村会議員の祖父の選挙活動を幼稚園時代から忠犬ハチ公のように傍でみていた話

  田舎の小さな村の、おじいちゃんは村会議員でした。





 なので
選挙活動がありました。選挙カーにのって、ウグイス嬢は、祖母のお茶飲み友達です。若い人がウグイス嬢するわけじゃありません。なんせ田舎の村ですから。村人ですから!

 実家は襖をとりのぞけば
8畳ひと間が4つ、貫通した部屋になる。
10LDKの和風の日本家屋で、L字の廊下がかる。志村けんのバカ殿様ばりの渡り廊下というか。


 子どもながらに、そこでどんちゃん騒ぎ、お酒のんだり、騒いだりする大人がわからなかった。宿題進まないし、2階にいてもうるさくて、選挙活動の意味さえわかってない私です。
 
 ある日、選挙活動の終止符がきて
赤いだるまに目を描いて、バンザイ、バンザイ。どうやら当選したらしく、祖父母の目に光るものが。

 祖父は、議員になってからは、寺などの修理など無償でボランティアで行ったり、自営業なのでうちには重機がいろんな種類ありましたから、ブルドーザーで雪かきして道路を使いやすくしたり、困ったひとをみつけたら率先して助けに行っていました。


 いつもニコニコして、くしゃくしゃな笑顔で、俳優の植木等さんにそっくりな祖父。
 こりゃまた失礼いたしました!の植木等さんです。

180cmを超える巨体で、パジャマじゃなくて作務衣をよく来ていました。甚平かな?

和装をして、夜は縁側で
尺八を吹く。



 雅な祖父で、粋でした。

 その祖父が転落死してしまうStorysもありますが。

 祖父の忠犬ハチ公と呼ばれていました。私が。

 祖母じゃなくて、祖父は私をお供に連れ歩いていました。幼稚園時代から。

 幼稚園はともかく、小学校1年生、2年生を祖父のお供に費やしてしまい、小学校出席日数足りない子で、祖父の知り合いの社長さんや衆議院議員、参議院議員さんに会うのにお供しているわけですから。

ズル休みしているといわれ、実際その通りなんですが。

 ちゃんと学校には、行った方が良かったかなと今になって思います。今更だけど。


ただ、祖父のお供をしていたので、社長さんや偉い大人にビビらない、肝の据わった子供でした。


 それが【変わり者】 といまも呼ばれる由縁かもしれませんが。


私は、好きな人には忠犬ハチ公のようにずっと傍にいます。その人の生命が転落死として尽きたその瞬間も。

 とても悲しかったけど
 私は、祖父の傍にいたことを後悔してない。おかげで同級生の友達少なかったけど、大好きな祖父との思い出が沢山あるからそれでいい。


 誰か1人でいい、本気で愛して、好きになって、その人の傍にずっといれたら、それこそ幸せだと思う。

 祖父の生き方を私は今も尚
尊敬しています。

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