30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(2)

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学校探し

高校と大学合わせて約9年アメリカ在住経験があった私ですが、社会人になってからの音大探しにはいろいろ検討するポイントがありました。そもそも私の年齢で受け入れてくれている学校、学校ある環境、奨学金の有無、日本に帰ってきてからの学歴の影響力など。そして、いろいろな評判を先輩方に聞いたところ、アメリカでも2つくらいの学校に絞り込めました。
1個はニューヨーク州マンハッタンの学校、そしてもう一つはマサチューセッツ州ボストンにある学校でした。

マンハッタンもよさそうだなと思いつつ、親銀行から資金を調達しようと考えた私は親銀行の許可を考え、ボストンの音大ならば、親も一度別の大学でボストンに行くのを許可して無事帰ってきてるからボストンという街が理由でだめと言えないんではないかと。そして自分としても、街のことを知っているので初日から有利に動くことができる。そうして私が受験したい大学は決まりました。

社会人になってから学校を決めるときのポイント
  • 本当に学校に行かないといけないのか。理由を明確にすべし。
    学校は時間、お金が膨大にかかる投資。投資と思って、しっかりリターンが築けなければ、手を出さないほうが吉。勉強することはいいことだけど、稼ぐために勉強しなければ、忙しい人ほどモチベーションが続かないはず。私の場合、キャリアチェンジのために学校に行ったのですが、まだ時間かかりますが、学校で習ったことが役に立っているのと、あとはどのくらいこの投資を増やすのかは展開これからかな。
  • 女子ならば、安全な環境が必須
    日本と違って海外の場合、安全はお金とリサーチ、生活パターンで買うもの。美術系や音楽系の学校は密室も多く、作業時間も長くなりがちで校内でのレイプ事件やら殺人事件もあったりする。そもそもアメリカの大学なんて普通の学校でも学年に数人はあまりにつらくて自殺する人もいるくらい。だからこそ住む場所、通学路、歩く歩道、時間帯は女性は特に慎重に。夜遅くならない!もしどうしてもなってしまったら近場でもタクシー、もしくは男子に送ってもらうなんて当たり前。あ、ちなみに男子だからといって過信はだめ。私の友人の189㎝の長身男性は危ない地域の夜道でアイフォンをいじってたら略奪され、戦ったので大けが。お気をつけてくださいませ。
  • その土地の風習などに敬意を
    日本を離れると自分は異邦人。日本での常識は通用しません。国連やその国の領事館、JICAなどに問い合わせると、その土地での風習、しきたり、女性の着るべき洋服などの典型を教えてくれます。日本を離れての不用心は命がけ。相手に最大限に敬意を払うことから始めましょう。
  • 今までの自分を完全に活かすことを考えよう
    私みたいにキャリアチェンジするつもりで、音大受験の場合でも、社会人経験がある人は年齢の分、記憶力が衰えていたり、体力がなくなってきたりで大学生活の中で大変な部分もありますが、子供と違って大人だからのいい点もあります。キャリアの中で、培ってきた知識や経験は、音大受験だろうが、仕事だろうか変わりません。大人なアプローチでやってみると子供のころに解決できなかった切り開けなかった道が新しく開くものです。そのためにも私もこころがけているのですが、自己否定ではなく自分がすでにできることを活かしていのが大事かもしれません。

受験やらVISAやら

最初は奨学金がいっぱいもらえるって思ってたんです。どっかあまいですよね。留学の奨学金をもらって留学する人の話もよく聞くし、私もすぐに仲間入り...。

甘かったでした。ただ、一回はいろいろな奨学金を調べて応募してみるのをおすすめします。政府がやっているもの。ヤマハやほかの音楽団体が出しているもの。企業の奨学金。そして、その大学自体が奨学金を出していることもあります。
さて、私の場合、お金はなんとか親からいくらか借りれることになったものの、実はその裏で平行して受験やら自分でできる準備をしていました。お金ないのに勝手に進めてた理由は、とりあえず自分へのケジメのために、自分でできる範囲だけであがいておきたかったから。受験準備やら受験する費用くらいは、社会人ですもん。持っていました(笑)
まず、ウェブサイトで入学流れをチェック、受験対策が必要そうだったので、その音大卒業生の先生について受験対策しました。うちの音大は、世界中で受験が可能な学校だったので、それで受験申し込み用紙をオンラインで記入。受験しました。
親にも受験したことを実は伝えたら、「あなた、お金どうするの!知らないわよ!」とか色々プレッシャーをかけらたのですが、「受からないかもしれないし、ね。」と言っておさめておきました。「もし受かったら」という心配は実際受かるまえからビビってもなーんもならないので、やめにしました。

