犬の里親探しボランティア団体から来たパティ

震災はその土地に住む人間にだけでなく、犬にも猫にもほかの全ての生き物の生活を変えます。

震災の翌年5月に新聞にボランティア団体が解散するという記事が出ました。飼主が避難するときに手離さざるをえなかったり、飼主が亡くなったりした犬を引取り、新しい飼主を見つける活動をしていた団体でした。震災後15ヶ月が経過し、ほぼ目途がついたので活動を終了するけどまだ何頭か残っているので、飼主が現われて欲しいという記事でした。活動している場所がたまたま歩いていける範囲だったので相方が訪ねました。

 会社に行く前に今日、犬を見てくると彼女から聞いていましたが、家に帰るとボサボサの毛の痩せこけた茶色のかなり大きな犬がいました。

話を聞くと、本部を訪ねたらその犬を一時預ってくれているお宅へ連れて行かれたそうです。その家では犬がドッグフードを食べないので持て余していて、もう返すからと言われて本部も困っていた犬だったそうです。

相方が犬を見るとその犬がすがるようにじっと見つめ返したそうです。
その瞬間、相方はこの犬連れて帰りますと言っていました。しかしウチには既に犬が一匹いると聞いた団体の責任者が、相性を試してからにしましょうと言いました。大喧嘩をして全く合わないケースもあると。

 預っていた家の奥さんの運転で家まできた犬が車から降りて、前からいるタローが近づいてくるのを責任者や奥さんや相方は息を潜めて見守りました。

タローはじっと身じろぎもせずお座りしている犬の全身をぐるっと廻って時間をかけて匂いをかいだあと、吠えもせず静かに座りました。そのときみんなほっと安堵の息をついたそうです。相方はタローのチエックにじっと耐えている新参の犬がいじらしかったそうです。

奥さんはこれ結局食べてくれなかったんですよと言いながら、車に積んできたドッグフードの袋を犬と共に残してそそくさと帰って行きました。

責任者の話によると、この犬は阪神の青木駅の改札のところに何日もうずくまって、どこにも行こうとしないので困った駅員さんから電話があって引取ったのだそうです。元の飼主が青木駅からどこか別の避難先へ移って、移動先ではもう犬は飼えない事情でもあったのか?いずれにせよこの駅でこの犬は飼主が戻るのをずっと待っていたのでしょう。

当時学校から帰った長女が(いまでも時々笑いながら話しますが)、家に帰ったら見知らぬ薄汚れた大きな犬がいてエッと思ったら、その犬が何ともやさしげな目でじ~っと娘を見つめたのだそうです。そのごあんなに優しい目は見たことないのにと言います。

犬もそのとき家のメンバーから認めてもらおうと必死だったんだねと言います。

飼ってからわかりましたが、なるほどドッグフードを食べません。皆で想像したのですが、家の中でお年寄りの飼主が食べる食事と同じものを貰っていたのではと。

犬だから食器に入れておいたらハラが減ったらかならず食べるよと私は言いましたが、口の中に押し込んでも食べようともせず、ドッグフードがそのまま口の中でふやけてしまうくらい頑固でした。

長い間ろくなものを食べていないらしく、骨はスカスカ、毛は硬くてバサバサで身体はタローより大きいのに抱くと半分ほどしか体重がありません。病気になっては困るのでご飯をやるとしぶしぶ食べるのですが、シーチキンなど魚関連ををかけると口をつけず、ウインナとか洋風の味の濃いものを喜びます。これも想像ですが、避難所などに配られる洋風弁当を食べてきたような感じです。しかしそんなエサを続ける訳にはいかないのである時から、「ウチにいる積りだったら先輩のタローが食べているのと同じのを食べないとだめなのよ」と、相方が根気つよくパテイと名づけた犬に言い聞かせながらエサをやりました。

ちゃんとお座りも出来ないほど骨が弱っていたので、今思えば最初噛む力も弱かったのかも知れません。毛の艶も出てきた頃にようやくドッグフードをメインにして食べるようになり、家族全員が安堵しました。

茨城県生まれの11歳のタローは随分年下ではあるけど、生まれて初めてガールフレンド(獣医さんの推定ではパティは2歳)が出来て、弱り気味だった身体に元気を取り戻しました。タローはパテイをよく可愛がりました。そしてパテイはタローのことが大好きでした。

うちに来てから12年、14歳になったパティは1998年の12月のタローの死後、1999年に後輩に迎えたムーと共に元気に暮らしました。

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