ジジイの英語から「京大英作文」への道(9)

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ジジイの英語から「京大英作文」への道(9)


 いなべ市は三重県の最北端にある。私の母校「北勢中学校」はこのいなべ市にある。その教育方針は徹底した助け合いだった。机を5つ集めて「班」をつくり教え合うという授業だった。私は勉強ができたので班長さんに指名されて勉強のできない子を教える役ばかりさせられた。教えることは嫌ではなかったけれど、教師には不信感を抱いていた。


 1学年160人くらいだったが、そのうち学力上位の3人くらいが四日市高校に合格できた。今も昔も三重県北部の県立高校ではトップクラスは四日市高校だった。私は当然、四日市高校に進学すると思って情報を集めていた。学研が「中学3年コース」、旺文社が「中学3年時代」という雑誌を発行していて東京の中学生の情報なども知っていた。


 四日市高校では上位の生徒の氏名を廊下に張り出していた。今もそうだ。ところが、北勢中学校では進路指導の「三者面談」で校内の学力順位を教えてくれない。

「学力で順位をつけるのは、差別を助長します」

 という「順位づけ悪役論」を日常的に聞かされていた。しかし、高校に進学すると順位づけが当たり前で行われる。すでに、ランキングというシステムが日本を覆いつくしていたのだ。


  そんな私には中学教師は嘘つきであり偽善者にすぎなかった。信用できるわけがない。私はクラブ活動は器械体操や少林寺拳法をやっていてチームプレイが生理的に合わなかった。


 四日市高校の秀才くんたちは私と似たものが多かった。

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