私の心のケジメとして、どこかでケジメがつけばよかったのかもしれません。私は、やりたい夢があった。それを実現するためにアメリカで音大に行きたかった。

心のケジメにはいろいろな方法があるかと思います。1つ目のストーリーは、受験して、だめだった。だからその夢はアメリカじゃなくって、日本でできることで何があるかを考えることに変わった。ということでもいいし、2つ目のストーリーは、受験して受かった。けど、お金がなくって断念した。ということでもいい。そして、願わくは、受験して、受かって、お金も何とか借りれて卒業。まあ、夢ですからいろいろ可能性はあります。私としてはなんとかこの4学期、もしくは5学期で意地で卒業という風にしたいと思いました。
私が狙った学校は、日本では今名古屋か神戸で受験ができるので、東京在住の私は東京から一路名古屋へ。ハラハラドキドキしながら受験会場の専門学校に行きました。

受験会場

受験会場についたら、受験番号を確認され、自分の番になったら呼ばれます。その時に初見の楽譜を渡され、15分くらい個室のスタジオで練習し、試験官のいる場所に連れていかれます。主な試験内容は、自由曲、任意のキーのインプロビゼーション(即興)、イアトレ(主にコールアンドレスポンス)、初見。どんなにひどい演奏をしても「Very Good」と言ってくれるはずなので安心して。

私は自由曲であえて英語で歌わない戦法で出てみた(笑)アンジェラアキのHOME。実は直前まで暗譜でHOMEとThis Loveのピアノ弾き語りを練習していて、This Loveのほうがコンテスト映えするって思っていたのだけれど、どうしても気持ちがHOMEのほうが入るので、そっちに。小さいスタジオで練習したときに発声も一緒にして準備。

そして披露。

ふぅ。

そのあと、さっそくインプロビゼーションとコールアンドレスポンスが続きました。試験の内容の詳細はまた別の機会に。
ぐったりとしながら会場を出た後は、インタビュー(面接)が待っていました。面接は仕事の面接などで慣れていたので、普通に考えてきた自分の売りを英語で説明したり、楽しく過ごしました。この時、緊張のあまり面接前に伸びをしたときに、ブラジャーのホックが洋服の下で飛んでいて、止まっていなかったなんていうことはご内密に(笑)実はそのおかげでかなり焦っていて、終わって挨拶したら飛び出してトイレに駆け込んでブラジャーを直しました。

合格発表

味気ないことにその通知は郵便できました。奨学金の金額、そして入学許可みたいな郵便です。
「わーーーーーーい」
来ていいって☆
一応そこで落ちる人もいるようなので、喜び、親に報告。残念ながら、受かったということで、親にとってはバッドニュース。さらなるプレッシャーとなったようでした(笑)

入学が決まったらVISA手続やら

入学決まったら、学生VISAの手続き、そして現地での家の手配などあります。そのあたりは、わかりづらい大使館のVISA手続の手順などに準じて行う感じでいいかなと思いますが意外と諸経費かかったなぁという感想だけにしとくかな。
準備するもの(覚えてるだけかきます)
  • 長期パスポート
    私、5年にしといてあとで追加になると面倒な経験を昔したからというのと、赤いパスポートが良かったから10年パスポート作った。確か6か月以上残ってるパスポートじゃないとだめ。バツイチだから名前とかのところでちょっとややこしかったけど、東京のパスポートセンターで作りました。女の子はかわいい写真が撮れるまで粘ろう。
  • I20
    これは大学から送られてくるんだけど、時間が意外とかかる。これとVISAでセットでアメリカに学生として滞在できるから、とても大切な紙切れ。
  • SERVIS費用を払って支払証明書をもらう。これなんか留学生対象のお金。
  • 銀行口座の残高証明書 これは、在学中の学費がだせるくらい貯金がある証明。
色々面倒ですよねぇ。でもこのあたりは事務的にやれば終わることなので、淡々とやります。面接官はたまにいじわるなことを言ってきます。私の場合、高校と大学でアメリカに9年弱も住んでいたのに、また大学に行こうとするって申請しているのにもかかわらず、「初めての学生VISAですよね」って。「い、いやちがいます。あの書いてたと思うんですけど、高校は親のVISAで、えっと大学の途中で切り替えて、、」説明したらにっこりしながら、「何勉強しにいくの?」それも書いてるけど。。。と思いながら「音楽です。」とかそういう話をしました。絶対に適当に答えちゃいけません。英語がどの程度できるのか、嘘ついていないかを見破る仕事のプロの面接官です。真面目に答える必要があります。

退職の流れ

私の場合、会社員でしたので、会社にいう必要がありました。仕事に影響があるので、実はもともと9月入学を考えてもいたので、4月あたりにいったん上司には口頭で伝えました。しかし結局引き継ぎや準備を考えて11月末退職。12月から渡米して1月入学ということにしました。

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30代でアメリカの音楽大学に留学したときのはなし(3)

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