05人生の岐路 / 大学の選択肢

前編: 04人生の岐路 / 個性に気づく
後編: 06人生の岐路 / 壁はさらに大きくなる
大学受験を視野に入れたのは高校二年生の夏。
ただ、中学三年生の時から自分の将来はすでに決めていた。テレビ局に入社する、と。

テレビ局に入社したいわけ。
芸能人に会いたいというのもるが、自分でテレビ番組を制作したいのが大きかった。それには2つの理由がある。
①いじめを受けていた時、唯一、心のよりどころがテレビだった。何も考えずに笑っていられたからだ。
②公立受験の一週間前に祖母を乳癌で亡くした。大好きな祖母だった。私にとって目指すべき人だし、両親以上に尊敬していた。そんな祖母は病状がひどくなり、近所の病院に入ることとなった。お見舞いに行くと、悲しそうな祖母の顔を見ては、病院専用のテレビ番組をつくりたいと強く思うようになった。少しでも患者さんの心に光を差したいと思って。
以来、私はマスコミ一本と胸に誓った。

そして、どこの大学に志願するか迷う時期が来た。
MARCHと呼ばれる大学に行くのは私の頭では無理だった。数学だけがずば抜けてよくても他がボーダーラインに掛かるようでは到底ダメだということ。
受験勉強に励むも、さらに上を目指そうという気力は人よりも薄れていたと思います。
それには理由があり、自分の第1志望は日本大学芸術学部だったからです。
みんなが一度は憧れを持つMARCHは高校一年の夏に卒業をしていました。その時に日芸を知り、私の想いは日芸一本でした。三谷幸喜さんが好きで、三谷さんの卒業大学というのも大きかったと思います。
そう、私は高校三年生の6月まで日大一筋だった。

しかし、日大の前期は英語と国語だったのだ。私が最も苦手とする国語。さらに去年の倍率を見ると驚くほど高かった。私はあっさり退散した。
そう、二年間思い続けた大学に勝負をせず、あっさり負けを認めました。
正直、後ろめたさもなかったし、後悔もなかった。
自分に合った大学を見つけようと思うぐらいだった。

そして、インターネットで探し続けた結果、出逢ったのがKという大学。
すぐにパンフレットを取り寄せ、さらにオープンキャンパスが偶然にも二週間後だったので親に言ってお金を出してもらった。
その大学は美大だった。テレビを専攻する学科はなかったが、映画ならあった。当時の私はテレビも映画もさほど変わらないだろうと思ってこの大学で良いやと深く考えず、ここにした。早く受験から解放されたかったのが大きな理由となる。
しかし、オープンキャンパスに実際に足を運ぶことで、この大学に何が何でも入学したいという気持ちが芽生えた。親に負担をかけることは分かっていた。いつか必ず授業料は返すと誓い、Kを志望校にした。

ただ、受験勉強が分からなかった。
私の高校にKの前例がなかったのだ。美大対策はしてないということ。美術という授業がなかったのもそのことを決定づけているかもしれない。
デッサンて何?レベル。そう、デッサンは未経験なのだ。だから、デッサンがある試験は何としても受けない…受けれないと思った。もともと絵を書くのは苦手であった。
そんな時、AO入試の存在をを知る。対策はやったことなんてない。でもデッサンよりはマシ。嫌いなものを避けるようにして、私はこのAOを受けることにした。

試験日は正確には覚えていないけど、7月の上旬だった気がする。
試験内容は年によって違うから言っても支障は出ないはず。
まず、私の大学はAOと言う名の授業である。夏期コミュニケーション入学という名が付けられていた。そう、体験授業をするのだ。実際に大学生になった気分で2日間の体験授業をする。その中で先生たちが合否を決めるのだ。
どのように評価をしているのは謎だが、これなら自分も同じ土俵で戦える気がした。根拠のない自信っていうやつ。
私は脚本塾を受験した。他に俳優塾と撮影塾があったはず。
私の試験は、シナリオを書くという至ってシンプルなもの。先生からシナリオの書き方を教えて頂き、お題に沿って進めると言った形だった。
それで結果が出るのだ。
しかも、合格発表はインターネット上で7月31日。
判断基準が分からないだけに緊張した。

合格発表の日は、パソコンの前にいた。
11時に発表されるのにも関わらず、そのページがクリックできなかった。
別に努力はしていない。でも早く受かりたかった。この窮屈な気持ちから、いち早く抜け出したかったのだ。落ちた場合のことを考えると憂鬱な気分になった。

そして、お昼が過ぎた頃、覚悟を決めたように、クリックをしたのだ。
数字を目で追い、あったーと大声で叫んだのは今でも覚えている。

しかし、母は信用してくれなかった。こんなにも早く大学に合格するわけがないじゃないの、と。さらに、受験をしに行くとは言ってなかったからだ。
受かったのに、なんだ、このモヤモヤ感は…。
結局、合格通知が届く8月15日まではこの気持ち悪い想いは無くなりませんでした。

学年イチ早く大学に合格した私は一躍有名になりました。
先生には黙っておいてと言ったのに、他の先生がその話を聞きつけたようで、瞬く間に広がっていきました。

ただ、大学に合格したからと言って、受験から解放されるとは限らなかった。



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06人生の岐路 / 壁はさらに大きくなる

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