02人生の岐路 / ガッツポーズをしたわけ
公立高校に落ちたと分かった時にガッツポーズをしたわけ、それは
交友関係にあった。
交友と呼べるほどの間柄ではないけど…級友と言ったほうがしっくり来る。
その級友たちと二度と関わりたくなかったからだ。
事の始まりは、中学一年生のとき。
はじめての制服に、ピカピカのローファーに身を包まれ、登校した中学校。見るものすべてが新鮮でこの場所で新たな生活が始まるんだなと胸が躍っていたかもしれない。
けれども、教室に入った途端、このクラスでやっていく自信が無くなった。
空気みたいなもの。ただ、私の肌には冷たさを感じた。
すぐにその気持ちは現実となる。
いじめが始まったのだ。ターゲットは私。
きっかけはとても小さなこと。髪の毛にごはん粒がついていた。
それを見た級友が面白がって私に「つぶ」というあだ名をつけた。
どんどんクラスに浸透していったが、幸い、自分のクラスだけで留まった。
当時、クラスに話せる友人は極わずかだった。このいじめが始まり、1人の友人を除いては全員級友側に回ったのだ。自分が逆の立ち場だったら迷わず、同じ選択肢をしていたと思う。
あだ名だけに留まらず、陰でこそこそ言われるのは当たり前。
自分の目の前で敢えてハブにされることもあった。
特に掃除当番や理科の実験は辛かった。
出席番号ですでに班は決まっているので、私の前後にいじめの主犯が固まっていたので理科の実験の時は見ているだけが続いた。心の中では実験に参加したかったけど我慢する日々だった。掃除では嫌な役…便器掃除や汚物処理をやらされていた。
いじめをする級友たちも許せなかったけど、担任はもっと許せなかった。
担任も生徒たちからいじめを受けていたのは事実だった。ぎょろっとした目により、出目金と呼ばれていた。
自分のことで精一杯だったと思うけど、少しはクラスのことを考えてほしかった。
男同士の喧嘩もしょっちゅう起き、学級崩壊と言われても仕方がないほどだった。
そのクラスに私がいた。
学校に行きたくなかったけど、それは負けを示すと思って憂鬱な気分で休む日はなかった。母を悲しませたくなかったのも大きいと思う。
ただ、もう耐えられない日が来た。
なんで自分だけが…と思い、行動に出た。
担任には言わない。いじめる級友にも言わない。一番悲しませたくない母にこれまでの経緯を言った。
助けてくれるのは母しかいないと思ったからだ。
こんなにも勇気がいるのは初めてだった。
母は私以上に涙を流した。薄暗い部屋で二人でずっと泣いた。
今まで堪えていた想いも全て涙と共に流れ出していった。
そして、翌日、今度は母が行動に出た。
担任にではなく、学級主任に電話をかけ、お話をする機会を作ってもらったのだ。
母親の手を借りていじめを解決してもらうなんて…と批判を受けるかもしれないが、当時の私にはそれしかできなかった。母に相談することさえ、半年は迷ったことだ。
学年主任の先生は、母の話に真剣に耳を傾けてくれた。
このことがあり、担任は年度が終わる前に他の学校に異動となった。
さらに、学年主任の先生が担任となり、直接的にいじめのことを生徒に伝えるのではなく、心を痛めることは誰もに起きる、と言ったもっと大きな世界でのことを毎日の時間で話してくれたことでいじめはだんだんと無くなっていきました。
中学二年生になる頃には何事もなかったかのような生活へと戻っていった。
しかし、級友たちは私の中で苦手な存在となり、その後も関わらないようにしました。
そして、受験に続く……
いじめてきた級友が私と同じ公立高校と知ったのは年が代わった頃。
まだ志願を変更する余裕もあったが、自分のレベルから言えば、この公立高校が精一杯。1ランク下げたところで、いじめの主犯がいる。だったら、このままにしようと決心しました。こちらには4人ほど苦手な級友がいました。
だからこそ、公立高校に落ちた時は心から喜んだ。
これで、暗黒時代とは別れられる。高校は絶対に楽しくするんだ、と。
けれども、私には更なる試練が待ち受けていた。
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