世界はシンプルだって気づいたおじさんがシンプルにシンプルに書いたシンプルな世界の話
そう、世界はすごくシンプルだ。
世界とは自分を取り巻く環境、起こる出来事、思考、感情…
とにかく自分の回りを取り巻く全てだ。
そしてその世界は驚く程のシンプルなルールで成り立っているんだ。
そのルールは「在り方」「Be」「マイルール」等々とも言われているが最終的に言い方は何でも良い..。だけど確かにある。きっと確かにあるんだ。あるったらあるんだ!ハァ〜っ!
興奮しすぎたので話を元に戻す..。
ボクの自慢は、これまでの人生において「失敗の宝石箱や〜」あるいは「何でも揃う生きるアマゾン失敗商社」と称される程の失敗を繰り返してきた事だ。そしてその度にすがる思いで何百冊もの本を読み漁り、アレに手をつけコレに手をつけを繰り返し、結果的にすがって手に掴んだワラを引っこ抜いてしまっては途方に暮れる、を飽きずに繰り返してきたという事だ。
今、巷を見回すとあらゆる所にノウハウが溢れかえっている。本だけで無く、どこに居たって片手に持つ携帯で“ググッ“としちゃえば何かしらのノウハウやレシピが必ずヒットする。お手軽にそしてカジュアルに。
でも、例えば成功法則に精通して自己肯定感もアゲアゲにしまくって尚且つ占いの力も借りて人生を進んでみた所で、願いが全て叶ったり幸せになれるなんて、爪楊枝を箸にしてご飯を食べると同じ位の事だってあなたもきっと気づいている筈だ。
何故なら「ワレワレはニンゲンだから」だ!
ニンゲンは理屈で生きていない。いくら健康に良いと言っても健康食だけ食べて生きていくなんて余程の覚悟を持って臨まないとできない話で、油ぎったステーキや牛丼、ラーメンは汁も飲み干したいし、スナック菓子やチョコやケーキもたんまり食べたくなるイキモノなんだ。と書いてる内にピザを食べたくなってきた。ピザといえばビールだ。お腹がこんなに出てきているのにだ。でも食いたいと思ったピザを食える事は僕にとって幸せだ。そう、そこに幸せを感じっちゃたりするのがニンゲンなんだ。
そんな理屈を超えた何かをここでは“サムシング“と呼ぼう。繰り返すがサムシングとは理屈を超えた何かだ。ビートルズもそう歌っている。まあ、それ以外にパッと思いつかなかったので“サムシング“で良い。学術用語としては他にあるかも知れないが、僕は学者ではないのでここではそれは“サムシング(仮)”だ。
そして千差万別そんなサムシング(仮)を抱えたニンゲンが世界にどれだけいるかというと、世界の人口何と78億人。そしてその人口は毎日毎日増え続けている。その78億人は全ての人が違う。それもサムシング(仮)だ。一人として同じ人はいない。もしいたらそれを題材に人気アニメでもできそうだし面白いとも思うのだがいないったらいないのである..(キリッ)。更にその生まれ持った一人一人違う細胞にプラスして、積み重なっていく経験、その時の体調、感情によって1秒1秒ステージの上書きを繰り返しているのがニンゲンなんだ。考えるだけで目が回ってくる..。サムシング(仮)恐るべし..。
例えば何かの1つの出来事への対処法をまとめたノウハウにしてみた所で、それを実践する上での相手は78億人のニンゲン× ∞のサムシング(仮)なのだ。なのでそのノウハウだけに頼る程危なっかしいものは無い。その危なっかしさを強引に例えると、網の目の入り組んだ知らない道をカーナビなし地図なしで目的地に向かって走っている様なものだ。
言いたい事はノウハウが無駄だって事じゃない。ノウハウとは例えば交通ルールの様なもので、それがなければもっと交通事故はバンバン起きるだろう。 ノウハウとはそれを目安にすれば世界で起きる事故は多少なりとも減るという事なのだ。
でも……ワレワレはそもそも動く車に乗っていなければ高速も走れない。その車のエンジンが必要で、そしてガソリンが必要なんだ。 そしてそもそも行きたい方向を分かってなければいけないし、その目的地をしっかり見つめる(勇気を持った)眼が必要なんだ。 「やり方」よりも「在り方」であり「Be」なんだ。
話を冒頭に戻そう。それこそが「在り方」「Be」「マイルール」と呼ばれている(呼び方は何でも良いけど)確かにあるものなんだ。
それは「在りたい姿の自分の定義」であり「在りたい姿の自分が感じる感情」であり「在りたい姿の自分が発している筈の思考」で在り、「在りたい姿の自分のものの見方」であり、在りたい姿×在りたい姿×在りたい姿の兎にも角にも「在りたい姿」のオンパレードなんである。
ジョンレノンはイマジンで「想像してごらん」と歌った。それも想像する先は「在りたい姿」の自分や世界だ。
著者のShigesato Muroiさんに人生相談を申込む
著者のShigesato Muroiさんにメッセージを送る
メッセージを送る
著者の方だけが読めます