認知症の専門医は、実はとても数が少ない。
脳神経内科くくりということで、脳卒中の専門医がついでに診ている、というケースが少なくない。ひどい場合は呼吸器内科の先生が、とりあえずアリセプトを処方し続けているなどという場合もある。
大きな基幹病院で、認知症外来があるから専門医が揃っているのだろうと思い、HPを開けて見たら全員が脳卒中の専門医だったりすると、単なる金儲け主義で認知症外来加算が欲しいだけなんじゃないかと勘繰りたくなったりする。
医師の専門は病院のHPで簡単に確認することが出来る。
例えば、認知症の専門の先生は、「資格等」の欄がこんな感じ。
・日本神経病理学会 認定医・指導医
・日本老年精神医学会 専門医・指導医
・日本認知症学会 専門医・指導医
・日本プライマリ・ケア連合学会 認定医・指導医
・レビー小体型認知症研究会 専門医
・東京都難病指定医 東京都身体障碍者福祉法第15条指定医
かたや脳卒中の先生は、こんな感じ。
・日本内科学会総合内科専門医
・日本神経学会専門医
・日本脳卒中学会専門医
・日本頭痛学会専門医
・医学博士
ということで、見ればわかる。
ただ、認知症の専門医は数が少ないので、日本全国の病院に隈なく在籍するというわけにはいかない。高齢化に伴い、認知症患者は増えているので、専門医が居なくても、地域のニーズとして基幹病院には認知症外来がないと困るからという場合も多いと思う。
母の弟は消化器内科の医師である。
大学病院を定年まで勤めあげ、再就職先は大手医療法人グループのクリニックだった。そこは診療もしているが、売り上げの多くは人間ドックで、健康な人がメインの、実は本物の病人はあまりいないというクリニックだった。
叔父は、少し調子のいいところがある人で、母を患者として呼び寄せ、サボりたい時間帯に、勝手に母の名前で予約を入れて一休みする、というようなことをやっていた。ただ、物忘れに怯える母が脳神経内科を希望したので、そこは本当に診察を受けていた。
脳神経内科の担当医師は50歳代くらいでK大卒の、A先生という人だった。そしてA先生は、やって来た母に、脳梗塞を予防する治療を継続的に行った。
母が、地域包括センターのケアマネージャーの名刺をもらってきたので、包括センターに行って話を聞く前に、まずは母の診察に同行することにした。
A先生に状況を説明したところ、それではということで、まずは脳血流シンチグラフィ検査を受けることになった。脳血流シンチの検査結果画像は、疾患により特徴的な色彩パターン(血流の少ない部分が赤く表示される)があり、装置を製造販売してる医療機器メーカーが、操作マニュアルとしてパターン例を提供している。医師はそのパターン例を参考にして患者を診断する。とは言っても、やはり人間の体というのは複雑で、必ずしもそのパターンに当てはまらない場合もあるし、最終的には他の要素も考慮し、総合的に判断する必要がある。
だが、丁寧に検査して総合的に判断するというのはあくまで理想論であって、そうではない医師がいても仕方がない。
A先生は、医療機器メーカーのマニュアルを丸のまま信じるタイプの人だった。
母の検査結果画像には、アルツハイマーに特徴的な、脳の上部の赤い色が表れなかった。A先生はその結果を見て認知症ではないと判断し、患者の家族が大袈裟なことを言っているだけだと、軽く考えたのだった。
「検査の結果、花粉症でした」とか「検査の結果、癌でした」とか、そんな検査結果を聞きたい人間など、この世の中にはほぼいないだろう。誰しも心の中では「その病気ではありませんでした」と言って欲しいと願っている。
「認知症ではない」と言われて、私は間抜けにもほっとしてしまった。実にお気楽に、アホの花が咲き乱れるお花畑の中で小躍りした。しかし、A先生の診断で認知症ではないと言われたとしても、現実の病気は直実に進行した。症状が顕著になり、日常生活に明らかに支障を来し始めた。
「認知症ではないと言われたのに!」
私は母の次回の診察にイライラしながら同行した。そして少し怒りをにじませながら、母の症状を矢継ぎ早に訴えた。ところがA先生は、電子カルテに一字も入力することなく、苦笑いを浮かべながら私の話を受け流し、バカにしたように「気にしすぎですよ」と一蹴したのだった。
私は落胆した。とにかく母の症状を何とか理解してもらわなければ。更にムキになって症状を説明するうち、母に水虫があるという話になった。
するとA先生は、突然キーボードの方に向き直り、「そういう情報は大切なんですよ~」と言いながら、水虫についてカルテに入力し始めた。
いくらなんでも、これがヤバイ状況であるということに気が付かないわけがないだろう。
帰宅した私は、すぐに叔父にメールを打ち、母の症状を訴え、A先生がそれをどう診断したかについても言及した。叔父は、メールに書いてあった症状を読み、ハードで長かった大学病院での自身の臨床経験に基づいて母を認知症と診断し、「A先生と話して母を転院させる方向で紹介状を書いてもらうことになった」と返事をよこしてきた。
2週間ほどして、叔父からメールがあり、A先生の母校であるK大学病院が新設した認知症専門の診療所に紹介することになったと言ってきた。
その後、すったもんだの末、利便性などを考慮し、結果的に叔父の古巣の大学病院に紹介してもらうことになった。
時々、母の守護霊はとても強力な霊なんじゃないかとしみじみしてしまうことがある。そして今回も、その守護霊様は母を見事に守り抜いてくれた。
転院して半年たったころ、メチャメチャ専門の先生が、たまたま異動してきたのである。
厚生労働省の外部組織で、老年医学関連の委員会メンバーをやっているような、ゴリゴリの専門家だった。
「脳血流シンチね。そういう風に思ってる先生は多いんだけどねえ。アルツハイマーでもそういう色彩にならないケースもあるからね~。色々と調べて総合的に判断しないとね。」
かなりあっさり言われてしまった。そしてこの先生は、母に、EBM(根拠のある医療)な治療を行ってくれたのである。もっと言えばオーダーメイドメディシン。患者に合った的確な医療を提供してもらっている。
先生によって診断が全然違うことに気づいてから、病院のHPで先生のバックグラウンドを確認するようになった。
A先生は脳卒中が専門だった。
一度定年退職している消化器内科のおじいちゃん先生なんかに、自分の診断結果をダメ出しされただなんて、A先生も災難だったなとは思うが、専門の医者を探して転院するのは患者にとって絶対必要なことだと思うので、今後は専門外の患者さんはビシバシ病病連携(病院と病院が連携すること)してほしい…と、願っています。


