこちに差し込まれていました。たくさんの医療機器に囲まれていました。

白い透き通った砂浜を走っている夢を繰り返し見ました。

とても長い夜でした。

翌朝、執刀医が来て、
「さあ、松本さん。これからは、あなた次第。あなた次第です。あなたが病気を治していくしかない。」
厳しい口調で言いました。

「今すぐにリハビリを始めてください。最大のリハビリは一日も早く社会に出ることです。そのためには歩くこと。歩いてください。今すぐです。今すぐに立ち上がって、自分の足で歩いて、病室に帰ってください。できますか?」

右肺の三分の一を切除。
その翌朝、まったく痛みが癒えない状態。

立てるのだろうか、歩けるのだろうか、一瞬にいろいろな思いが沸き起こりましたが、電動ベッドの背もたれが上がったときには、私は必死で立っていました。

まっすぐには立てませんでした。

看護師に誘導されつつ、点滴を引きました。
背中を丸めて、廊下の手すりをつたいながら、よたよたと歩きました。

看護師の詰所まで来たとき、
「お帰りなさい!松本さん、お帰りなさい!」

ひとりの看護師が大きな声で言うと、一斉に拍手が沸き起こりました。
このときの泣きだしそうな感傷を私は忘れることができません。

   *    *    *

それからは初めての経験の連続でした。

術後の薬のためか、味覚がない、何を食べてもまずい。匂いがしないのに、下駄箱の異臭だけが鼻につく。

口内炎がたくさんできる。
下痢がひどい。

咳き込む。
息が切れる。
手術をした右胸がずしりと痛い。
ほんとうに治るのだろうか、楽になるのだろうかという不安、憂うつ。

術後の生活は思っていた以上につらいものがありました。

強く、明るく生きるのは、理屈ではありません。

執刀医が言っていた通り、自分次第です。5年生存率を伸ばすのは自分自身。今の自分を受け入れることがそのスタートラインです。いつだって前向きであることが源泉です。

100キロを走れるだろうかではなく、100キロを走ろうと自ら決めることが始まりでした。

   *    *    *

ロードバイクでの工程は、伊勢の外宮から奈良の県境近くまでを往復するというシンプルなものでした。

相応にトレーニングをしていたつもりでしたが、思いのほかアップダウンがきつく、往路20キロまでは快調だったものの、折り返し地点では脚がズキズキと脈打ちました。

復路60キロを過ぎると風圧を受け続けた首がキリキリと泣き始め、ゴールは予定より一時間以上も遅れました。

走行距離104.39キロ。
タイム6時間26分17秒。
平均速度16.2キロ。

決して誇れるものではありませんし、歓喜して躍り上がるようなものでもありませんが、思いがけずそのゴールには高校2年生の一人娘が待っていました。

GPSで私を追尾していたらしく、スマートフォンでゴールの瞬間を連写。
私は小さくガッツポーズをして満面の笑み。

100キロを走るという、ごく個人的なサクセスストーリーは、そうして第一話を完結しました。

今また私はこの次のサクセスストーリー、第二話を、そして、第三話を考え始めています。



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