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13/7/10

AppStore5周年によせて iPhoneアプリ500タイトル量産事例について

Image by Olia Gozha

2013年7月10日、AppStore五周年ということを、Facebookのタイムラインで気づき、この5年間を振り返ってみました。

■リジェクトからの出発

瞬く間の5年間でした。

2008年、国内でのiPhone普及をミッションに、アプリヤという会社を立ち上げました。記念すべき最初のアプリとして、iPhoneのある新たなライフスタイルを提案する利用シーン満載の、麗しい女性声優を起用した、iPhoneの使い方についてまとめたアプリを作ったところ、「iPhoneについて語ってはならない」という理由でリジェクトされてしまい、親会社を通してのかなり上層レイヤーでの交渉を試みたものの、完全にお蔵入りとなりました。

厳しい船出となるなか、開発ラインを社内に持たない、プロデュース組織としてできることを考えました。

アプリは、コンテンツとプログラムの組み合わせである、という考えから、コンテンツ獲得と開発会社との提携を進めました。この動きの中で、大手新聞の文化欄や書評欄に掲載された国内最初の電子書籍アプリとなる浮世絵アプリや、女性の生理周期とアドバイスを連携させたアプリ、ペットの注意を引きつけシャッターチャンスを創出するアプリなどをリリースしました。

■予想の10%程度の売上

しかし、こうした権利を獲得しつつクオリティの高いアプリを制作するコストと売り上げのバランスを取ることは、とても難しい現実にぶつかりました。2008年当時、ほとんどのアプリは無料で、有料アプリも最低価格の115円(当時)のものしかダウンロードされない状況でした。

当時おこなった分析で印象に残っているのは、700円(当時)以上の価格帯で総合ランキング100位以内に長期間滞在しているアプリを調べたところ、共通した要素がありました。それは、英語学習に関連するものだった、ということです。僕は、これを期待値が端的に顕われたものだと考えました。ウェアラブルに近い、常に肌身離さず持っているデバイスを使った学習体験は、それまでのものと違い、学習効果が高まるのではないか、という期待。新しい学習体験に対する期待が、こうした高価格帯のアプリの販売を後押ししているのだと考えました。

また、こうした新しい体験に対する期待値は、作り手側の行動も促しました。C2Cによる販売の促進です。

個人が開発したアプリが、世界に向けて販売できる。この期待感は、ゴールドラッシュと呼ばれた時代を作りました。この動きは、自己表現市場に対して、大きな影響を与えると考えました。

先のように、すでに価値の評価されたコンテンツの権利を確保し、権利ごとに最適なプログラムを開発するという制作体制では、どうやりくりしても月産10本のアプリをリリースするのが限界でした。それでも、かなりのハイスピードだと感じていました。しかし、コストと売上のバランスを考えると、コストをそのままに制作本数を10倍に上げる必要があることがわかりました。つまり、月産100本体制にする必要がある、ということでした。

■アプリ作りをやめ、仕組み作りにシフト

毎月100本のアプリを作る。途方もない数だと思いました。

しかし、結論から言えば、それを実現することができました。ヒントは、mooというFlickrの写真を用いた名刺作成サービスでした。当時、アドバイザーを依頼していた林信行さんとのブレストの中で、上記のサービスを教えてもらったとき、アプリヤ設立時に想い描いた「コンテンツ×プログラム=アプリ」という考え方とカチャリと組合わさったように思ったのです。

まず、考えたのは、プログラムを理解していないコンテンツクリエイターが、アプリ市場に参入できるようにしよう、ということです。絵や音楽やレシピなど、言語に依存しないコンテンツは山のようにあり、世界に広げられるAppStoreを活用することで価値を生み出すコンテンツを作ることのできるコンテンツクリエイターが大勢いることに着目しました。そして、APPLIYA STUDIOというウェブサービスを構築しました。ウェブサイトでコンテンツを入稿し、基礎となるテンプレートプログラムを選択すると、自動的にアプリが生成される、という仕組みでした。

次に、コンテンツを作ることができなくとも、編集能力を持っている人でも、このムーブメントに参加できないかと考えました。2009〜2010年にかけて、新聞社や出版社での人員削減などの動きがあり、編集力を持ったプロフェッショナルが在野に放たれ始めていたことから、そうした人々のスキルを活かす場を作りたいと考えたのです。メンバー内には、コンテンツクリエイターの参加も本格始動できていない状況で、対象を広げることに否定的な意見もありました。それまで、僕は、メンバーの言葉に左右されることも多かったのですが、このときは自分の考えを押し通しました。まだ、流れはできていないものの、手応えを感じていたのだと思います。

コンテンツを持っていない人を取り込むためにサービスの大改修を行いました。FlickrのAPIを活用し、クリエイティブコモンズライセンスを付与されたものを検索し、ウェブ上に表示させ、トリミングなどの加工も行えるようにしました。つまり、手ぶらでサイトに訪れて、素材を検索し、加工し、入稿して、アプリ生成まで、ワンストップで行える仕組みを作ったのです。

これにより、参加者は一気に拡充し、月産100本体制が現実のものとなりました。売上に対するレベニューシェアの仕組みを管理機能として構築し、海外販売する上での英訳の仕組みをイタリアの低コスト翻訳会社と提携して整え、クリエイターのモチベーションを高めるためのアチーブメントシステムを構築し、毎週のように銀座のAppleStoreにてアプリ制作のための企画講座を開催しました。

■個人がゴールドラッシュを夢見ることができた時代

この時期は、本当に個人が世界に羽ばたける時代でした。2009年まではゲームジャンルのカテゴリランキング100位以内滞在日数のトップ10に、個人開発アプリが複数ランクインするような時代でした。先にも書いたように、まさにゴールドラッシュでした。(当時の資料

この時代の期待感とサービスがうまく結びつき、海外からの申し込みも増え、毎月100本以上のアプリを申請し、リリースされるという状況が生まれました。

しかし、ある日、アメリカのapple本社からの通達により、この仕組みそのものがリジェクトされてしまいました。それにより、APPLIYA STUDIOという非プログラマーによるアプリ制作サービスは、終了することとなりました。

このサービスを通して生まれたアプリの中では、2010年のAppStoreアワードにも選出され、今日なおメディカルの有料ランキングの上位に残る「赤ちゃん泣き止み音!」などの名作も生まれ、新たなコンテンツの発掘などにもつながりました。


APPLIYA STUDIOを閉鎖してから、3年。その間にも、上記のようなチャレンジをいくつかくり返してきましたが、それはまた別の機会にまとめたいと思います。

5年前を振り返ると、今はホオバルという新たな会社を作りながらも、「コンテンツ×しくみ」による新しい世界を作ることを、しつこくしつこく続けている自分に気づくと同時に、経験が自分を成長させてくれたことを改めて実感します。

お世話になった皆様に感謝し、幸運に感謝し、そしてこれからも頑張っていきたいと思います。

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